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恥ずかしさを抱えながら開く。

毎日noteを書き続けて、もうすぐ170日になる。約半年間、毎日書いていることになる。最初は、役に立つことを書こうと頑張ったけれど、いまは完全に自分のために書き続けている。平日は自分がやっているGOOD&SHAREのコンテンツとしてエッセイを書いているが、土日は特にテーマを設けず書きたいことをつらつらと書き綴っているだけだ。

本当にとりとめもなく、思いつくままに書く。書いているうちに思わぬ発見がある。頭の中にある思考の断片をとにかく外に出す作業。お掃除みたいなものだ。これをやらないとホコリがたまる。普段からきれいに整頓しておくことで、ストレスもたまりにくくなる気がする。部屋を掃除していたら、昔の写真が出てきたり、懐かしい本が出てきて、それをよみふけってしまったり、再発見があったりするのと似ている気がする。

ま、とにかくこういう時間は必要なのだ。だからやり続けている。あとはnoteの更新記録を止めたくないというこだわりもある。せっかくここまで来たのだ。毎日書こうと決めたとき、まずは1ヶ月を目標にしたけれど、そんなのあっという間に達成できてしまって、どうせなら1年位書こうと決めたのだった。だから、1年はやってみよう。何か変化があるかもしれないし、ないかもしれない。

ここまでで変わったことと言えば、書くという作業に躊躇が多少なくなってことかもしれない。最近、商品を発売したのだが、商品説明やらPOPやらウェブサイトのコンテンツやら、とにかく書く量が増えた。そのときあまり時間をかけずに書くことができた。以前の半分かそれ以下の時間で済んだ。これは結構でかい。初速が早くなった気がする。書く技術が身についたのではなく、自分が思っていることを書くということができるようになったのだと思う。つまり恥が減ったのだと思う。

格好つけたりが少なくなったのだ。こんなこと書いたらレベルが低いと思われそうとか、恥ずかしいとか、そういうためらいがなくなった。これは大きい。隠すことがなくなったのだから。

そういえば、今年の新年の目標は「開く」だった。恥を捨てつつあるということは、開くまっしぐらでもある。気がラクになった。商品を発売するということは、さらけ出すということでもある。自分を売るということだ。自分以上のものはできないし、見せかけだけ繕っても見透かされてしまう。かえってダサい。だから、着飾るより、いまのありのままの自分をさらけ出すことが一番なのではないかと思う。

恥ずかしさを抱えながらも、少しずつ開いていくことによって、だんだんと応援してくれる人が増えてきている。先週から毎日注文が入ってきている。大変ありがたい。大学時代の後輩もどこから見つけたのか買ってくれた。コンセプトに共感してくれたそうだ。大変気恥ずかしかったが、とてもうれしかった。少しずつ開いていこう。怖くない。心配しなくてもいい。そう言い聞かせながら。


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