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本の感想 - Sophie Passmann: "Alte weiße Männer. Ein Schlichtungsversuch"

今年の誕生日、お祝いをしてくださるという方々に、主に本で埋め尽くされる私のアマゾンのウィッシュリストをシェアしたところ、たくさんの本をいただいた。ということで、ポチポチと読んでいるのだけど、その中で特に目を引いたTaschenbuchであった "Alte weiße Männer. Ein Schlichtungsversuch"(私訳:年寄りの白人男たち - 和談の試み)という本を読んでみたので、忘れないようにここにメモしておこうと思う。

何が私の興味をそそったのかというと、ピンクでスタイリッシュな表紙とは裏腹にその挑戦的なタイトル。ドイツにお住まいの方はこの本がフェミニズム関連のおすすめ本の一つとして紹介されているのを見かけたことがあるかもしれない。作者のSophie Passmann氏は、ドイツでもよく知られる若手のフェミニズム活動家で、言うことも結構挑発的なことがあるので、ドイツのTwitterなんかでもよく話題にのぼるようである(私は知らなかったけれど、20代から30代前半くらいのドイツ人の知り合いや友人と話すと「あぁ、Passmannね」というような返事をよく聞いた)。そんな彼女が書いたこの本を「読んでみたいな」と思った理由は、挑発的なタイトルとは裏腹に彼女がこの本を書こうと思ったきっかけを綴った箇所にあった。

"Ich erkenne einen alten weißen Mann, wenn ich mich mit ihm unterhalte, ich weiß aber nicht, an welchem Punkt ein Mann sich dafür entscheidet, den Wandel als Bedrohung zu betrachten. (…) Ich wollte herausfinden, wann ein mächtiger Mann zu einem alten weißen Mann wird und - viel wichtiger - ob man es verhindern kann."

Sophie Passmann. "Alte weiße Männer. Ein Schlichtungsversuch." - Vorwort. S.11

ドイツ語で"alter weißer Mann"というと、単に白人でかつ年齢が高い男性を指すのではなく、「保守的で世の中の価値観の変化についていけず、自分が社会の中で特権や権力を持つことに無自覚で、自らよりも社会的に弱い立場にある人たちに平気で差別的なことや無理解な言動を起こす人」というような否定的なイメージで受け止められることがある(ただしこの本の中で"alter weißer Mann"をきちんと定義するような記述はなく、この表現=ネガティブなものという共通認識のもと話が進む。あえて言うなら終わりの言葉の箇所にはっきり書かれているかも)。それではある人が、この"alter weißer Mann"になるのはいつなのだろうか?何が理由なのだろうか?ということを知るべく、著名で社会・経済的に影響力を持つ白人男性たちにPassmann氏がインタビューを行った結果が、この本にまとめられている。「いつ?」という疑問が提示されていることから分かるように、この本に登場する男性たちの年齢は様々であるというのもとても面白いし、読んでいくうちに"alter weißer Mann"というのが、必ずしも"alt" & "weiß" & "Mann"という三つを満たしていなくても「保守的で世の中の価値観の変化についていけず、自分が社会の中で特権や権力を持つことに無自覚で、自らよりも社会的に弱い立場にある人たちに平気で差別的なことや無理解な言動を起こす人」でありうるというのが分かるのも興味深い。

"alter weißer Mann"とは?

この本に収録されているのは、15人の著名な男性とのインタビューをもとに書かれた彼女のエッセイで、中には現ドイツ経済相のRobert HabeckとのインタビューやPassmann氏自身の父とのインタビューもある。このインタビューのすごいところは、多くのインタビューの開始が"Sind Sie ein alter weißer Mann?"とダイレクトに聞いてしまうところだ。また、白人男性であるインタビューパートナーに"alter weißer Mann"を定義させるのも挑戦的ではあるが、この表現を各男性自身がどのように分析し、どのように見ているのかを知るためには最短距離とも言えるのだろう。例えば、インタビューパートナーの一人でSPD JusoトップであるKevin Kühnert氏はalter weißer Mannについて以下のように述べている。

"Es geht darum zum Ausdruck zu bringen, dass es eine Art und Weise im Umgang mit politischen Themen oder mit Menschen gibt, die sich subsummieren lässt, weil sie ähnlichen Mustern unterliegt. Also machohaftes Verhalten, arrogantes Verhalten, Besserwisserei, so was weltläufig Hochnäsiges ist das ganz häufig. Und ich weiß gar nicht, ob alle, die den Begriff benutzen, zwingend immer das Gleiche damit meinen. (…) Das ist die Gruppe, in der sich diejenigen befinden, die wesentliche Machtpositionen in der Gesellschaft innehaben. Es sind die Entscheidungsträger in Politik, in Wirtschaft, in den Medien. Und ich glaube, sie leben in einem Selbstverständnis, dass das so ist, so bleibt, auch Gründe hat, und das einer der Gründe sie selbst sind, weil sie gut sind. (…)"

Sophie Passmann. "Alte weiße Männer. Ein Schlichtungsversuch." - Den Sexismus kaputt reflektieren. Frühstück mit Kevin Kühnert. S.231-232.

"alter weißer Mann"のどのような点に着目するのか、どのように定義するのかはインタビューを受ける人によって異なり、またその着眼点やインタビューパートナーが従事する業界によってもインタビューの内容や具体的に議論が行われるテーマが変わっていくのも非常に面白い。Kühnert氏とのインタビューは政治というコンテクストでのalter weißer Mann、女性の社会躍進などがメインになっていく。その他の人たちとのインタビューで特に取り上げられるテーマの中で特に多かったのは、MeTooをはじめとするSexismusや、いわゆるFrauenquote(女性の割合)で、これについて高いポジションに就く男性たちがどのようにこのルールを見ているかというのも、"alter weißer Mann"かどうかを左右するように感じられる。

この本の中でPassmann氏が「この人はalter weißer Mannではない」とはっきりと結論づけることはあっても、「この人はalter weißer Mannだ」と断言するような記述はない。が、もちろん彼女が"alter weißer Mann"だと思っているのだろうな、と感じさせるような暗示はある。

男性はフェミニストと自称できないのか?

いくつかのインタビューの中でPassmann氏は、インタビューパートナーに「あなたはフェミニストですか?」と質問している。この質問も多くのインタビューパートナーをまごつかせるものであったようだが、ここから導かれるのは「男性はフェミニストと自称すべきではないのか?」という疑問である。Passmann氏は、もちろん男性フェミニストだっていても良いし、自称できないような雰囲気があることが問題である、というように考えているように思われる。以下、CDUのPeter Tauber氏とのインタビューで、同氏が社会の変化についていけず、特権や権力を女性に奪われていると感じ怒りを感じる男性たちについて、社会の中で実際に活躍することができるだけの能力や情熱を持つ女性たちが存在すると言う事実をこのような男性たちは受け入れなければならない、と語った箇所から引用する。

"(…) Ich weiß nicht, ob ich mich als Feminist beschreiben würde, aber da würde ich sagen, da ist noch dringend was zu tun." Tauber beißt entschieden in seine Eiswaffel. Irgendwas scheinen wir Feministinnen in den letzten Jahren und Jahrzehnten in Sachen Image wirklich doll falsch gemacht zu haben, dass selbst die Männer, die sich feministisch äußern, nicht so genannt werden wollen. Jetzt will ich mit meinem Feminismus ohnehin keinen Beliebtheitswettbewerb unter Konservativen gewinnen, aber diese Art der Ablehnung macht mich etwas ratlos.

Sophie Passmann. "Alte weiße Männer. Ein Schlichtungsversuch." - Den Männern mehr abverlangen. Eis essen mit Peter Tauber. S.170.

Tauber氏は女性の社会進出にポジティブな立場をとっているにも関わらず、フェミニストを自称することについては距離をとっており、このような拒絶についてPassmann氏は、これまでのフェミニストたちが何かを誤ったと考えている。Tauber氏はこの自らの立場の取り方について、実際にフェミニズムというテーマに自分よりもずっと長く深く取り組んできた女性たちへのリスペクトを示した上で、以下のように述べる。

"Ich nenne mich ungern selbst so, weil sich viele Frauen, die sich mit dem Thema lange und viel intensiver beschäftigen als ich, das dann als anmaßend empfinden würden - zu Recht." (…) "…wahrscheinlich gibt es auch viele, die würden sagen: Der Tauber ist ein alter weißer Mann, was will der jetzt da? Macht uns unseren eigenen schönen Begriff, über den wir eine Deutungshoheit haben, madig, indem er sagt, ich sehe den Feminismus so. Das will ich nicht."

Sophie Passmann. "Alte weiße Männer. Ein Schlichtungsversuch." - Den Männern mehr abverlangen. Eis essen mit Peter Tauber. S.170-171.

このような「内部でのジャッジ」はいかなるアクティヴィズムの中にも見られるように思う。例えば別のアクティヴィズムを挙げると、クィア活動の中にも、クィアである人たちの内で、特定の物差しで他のクィアの人たちやアライの人たちをジャッジするということがあるのは、クィアである私自身もよく感じる。「クィアを自称するならこうすべき」「アライ自称してるくせに」というように、自分がそのテーマについて持つポリシーや意見と合わない人たちをネガティブに評価したり、自分の意見を押し付けてしまったりするのは仕方がないことなのかもしれないが、それにより本来広めたい理解を到達範囲を狭めてしまったり、本来必要のない溝を深めてしまう可能性もあるということが、この箇所によく表れているのではないかと感じる。そして一人のフェミニストとして、Passmann氏はこのような状況を憂いている。

あまり好きになれなかった点

上記のように「ジャッジ」ということについて部分的には憂慮しているPassmann氏だが、「そんなこと言いながら、あなたもかなりJudgyでは?」と思ってしまう箇所もある。例えば、コメディアンのClaus von Wagner氏とのインタビューで、女性が経験するセクハラについて同氏が「自分にも娘がいるから、自分の娘が接する相手にどういう行動をとってほしいと思うかと省みる」と言った時のPassmann氏の記述を以下に引用する。

"Ich presse die Lippen zusammen. Ich höre dieses Argument ständig. STÄNDIG. Männer, die wie geläutert darauf hinweisen wollen, dass sie Feminismus für alternativlos halten, tun das häufig mit dem Rückgriff auf ihre Tochter. Ein wenig ulkig ist das schon, weil es dann eben automatisch so wirkt, als wollten sie sich krampfhaft ein wenig menschlicher machen(…). Im Prinzip sagt diese Argumentation nicht mehr als: Irgendwann ist eine Frau in mein Leben getreten, die mir wichtig ist, dadurch habe ich festgestellt, dass Frauen auch Menschen sind."

Sophie Passmann. "Alte weiße Männer. Ein Schlichtungsversuch." - Durchsichtige Strumpfhosen und vegane Butter. PIcknick mit Claus von Wagner. S.149.

確かに自分の人生において大事な存在となる女性がたとえいなかったとしても、フェミニズムや女性が抱える問題について意識を向けてほしい、というのはわからなくもない。だが、女性の権利や女性の抱える問題がまだ十分に議論されていない今の社会で、これを要求するのはまだ早いようにも思う。そして、何がきっかけであれ何らかの形でアクセスがなければ人間はそのテーマについて考えたり自分の意見を作り出したりさらに知識を深めようとすることはほぼないだろう。どういう理由である議論や問題点について考えるようになったか、ということよりも、その先に生まれるものの方が重要なように私自身は思う。このようなジャッジだって、直前に書いた憂慮の原因である「不必要な溝」を生み出す要素になりうるのではないか?…と、私は感じた。

その他私が一部「うーん」と個人的に思ったのは以下の点。
①描写にステレオタイプを感じてしまうところがたまにある。
②ヘテロ男性が"alter weißer Mann"に当てはまる可能性が高く、同性愛の男性にはこれはあまりない、という考察は果たして本当にそうだろうか?それも一つの決めつけでは?と思ってしまった。

最後に

色々書いたけれど、結果としては学びになる本だったと思う。フェミニズムに関する本ではあるけれど、フェミニズムをメイントピックにするのではなく、"alter weißer Mann"という表現とその裏側がインタビューを受けた男性たちにより考察されているという点が、この本を既存の議論や特集・本と異なるものにしていると感じた。好き嫌いはあると思うけど、私は読んでよかったと思った。他の人たちがどんな感想を持つか、ぜひ知りたいとも思う。

*今回のイメージはPixabayから採用しました。

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