【作品紹介】普請職人懐古百景 /「漆喰塗り」そして余話「左官職の傍輩」
ようやく仕上がった拙作「普請職人懐古百景 / 漆喰塗り」に絡めて、とある新築住宅の現場にまつわる話を綴らせて頂きます。
此度も相変わらずの長文駄文ではありますが、ご都合に合わせて、少しづつ読み進めて頂ければ幸いです。
左官職の傍輩
東京の建設会社で中高層の建築物にばかり関わってきた僕は、様々な種類の木造建築物を広く学ぶべく、長野県の建設会社に転職した。
そんな僕が、初めて漆喰塗りの施工に関わることになった時の話を綴ろうと思う。
1:左官屋の今野社長
僕の務め先に出入りしていた左官屋の今野社長は、数多の関連業者の中にあって、言語モジュールが一致する数少ない職人さんだった。
もっとも、彼は職方を取りまとめる親方であり、且つ経営者の立場でもあったから、物事の見立てや後進の指導に長けていたとしても不思議はない。少なくとも、僕に罵詈雑言の雨嵐を降らせる師匠たちとは、社会人としての在り方が違っていたということは確かだ。
2:誰もが最初は1年生
黒南風が吹いた或る日のこと。
僕は、漆喰仕上げを要する新築住宅の見積りを依頼するために、図面を携えて今野社長の元を訪れた。
今野社長は、僕が描いた図面を品定めするように見始めた。そして、彼が展開図の頁を広げる頃合いを見計らって、僕は ” 漆喰仕上げの現場を初めて管理する ” という事実を自信なさげに伝えた。
僕の告白から羞恥を感じとった今野社長は「誰もが最初は1年生さ。」と笑いながら答えた。その言葉に慰めの色はなかった。むしろ「そんなことは百も承知だよ。」というような温かい心根が感じとれた。
今野社長は、直ぐに見積りすることを約束してくれたと同時に、漆喰という材料の特長や施工要領、そして地域特性(生産地によって沢山の種類がある)などを教えてくれた。
そして最後に、冬場にかかるであろう左官仕事の工程を見越して、看過できない課題(宿題)を与えてくれた。
それはある意味、左官材料を施工した壁の凍害回避の対策を、予め想定しておくようにとの要請でもあった。
(※低気温時の無理な施工により、硬化不良・ひび割れ等が起きやすくなる。なお、一般的に語られる凍害は、施工後に発現する不具合を指す場合が多い。)
そもそも低気温時の対策は、漆喰に限らず、湿式の材料(主に水で捏ねる材料)を扱う場合の常識でもあったが、熟練の職人の口を通すと、その重要性や深刻度が増して聞こえてくるものだ。
今野社長は、懸念の色を醸した僕の顔を一瞥して「この機会に冬場の対策について調べてみるといいよ。」と促すように言った。
今野社長の指導と示唆の間を行き来するような話は、これまで直面したことの無い場面を経験しなければならないことを僕に予見させた。
3:わが師の育成法
作業場に戻ると、前掛けに木屑をつけた竹山の師匠の姿が時計型の薪ストーブの前にあった。これから木っ端に火をつけて一服しようとしているのだろう。
この日は、珍しく南風が吹いたので心持ち生温かく感じたけれど、山の陰になっている作業場は年寄りにとっては湿気寒いらしく、梅雨終盤の時節を迎えても薪ストーブは活躍していたのだ。
僕は、今野社長とのやり取りを師匠に話してみた。
師匠は「ふん、しゃかんやは、そんなことを言ったか。」と、つまらなそうに返事をした。
けれど、その声色は概して不満を滲ませたものではなかった。むしろ、我が意を得たりといった風だった。
竹山の師匠は話を続けた。
「なんにしても、しゃかんやが自分で調べてみろってんだから、その通りにしてみろや。お前、そういうの好きだろが。」と突き放すように言いながら、僕に「お茶を淹れろ!」とばかりに顎を突き出した。
とまぁ、「後進の育て方は人それぞれ」と云うことだ。
4:縁を結ぶ人
7月の末になって、件の新築物件の受注が決まり、2カ月後の10月に着工することになった。即ち、今野社長の予想通り、漆喰を冬場に施工することになったわけである。
正直な話、図面の修正や確認申請といった準備、そして木拾いや墨付け・加工といった作業よりもむしろ ” その事 ” の方に不安を覚えた。
僕は、今野社長の元を訪ね、自分で調べた冬場対策の答え合わせをすることにした。本で得た知識の有効性の是非は勿論だが、お施主さんから託された予算を適切に使うためにも、費用対効果を確認したかったのである。
今野社長は、事務所の脇にある倉庫で道具の整理をしていた。
僕が声をかけると「いよいよだってな。伝ちゃんとこの社長から聞いたよ!」と彼は明るい声で言ってきた。
空調の効いた事務所の中で、僕は自分で調べた対策を一通り伝えた。
今野社長は「うん、どれも有効だよ。でも、現場の状況によって臨機応変に対応するのが基本だから、そのためにも引き出しは多い方がいいよね。」と職人の顔つきで語り、続けて「少し大げさに言い過ぎたかなって心配していたんだけど、真剣に調べてもらえて嬉しいよ。」と済まなそうに言った。
そして最後に「気温が著しく低下する時は、夜を徹して現場に詰めることになるから覚悟しておいてね。」と、僕に念を押した。
左官のエキップに相談して肩の荷が軽くなった僕は「ありがとう社長。じゃぁ、俺は作業場に戻るから。」と言って腰をあげた。
すると今野社長は「あっ、そうだ!その現場でさぁ、うちの若いの … 佐藤って奴なんだけど、漆喰塗りをやらせてみてもいいかな?」と思いついたように言ってきた。
僕は「その辺の許可は、俺じゃなくてうちの社長に通した方がいいんじゃないかなぁ。」と答えた。
今野社長は「ってかね。そいつは大学出の変わり者でさぁ。伝ちゃんとこの師匠たち ¹が嫌がるんじゃないかと思って、今まで現場に出さなかったんだよ。でも、伝ちゃんが上手くやっているの見てさ、うちの佐藤も大丈夫かなって … 。」と続けた。
それを聞いて、僕は複雑な気持ちになった。
僕の心中を察したのか「佐藤は筋が良いし、俺も現場に入るから心配しなくて大丈夫だよ。」と、今野社長はきっぱりと言い切った。
そして「佐藤は本当に変わり者ってかさぁ、いろいろ考えて試している奴なんで、伝ちゃんと気が合うんじゃないかと思ってね。」と柔和な顔をしながら話しを続けた。
僕は、今野社長の話ぶりから親心のようなものを感じた。
5:若い左官職人
それから数日して、見積りを携えた佐藤君が作業場にやってきた。
お互い若い者同士とは言え、人柄や気質は様々である。だから、最初から気さくに話すことはできなかったけれど、佐藤君の朴訥とした口調から、僕とは異なる社交性と繊細さを感じることができて ” 安堵 ” した。
” 安堵 ” それは、件の師匠連に起因する。
とにかく、うちの師匠連ときたら、大学出というだけで「この馬鹿利口が!」と口さがなく言うのだから堪らない。
この「馬鹿利口」とは何ぞや?
なんでも、酒癖の悪い南川の師匠によれば「本当は馬鹿なくせに利口ぶる人間」のことを指すらしい。
個人的には、酔っ払いには言われたくない言葉ではあるけれど、真理を突いた指摘だとも思う。実際、大抵の人間は自分を賢く見せたいものだ。
けれども、こういう芯を食った言葉をまともに喰らうと、人間は反射的に拒絶反応を示してしまう。即ち ” 凹む ” のである。
予てから師匠連と僕のやりとりを遠巻きに眺めてきた今野社長は、左官の世界に飛び込んできた期待のホープ 佐藤君 を、癖が強い師匠連が幅を利かせている現場へ出すことに躊躇していたのだ。
しかし、僕が徐々に対応(反転攻勢)していく様子を眺めているうちに考え方を変えていったのであろう。
いずれにしても、心強い同世代の仲間が一人増えたことに違いなかった。
そして僕と佐藤君は、件の新築現場が始まるまでの間、交流の場面を増やしていきながら親交を深めていったのだった。
6:賢明な根回し
予定通り10月の頭に、件の新築現場が着工した。
幸いにも気候が良く工事は順調に進んだけれど、大型車両が入れない敷地だったこともあり、万事に手間暇を要した。資材の搬入はすべからく小運搬になったし、それが故に近隣住家への配慮にも神経をすり減らした。
そんな日々が過ぎていく中、左官による仕上げ工事は、概ね11月末から開始できる見通しが立った。
仕上げと言っても、天井はその過半が大工職の手による竿縁天井や網代天井であったし、クロス仕上げも水回りや子供部屋に限られていたから、仕上げ工事の主役が左官仕事であると云って差し支えなかった。
今野社長と佐藤君は、11月の声が聞こえ始めた頃から代わるがわる現場へ顔を出してくれていた。
僕が立ち会えない時にも、あの気難しい師匠連とのコミュニケーションを欠かさずにとっていたらしく、彼らの態度からも佐藤君を受容れた様子が伺われ、それが僕を安堵させた。
7:左官仕事 始まる
いざ左官工事が始まると、それは至極順調に進んだ。向寒の時節ではあったけれど、穏やかな陽気が続いたことが功を奏したように思う。
何しろ、1カ月もしない内に師走を迎えるタイミングであったから、日々の順調な進捗が僕の心労を和らげる唯一の薬になっていた。
左官仕事は下地調整から始まった。
二人の左官職の仕事を眺める日々の中で、佐藤君が ” 万事に無理をしない人間 ” で、養生が頗る上手だということを僕は知った。
時折、今野社長の小言を喰らって顔を蒸気させる姿をみとめたこともあったけれど、次の日にはケロッとして鏝を動かしているのだから、なかなかのメンタルをしていることも分かってきた。
そんな佐藤君が「試したがり人間」であることが判明したのは、漆喰を塗る段になってからである。
8:試したがる男
今野社長から漆喰塗りを開始する旨の連絡を受けた僕は、冬期対策の初手として、現場用のジェットヒーターと大型のサーキュレーターを積んで現場に向かった。
現場では、今野社長と佐藤君の二人が漆喰を塗り始めていた。
ジェットヒーターを抱えて現場に入ってきた僕を見るなり、壁に向かって鏝を振るっていた今野社長が「伝ちゃん、見てよ!佐藤の変人っぷりをさ。」と苦笑しながら話しかけてきた。
社長の目先には、続き間の隣室でネタ(漆喰)を鏝板にのせている佐藤君がいた。彼の前には、明らかに年代物と分かる木桶があって、その中は艶々とした漆喰で満たされていた。
一服の段になってから、僕は「サトちゃん、こいつは随分と古い木桶だねぇ。」と話を向けてみた。
僕の真横で、今野社長が「さもありなん」と笑みを殺したのが分かった。
佐藤君は「この木桶はね、社長んとこの倉庫に幾つか転がっていたんだよ。で、先代(今野社長の父上)に聞いてみたら、昔はネタを入れるのに木桶を使ってたって教えてくれたんで、今回使ってみることにしたんだよ。」と快活に答えた。
僕が「良く言えば温故知新で、皮肉っぽく言うと懐古主義ってこと?」と問うと、佐藤君は「ネタの水分を保つのに、プラのバケツよりも木桶の方が優れているんじゃないかって思ったんだ。」と真意の程を語った。
ここで笑顔の今野社長が割って入った。
「伝ちゃん、あの木桶を良く見てよ。こいつ、緩んでいた箍まで自分で直したんだぜ!呆れるだろ?どんだけ暇なんだよって。」
今野社長は、佐藤君をくさしながらも、嬉しそうな顔をして言った。
実は、僕も ” それ ” が気になっていたのだ。やたらと古びた桶に比して、箍と持ち手のロープだけが真新しいのだから。
「箍を修繕するのはどこで習ったんよ?」と僕は佐藤君に聞いた。
彼は「近所に趣味で漬物用の木桶を作っている人がいてね。その人に頼んで教えてもらったんだ。」と答えた。
確かに、長野と言えば野沢菜漬けが有名である。だから、漬け物のみならず、それを漬ける道具から自作しようとする御仁がいても不思議はない。
なんでも、箍の材料までちゃっかり頂戴したそうだ。余程、佐藤君の ” 教えられ方 ” が優秀だったのだろう。
とにもかくにも、佐藤君が好奇心と実行力をもって木桶を修繕し、今野社長はその姿を穏やかな表情で眺めているということは理解できた。
僕は、何かしら愉快な気分になった。
僕らのやりとりを聞いていた今野社長は「まぁ、あれだよ … 。若いうちに、あれこれ試すことは悪くないし、そこからヒントを得ることもあるから無駄はないと思うのね。でも、優先順位を忘れちゃ駄目だよ。なっ?佐藤も伝ちゃんもさ。」と最後に釘をさすことを忘れなかった。
さすが経営者である。
以降、漆喰塗りは順調に捗った。
気温が著しく下がる晩には、夜を徹してしジェットヒーターに火を入れることから、今野社長や佐藤君と現場で ” 御通夜 ” した。それは、引き渡しを前にお施主様の家を燃やしてしまうわけにはいかないからである。
こうした責任感とは別に、ジェットヒーターとサーキュレーターの音を聴きながらバカ話に花を咲かせる時間は楽しかった。
なにはともあれ、厳しさと気遣いと嫋やかさを伴いながら現場は進んだ。こんな風に建てられた家が無事に完成しないわけがないのである。
9:若き職人の家に誘われる
件の新築現場が完成してから暫くして、佐藤君から飲みの誘いを受けた。
当時の僕は、慢性的な金欠病を患っていた(趣味の自転車やクライミングの道具に浪費し尽くしていた)ので、「サトちゃんさえよければ、家飲みにしない?」と返した。
すると彼は「じゃぁ、俺ん家に来なよ。実家で嫌かもしれないけど、食事もあるし。実際、俺もお金が無いから助かるんだ。」と応じてくれた。
数日後の或る晩。
僕の自宅から3㎞ 程離れた住宅地の中に建つ佐藤君の実家へ歩いて向かった。その途上で、持参する酒を仕入れようとリカーショップへ立ち寄ると、現場帰りの佐藤君と鉢合わせになった。
「歩いてきたんだね。自転車かと思ったよ。」という彼に「自転車だって酒を飲めば飲酒運転になるんだぜ。」と真っ当すぎる返事をした。仕事場以外の場所で顔を合わせてしまったことに照れてしまったのかもしれない。
家では、佐藤君が云うところの ” 普通のサラリーマン ” の親父さんと ” 普通の専業主婦 ” のお袋さんが出迎えてくれた。
これは僕の家庭環境にも当てはまることだったし、こうした類似点のお陰で、佐藤君に親近感を抱けたのではないかと感じている。
僕を待ち受けていた食卓には、家庭的ではあったけれど、明らかに歓迎のムードが漂うメニュー(唐揚げ・エビフライ・ポテトサラダ・キノコの煮物等々)が並んでいて、それを見た僕の口の中は涎で一杯になった。
彼の親父さんは「こいつが職人になって、家に現場の友達を連れてくるなんて思いもよらなかったよ。」と破顔しながらビールを注いでくれた。
一人暮らしの僕にとっては、家庭的な雰囲気に包まれた食卓は楽しかったし、得も言われぬ安らぎを覚えた。
食事を終えると、佐藤君の部屋に移動してお酒を愉しむことにした。
彼の部屋は、趣味の道具で溢れかえった僕の部屋よりも明らかに整理が行き届いていた。
入口の対面にあった本棚に目が留まった。これは、本好きな人間にとっては、至って普通の習慣だろう。他人の本棚にこそ、持ち主の人格に迫るヒントが詰まっているのだから。
佐藤君の本棚の中にあって、一際僕の目を引いたのは「左官教室」という業界雑誌のバックナンバーであった。
僕が「こんなの読んでるんだ … 。」と呟くと、佐藤君は「会社の倉庫の中で埃を被っていたんだよ。それを社長に断って貰ってきたんだ。昔の技術とか載っていて面白いんだよ。」と嬉しそうに語った。
僕はしみじみとした思いで「いろいろ勉強しているんだね。」というと、「せっかく大学まで出してもらったのに、全然関係ない職人の世界に飛び込んだからね。やり込まないと申し訳ないと思ってさ。」と彼は答えた。
10:そして動き始める
僕は、彼のその言葉を聞いてふと我に帰った。
「俺は何のために長野に来たのか?!」
この時の僕は、転職と言う一つのハードルを越えたところで一旦停滞していたのである。それは即ち、次のステップに移行すべきタイミングを逸していたことを示していた。
僕は「俺、去年、建築士の試験を受けるつもりだったのに受けそびれてしまった。」と独り言のように告白した。
佐藤君は「いや、伝ちゃんは東京から越してきたばかりだから、落ち着くまでしかたなかったんじゃない。」と慰めるような前置きをした後、間髪を入れずに「俺も、今年は左官の技能士を受けるつもりだから、伝ちゃんも今年は受験しなよ。これから勉強したって間に合うんだろ?」と言った。
彼の前向きな提案と心地良い酔いが、僕の気持ちを一気に奮い立たせた。
僕は、鄙びた香りがする「左官教室」を手にしながら「おうよ、間に合うなんてもんじゃなくて、必ず間に合わせるさ!」と自分に言い聞かせるように宣言したのだった。
気持ちが定まった。「よし、次回は互いの合格を祝して一杯やろう!」と二人で決意の乾杯を交わした。
本当はもっと話したいことがあった。でも、その晩は ” 決意表明 ” をもってお開きにするのが好ましいと感じた。だから、この乾杯を終えると直ぐにお暇した。もっとも、お互いに朝の早い仕事だから、深酒が禁物だったことは言うまでもない。
弥生の月は美しかった。
花冷えする夜の散歩で、和やかな宴の酔いはすっかり冷めてしまったけれど、酩酊は暫時に限る。
自宅に戻った僕は ” 鉄は熱いうちに打て ” とばかりに、机の上で埃を被っていた建築士試験の問題集に手を伸ばしたのであった。
余話後記
自分が選んだ道を意気揚々と歩んでいこうとする若者の姿は、いつ見ても眩しく、そして麗しく感じるものです。
山あり谷ありの人生にあって、先達の経験を礎とした鞭撻が功を奏することは勿論ですが、懸命に生き道を探す同世代の知己の姿が、何よりの薬になることも少なくありませんでした。
そして、逡巡の時を静かにやり過ごし、熟成と発酵の違いを見極めながら成長のレベルやプロセスを省みる時間を持つことの大切さもまた、彼らとの邂逅から学んだように思われてなりません。
此度は、そんな思い出や感慨が込められた「漆喰塗り」の余話を綴らせていただきました。
一読を賜りましたことに感謝しております。本当に有難うございました。
普請職人懐古百景の一作目「台直し」は以下のリンク先となります。
興味のある方はご一読の程よろしくお願い致します。
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