全ては良きに計らってくれている。
今朝は娘がぐっすり寝ていた。起きたのは9時過ぎだったと思う。娘が寝ている間に、新商品の試作を進める。これでいけそうと思ってたものを仕上げてみたら、なんだか違和感があった。なんか違うんだけど、どう直してよいかが分からない。うーん、こういうときちょっと溜息が出そうになる。一からやり直しかというよりも、一体どこからやり直せばよいのかがわからないのだ。違うのだけはわかる。仕方ないので一旦寝かそう。仕方ないのだ。
「終えられなかった」と考えるとマイナス思考になってしまうので、「これが違うというところまでわかった(進んだ)」としておく。こうした言語化の機微は重要だ。自分の位置をどこに置いてやるかで、足取りが変わる。その日の行動にも関わりがある。自分を大切に、丁寧に扱ってやる。
午前中に梱包作業を終わらせてしまう。有難いことに今日も朝イチで「ほめほめノート」の注文があった。これで12日連続で注文を頂けている。僕には上出来な調子だ。初月にこれくらい注文があればいいかなと想像していた数字を1週間で達成できている。
こういうとき「月当たり〇〇冊ペースだな」とか計算し始めると、よくない。数字にこだわり始めると大抵よくない。注文してくれた人は数字ではないし、お金ではない。一冊ずつ、注文がはいるたびにガッツポーズをし続けていたい。
沢山売れて欲しいのは間違いない。売れないより売れた方が嬉しい。自分がやってきたことを、他の人と共有できて、しかも喜んでもらえ、頂いたお金でおいしいご飯を食べれたらそれは最高だ。それは間違いはない。
だけど、それは想像しうる結果の一つに過ぎない。そのパターンじゃない喜びもあるはずだ。たった一つの結果にこだわるがあまり、想像もしていなかったほどの喜ばしい結果を受け取らないなんてことはおかしな話なのだ。けれど、こうしたことは往々にしてある。自分もそういうことをやってきた。
けれど今の僕は知っている。どんな出来事も全て僕の幸せにつながっているということを。結果は望む必要がないということを。全ては良きに計らってくれるということを。
だから、すべきなのは努力ではなく、楽しむことなのだ。今起きていることを享受する器を広げ続けることだ。欲しいものだけが入る器を持っているべきではない。起きていることを味わうのだ。
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