共同トイレ回帰は大人の責任放棄だと思う。

男女別トイレが日本で普及したのには文化的水準の高まりもあっただろうけど、
いたましい事件も大いに関わっているのを知っている人は、あんまりいないかもしれません。
かくいう私も、生まれるずっと前の話なので最近まで知りませんでした。
内容はウィキペディアなどに淡々と書かれているだけでも十二分に凄惨で、
できれば知りたくなかった気持ちと、
知らなければならない責任を共に感じます。


「文京区小二女児殺害事件」
1954年東京都文京区の小学校で、小学二年生の女の子が殺害された事件。犯人はヒロポン中毒者。当時は学校は誰でも出入りできる場所、学校のトイレは公衆トイレの役割を果たしてもいた。犯人も用足しにこの日学校へ立ち寄った。トイレは男女共同で、被害女児は少し戸をあけて用を足していたところ、犯人がそれを見て欲情し、性的虐待をしたところ泣き出され、女児の履いていた下着を剥ぎ取って口に詰めて性的暴行をくわえ、首を絞め殺害した。

【事件後の展開】
この事件を受けて、学校の安全対策が見直されることとなり、かつ、東京都教育庁より都内の小中高の校長に宛て、男女別トイレの設置指示等を通達した。
その他、外来者は教職員などの目につく通路を通るようにする、柵や垣根でむやみに外来者が出入りできないようにする、来賓と学童のトイレは別とする、など。
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……国、行政、学校など大人たちのこの事件に対する反省から、
東京だけでなく全国の学校、そして学校以外の施設へも男女別トイレというルールが整っていきました。

それって、責任ある立場の大人みんなが
「二度とこんな事件を起こしてはいけない。
子供を守れなかった責任を果たそう」
と思ったわけでしょう。

そこでは誰も
「いや、悪いのは犯人であって、公衆トイレとしてそこを使っている他の人たちに帰責するな」
とか
「部外者だからって、全員を変態や殺人者扱いして排除するのか!差別だ」
とは言わなかったんですよね。
それに近い不服を言った人はもしかしたら居たのかもしれないけど、
少なくとも教育庁も全国の学校も
そんな意見に依らず、子供たちの安全を第一に考えて対策をとったわけです。

男女別トイレは、子供を守りたい大人たちの知恵と協力の結晶だった、
と言っていいと思います。

そうして今日においても、この男女別ルールを守っている人はたとえ意識せずとも全員が、
女児や女性を性加害や殺害から守ることに寄与しています。
大人として当たり前の責任ではありますが、ほとんどの人がまじめにこれを守っている状況をひとりひとりが誇ってよいとすら思います。
今となっては、特に。

ちなみに、この事件でもうひとつ進んだのが、覚せい剤取締法の厳罰化だそうです。
犯人がヒロポン中毒者だったからですね。
つまり、こうした事件の原因となることは徹底して取り除こうという、
それくらいの衝撃と猛省を世間に与えた事件だったのです。


他にもトイレで女性や女児がひどいめにあった事件は多いですが、
もうひとつこれはもっと近年の事件なので記憶されている方も多いでしょう。

「熊本3歳女児殺害事件」
2011年熊本のスーパーの障害者用トイレで起きた殺害事件。犯人は数時間トイレ近辺でうろつきターゲットを物色していた。被害女児は親がすこし目を離したすきに障害者トイレに引き込まれ、性的暴行を受けた。女児を探す父親の声とノックに焦った犯人は、女児の口を塞いで首を絞め殺害。遺体をリュックに詰めて親とすれ違い堂々と店を出ている。  

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この事件は私もよく覚えていて、非常にショックでした。

犯罪機会論を日本に提唱する小宮信夫教授もこの事件にたびたび言及し、
日本のトイレ、
男女共同トイレの危険性を説いています。

現場となったスーパーには男女別トイレはあったものの隣接していました。
しかも女子トイレがもっとも手前にあり、いちばん奥が男子トイレという環境。
つまり男性が女子トイレの前の通路にウロウロしていても、一見して不自然ではなかったのです。

この事件以降、男女のトイレの位置を離したり、女子トイレを奥に設置して、
そちらまで歩いていく男性がいれば見咎められやすい設計を取り入れる施設が増えたそうです。

ちなみに防犯カメラは10台もあったとのこと。
それでも事件は起きてしまいました。
防犯カメラは事後の検証には役立ちますが、事前の防犯にはかならずしも寄与しません。

カメラの位置を把握するなど、入念に、年単位で準備して犯行に及ぶ者も居ます。
というかそのほうが多いのでは。
性犯罪は、その場で衝動的にというより
肉食獣が獲物を狙うように、ターゲットを物色し、つかまらない時間帯や方法や対象を仲間同士で情報連携すら行い、
非常に理知的に冷静に長い時間と手間をかけた、執念の先にあるんですよ。
交番の前にどんなに「魅力的」な獲物が居ても襲いかかる男は居ないですから。

また、前述のように「そこに男がいたらおかしい」という前提がないと、監視していても無意味だということがわかります。

熊本女児殺害事件ご遺族であるお父さんのスピーチは、ものすごくつらいけれど

全ての大人に読んでほしい……

最近、進みつつある共同トイレへの回帰。
女子トイレに男性を「自認」が女ならOK!と招き入れること。

それは大人の責任放棄であり、
女性、子供への虐待です。

ひとつも「先進的」なんかじゃないと、
私はこれからも
NOをつきつけていきます。

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