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だて眼鏡でお寺巡りをしたら整った

わたしはどちらかというとインドア派で、休日に一人で出かけることが少ない人間だ。
出かけても買い出しか、洋服屋と本屋さんをうろつく程度。
そんなわたしだが、先日、一人で神社お寺巡りに行ってきたのである。

そもそもソロ活というものをあまりしないし、正月に初詣に行く習慣のない家庭で育ったわたしにとっては、一人でお寺や神社に行くのはかなりハードルが高いことだった。

でも、旅行や静かな場所は好きだし、お寺や神社巡りにも興味がある。
それに、せっかく川越に住んでいるのだから、近くの立派な神社仏閣を、一度しっかりお参りしてみたい。

こういった経緯で、先月6か所ほど回ってきたのである。
(それぞれの詳細は別の記事にてご紹介していますので、もしご興味があればそちらを見ていただけると幸いです。)


わたしは基本、人見知りだし、入ったことのない飲食店に一人で入るのも緊張するタイプだ。
だから当日も、わくわくする半面、少しそわそわして、行く前にいろいろと気を遣った。

お寺巡りや神社巡りが趣味の人たちが見たら、変だと思うことをしないように、念入りに参拝の作法なんかも調べたり、
モチベーションが上がるくらいの適度に可愛い服装がいいけれど、参拝客にも馴染みやすい、落ち着いたコーディネートを組んだり。
そして、何気なく“だて眼鏡”をかけて出かけたのである。


当日、観光客でにぎわう蔵の町通りを歩いていて、ふと思った。
「なんか落ち着くな」
いつもより視界が狭められるし、なんとなくプライベートな感じがしてほっとする。
他の観光客の視線も気にならないし、目が合うこともあまりない。
他人の視線がこわくない。
だて眼鏡をかけているからだと気づいた。

わたしは人と目を合わせるのが苦手で、他人の視線もすごく気になっちゃうタイプ。
一人で買い物に行ったときや、道を歩いてるときに、向かい側から歩いてくる人がいると、どこを見て歩いたらいいのかわからなくなってしまう。
じとーっとこちらを凝視してくる人も苦手だ。

でも、だて眼鏡をかけると、外の世界とわたしの間に一つの膜ができる。
向こうの視線がぼんやりと柔らかくなって感じないし、わたしも人とすれ違う時には、定まらないどこかをなんとなく眺めているだけ。

大きな水のしずくの中に入って外を眺めているみたい。
自分だけが何かに守られていて、穏やかで安全な場所から、遠い世界を見つめているような安心感。


だて眼鏡をかけたおかげで、周りをシャットアウトできて、余計な雑念が入らなくなった。なんだか、自分らしく、ありのままの気持ちにしたがって動けた気がする。
周りの状況はいつも通りなのに、なぜか強くなったみたいな気がして、いつもより少し胸を張っていられた。

普段なら、気になるお店があっても、「店員さんが多いな、話しかけられそう」と思って通過してしまうところを、だて眼鏡をかけただけで、毅然として入店できるようなマインドになった。
話しかけられても、笑顔でそれとなくかわす自信がわいてくる。
眼鏡ひとつでここまで気持ちが変わるのは、我ながら簡単な人間だなと思った。


肝心の神社お寺巡りは、だて眼鏡をしてたおかげで、すごく浄化された。
周りをシャットアウトできた分、神様、仏様にしっかり向き合うことができたし、自分自身とも向き合えた。

静かな場所で、手を合すことを繰り返していると、心のとげが丸くなっていって、すっきりとした気持ちになってくる。
日々の喧騒で、薄黒く乾燥した心が、混じり気のない透明な湧き水でさっぱりと洗われて、ぷるぷるに潤してくれているような、そんな清々しさ。
今までに味わったことがない、不思議に整う体験で、心が凪の状態にリセットされた感覚。


初めてのソロ神社仏閣巡りは、思いのほか楽しかった。
それに眼鏡ひとつで、こんなに旅の楽しさが変わるとは思ってなかった。
今後も一人旅には、だて眼鏡をかけることにしよう。

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