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ゼロから始める東大式作文上達術:実践編

こんにちは!東京大学文学部三年の布施川天馬です!
前回に引き続き、今日も作文の練習法についてお話しします!

〜作文の練習方法〜

前回の記事をお読み頂ければ、文章の作り方はある程度は分かって頂けるかと思います。

では、肝心要の文章作りが上手くなる練習法についてですが、これは「前回書いたことを意識しながら、たくさんの文章を読みまくる/書きまくる」です。
ここで、読む文章は別に読みやすい良文だけでなく、一般に悪文と呼ばれるような読みにくい文章にも手を広げてほしいと思います。

なぜ「読みまくる」も適正な練習法になるのか?と思うかもしれませんので、そこについて補足します。

これは多くのことについて言えることではありますが、何かをうまくなりたいと思ったときに、インプットは非常に大事なことです。
読書をよくする人は国語力がある」みたいなことを聞いたことはありませんか?あれはつまり、インプットを大量にしているからなんですね。
これは受験生の皆さんにはあまり関係ないかもしれませんが、幼少期の読み聞かせなども効果的です。

僕は、受験生の頃の話ですが、英作文に手をつけるときに、まず100文ほど短い文章を「型」として暗記しました。
これは、言いたいことを文章化するときに、「英語としてはどのような表現がふさわしいのか」が全くわかっていない状態で何かを書こうとしても、全く何をすればいいのか分からなくなってしまうためです。

これは外国語に関するエピソードですが、日本語にも十分に当てはまると思います。
普段からたくさん本や新聞を読むなどして、多くの文章に触れ、「日本語ではどのような表現がふさわしいのか」という視点から徹底的に頭に各種表現を叩き込むと良いです。

また、逆に「敢えて失敗例をみてみる」というのは大変効果的な練習法であると私は考えています。
「反面教師」という言葉がありますが、読みやすい文を良い例、読みにくい文章を悪い例としてたくさんインプットすることで、自分の中に経験値が溜まって行きます。

特に、行き詰まった時に役に立つのが悪い例で、一体自分の文章と悪い例で何が共通していて、何が共通していないのか?と比較してみてみることで、自分の文章の悪い点が少しずつ見えてきます。
良文からは「見習いたい点」を学んで、悪文からは「見習ってはいけない点」を学びましょう。

また、作文からは読解力を養うこともできます。
入試で出てくるような文章で読みにくいのなら、大抵は主語がよくわからなくなっているか、指示語の指すものがよくわからなくなっているかです。
しかし作文の訓練をしていればそのようなシチュエーションに出会った時に、主語を補うクセ、指示語の内容を追うクセができるでしょう。

〜作文の目的〜

さて、ようやく実践的な話にいきましょう。
次の問題は、ある年の東京大学による帰国子女向けの論文問題です。

「日本の交通機関の中には優先席を設けているものがある。しかし、このような座席を設けずに、老人が乗車したら若者は席を立つべきだという主張もある。優先席を設けることの是非について論じなさい。」

これに対して、次のような回答をしたとします。

私は優先席を設けるべきであると考える。
そもそも困っている人間を助けることは社会通念上奨励されるべきものごとであり、それを促進する優先席は、社会をより良くする仕組みとして必要不可欠である。
優先席がなければ、譲り合いの精神だけに頼られてしまい、これではお年寄りや病人など席を譲られるべき人間に対して席が供給されない可能性がある。
半強制的にでも、席を譲らせる仕組みは必要不可欠であり、そのためにも優先席は設けるべきである。

どうでしょうか?これは一体何点くらい得点できると思いますか?

これは0点回答です。
何故ならば、「主観100%の意見で客観的事実が述べられていないから」です。
もっと言うなれば、「作文の方向性が全く定まっていなかったから」です。

そもそも「論ずる」とは、「筋道を立てて、物事を説明する」「取り立てて問題とする」といったような意味があります。
ここで要求されている「論ずる」の意味は「取り立てて問題とする」の方でしょう。

何か出来事を取り立てて問題とし、これについて「論ずる」時には1つ注意点があります。

それは、「客観的な立場に自分をおいて話ができているかどうか」です。
「論ずる」ということは、「架空の相手を想定して1人で議論しなさい」ということなのです。

何か問題について話す時に、作文下手な人は自分の意見だけ述べてしまいがちです。
自分だけで手一杯になっている人ほどこの傾向にありがちですが、これは問題です。

なぜなら、その問題で期待されているのは、ある問題に対して有効な解決案が示されているかどうかのみならず、それを冷静に分析できているのか、という部分だからです。

どのような解決策であっても懸念点はついて回るものです。
例えば、「優先席のあり方」について。
先ほどの回答は以下のようなものでした。

私は優先席を設けるべきであると考える。
そもそも困っている人間を助けることは社会通念上奨励されるべきものごとであり、それを促進する優先席は、社会をより良くする仕組みとして必要不可欠である。
優先席がなければ、譲り合いの精神だけに頼られてしまい、これではお年寄りや病人など席を譲られるべき人間に対して席が供給されない可能性がある。
半強制的にでも、席を譲らせる仕組みは必要不可欠であり、そのためにも優先席は設けるべきである。

なるほど、一見すると問題はないように見えます。
しかし、これは「意見」であって、「議論」ではありません
要約すると「優先座席のないと必要な人に席が行き渡らないかもしれない」ということですが、上記の解答はこれの一点張りです。

先ほども述べたように、これは「議論」です。
そうであるならば、予想される反論に対して、しっかり反撃の芽を摘み取らなければいけません
例えば、私なら次のように反論します。

「でも、優先座席があるせいで、逆に『優先席があるならば、それ以外の席では譲らなくても良い』と言ったような意見が発生するかもしれない。当然優先席の数にも限りがあり、傷病者や高齢者全員が優先席に座れるわけではない。結局彼らに席が行き渡らないのであれば、それは本末転倒では?」

上記の解答はこのような反論に対応できない点で、「論じている」とは言えないわけです。
文字数にもよりますが、基本的には「意見を言う→反論を予想し、対応する→意見の正当性をのべる」が流れとなります。
特に、小論文が必要な方は、普段から批判的な思考ができるかどうかを注意してみてください。

また、有効な練習法としては「逆の立場から書き直してみる」ということがあります。
先ほどの優先席の問題についていうなら、1度目を反対派で書いたなら、2度目は賛成派で書いてみようということです。

自分が立場を変えることで、全く問題の見え方も変わってきます。
1つの問題を研究するという意味でも、批判的思考を鍛えるという意味でもこれは大変な練習方法です。

それでは、上記の問題について、「優先席無し派」「優先席有り派」それぞれから回答を書いてみましょう。
両方とも大体600文字程度でまとめてあります。

両回答共に、「譲歩型(僕のネーミングです)」で回答を作成しています。
小論文の場合に必要なことは、上記した通り、意見プラス反駁ですが、それらをうまくコンパクトに収めるのは難しいので、僕は

「僕は〇〇と思う。確かに〇〇にはこう言った欠点がある。ただし、これはこのようにすれば解決する話であるし、それ以上にこう言った利点がある。なので〇〇であるべきだと思う。」

と言ったように論を展開させました。
それを踏まえながらお読みください。

優先席無し派の場合
 私は優先席を無くすべきであると考える。
 優先席は確かに高齢者や傷病者など、特に席を必要とするべき人間に対して席が積極的に行き渡るようになるような仕組みである。実際に、これが無ければ、座席を特に必要とするような人々に対して、満員の電車内で座席が提供されるか否かは、同じ車両に同乗している人々の良心などに頼られることになる。これは譲られる側に対しては座席が譲られるか否かが常に不明瞭となるため不安を与え、また座席を譲る側とされる人々にも、「社会通念上、絶対に席を譲るべきである」といったような非常に強いプレッシャーを与えかねない。
 しかし、優先席がある場合でもこれは同じくそうである。また、むしろ、ある良心的な人間が優先席に座ることを考えたときに、その人が傷病者でも高齢者でもない場合に、「不必要に優先席を独占している」として周囲からプレッシャーを与えられることを懸念して、優先席に「積極的に座らない」という自体が発生する可能性がある。特に、一見してそれが傷病者と分からないような人々について、座りたいのに世間の目を気にして座ることができないといったような事態まで予想でき、これは彼らが席を必要としている人間であるにも関わらず、優先席から彼らを遠ざけるような動きである。そのような動きに巻き込まれた個人に対するプレッシャー、心の不安は計り知れない。
 よって、そのような事態を引き起こしかねない要因である優先席は、廃止するべきであると考える。
優先席有り派の場合
 私は、優先席は設置されるべきであると考える。
 そもそも、優先席は傷病者、高齢者などが「優先されるべき対象」として設定されており、それらのターゲットに対して「席を譲るべきである」という取り決めが交わされた特別な座席である。これがある場合には、「それ以外の座席では譲らなくても良い」という考えが蔓延する恐れがあり、その場合には座席の絶対数が少ない優先席へ人が殺到し、結局それらターゲットへ座席が供給されないという事態を招きかねない。
 しかし、逆に「優先席がない場合」を想定してみると、これは社会が「社会を運営する一個人それぞれに対して、社会通念上望ましい良心が備わっている」ことを元に運営されなければならず、そのような場合を除くと、電車やバスの中での傷病者、高齢者に対して座席が善意の下に提供される可能性は著しく低くなる。また、それら傷病者、高齢者は健康な若年層の人間と比べて動きが遅くなる傾向にあり、これは彼らの自力での座席の獲得が、健康な人間に比べて難しいことを表している。そのような人々に対して自力での座席の獲得を強いることは甚だ酷であると言わざるを得ない。更に、電車やバスなどで立ち続けることは中々に体力的に厳しいものがあり、特に体力面で不安の残る傷病者、高齢者が公共交通機関内で立って移動を行うことは、車両内での転倒事故などに繋がる恐れがあり、大変危険である。
 故に、多少の強制を行なってでも傷病者や高齢者に対しては、座席は譲られるべきであり、それを奨励する優先席は積極的に設置されるべきであると考える。


〜作文の方向性〜

前の項で述べたように、作文は「方向性」をもって書きます。
そしてここでの方向性とは、「問題で何を要求されているのか」ということです。

例えば、「説明しなさい」と言われた場合。
あなたは指定された物事について説明しなければなりません。

「述べよ」と言われた場合、あなたはお題に関して割と自由に意見を述べることができます。
ただし、大抵の場合は「〇〇に留意して」「〇〇に注意して」のように縛りがついていると思います。

「論ぜよ」と言われた場合、あなたは「議論」しなければなりません。

このように、まずは問題文からお題を読み取って、そのお題に沿って解答を作成するということが必要になります。
作文は、そのお題を読むところから始まっているということですね。

問題文のリードを外れれば、それはもちろん0点となります。
あなたをピッチャーとするなら、問題作成者はキャッチャーです。
あなたは、キャッチャーのリードに従って相応しいところに相応しいコースで投球することを求められているのです。

〜まとめ〜

長くなりましたが、今回は作文の訓練法についてお話ししました。
作文初心者の方は、まずは文法的に正しい文章が書けるように練習しつつ、様々な文章に触れましょう。

中級者以上の人は、自分が問題の要求に答えられているのか?をしっかりと考えながら書くようにしてみてください。

作文は自分の読解力も鍛えられる最高の訓練法です!
頑張って文章力をモノにしましょう!


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