羊嫌いの孤独人

世界は平等じゃない。 結構ままならなかったりする。 人はあくまで他人だから、必ず分かり…

羊嫌いの孤独人

世界は平等じゃない。 結構ままならなかったりする。 人はあくまで他人だから、必ず分かりあえるわけじゃない。 それでも、世界を少しでも生きやすくするために何か書いてみようと思う。

最近の記事

雨から思いだす三つの話。

雨から思い出す三つの話。僕は雨の降る日にはいくつか思い出すことがある。 三つの話、ひいては雨にまつわる三人の知り合いのお話だ。 一人目は雨男の知り合い、二人目は昔の恋人、そして最近交わした大事な人。 個人的なお話を今回少し書き起こしてみようと思う。 一つ目。 皆さんの周りに雨男はいらっしゃるだろうか。僕の知り合いには一人、滅茶苦茶強い雨男がいる。 いや、冗談とかじゃない。この人、なかなかにすごいのだ。 いく行事行事、雨。雨、雨、吹雪に、嵐。 教師をやっている人なの

    • 「お金」という対価、人との時間。

      僕はちょっと前までコールセンターのアルバイトをしていた。24時間体制で、僕の場合はバイトできる日程が限られているので、夜勤で長時間勤務をしていた。所謂「クレーム対応」を専門としたバイトだ。 馬鹿にならないような電話代をかけて、たくさんの人が電話をかけてくる。電話の内容はちゃんとしたクレームであることなんて、稀も稀。 いや、場所によるのかもしれないけれど、うちの内容はクレームとかではなく、もはや「愚痴」か「悪口」か「説教」か、と言ったような、只の吐き出し口となっている。 冷静

      • 爪の先まで間違いなく一人の自分。

        僕はネイルをする。 あ、ちなみに「僕」と僕は言うけれど、別に「私」も「俺」も、「自分」も使う。さすがに自分のことを名前で呼ぶことはしないけど。 いや、でも自分の名前は好きだ。 話が逸れてしまったが、僕は生物学上の性別は女性にあたる。でも、別にその事実を深く意識しているわけでもないし、僕自身のことを「僕」「私」、それが示す「自分」という以外の何者だと思ったこともない。というか、別に性別や感覚、容姿その他様々な条件は一切関係なく、どんな人でもメイクにネイルにその他様々楽しん

        • 【死を通して考える「今を楽しむ」】

          その昔、古代ローマで、栄誉を手にした将軍に対して、そのしもべがこんな風な言葉をいう風習があったそうだ。 「MEMENTO MORI」 意味は「Remember your death」、「汝の死を忘れることなかれ」。 少し物騒だと思わないだろうか? 日頃から「死」について考えるような人に、少なくとも僕はそう多く会っていない。日頃から考えているとしたら、警察の刑事部や、法医学者、葬式や、あとは、病院のお医者さん、看護師さん、患者さん本人くらいだと思う。 (ちなみに、この辺の

        雨から思いだす三つの話。

          チームも個人も。

          とても久しぶりの投稿になってしまった。前の記事は3月らしい。自分の筆不精にあきれるところもあるけれど、自分のできる範囲でと決めて、無理してでもやらないといけない精神に陥らなかったことはほめていいと思う。 …こんなことは置いておき。 僕たちはしばしば、多くの人とチームを組んで何かを作りだす機会がある。社会の中でもあるだろうし、それぞれの家庭、学校、会社という共同体の中にもそれはある。 誰か人と話すことはとても貴重で、大切なことだ。 僕達の中には、それぞれしか持ちえない発

          チームも個人も。

          隣人との複素平面

          「ひとりでいると見えるもの、ふたりでいるなら見えないものも扱える」皆さんは高校で習う「複素数」「複素平面」を覚えているでしょうか? 複素平面とは、iを図上に表すためのものだ。 iというのはルートマイナス1とイコールとして定義する。 つまり、感覚的にぱっと分かる具体的な数ではない。1人でいるというのは数直線のことだ。 数直線では見えるもの【実数解】しか扱えない。 2人というのは複素平面のもう一本の線、虚数軸の存在と、先ほど述べた数直線、ここでは実数軸という名前になるが、

          隣人との複素平面

          夢は育ち、思いは生きる

          ある時、弟の部活のお便りを見る機会がありました。 そこにはこんな言葉が。 「夢は枯れ、思いは死ぬ。だから、そんなものを大切にするな。」 「君たちには見るべき現実がある」 僕は心の奥底が煮えあがるのを感じました。 本来、子供に夢を与え、そのサポートをするはずの教育者が、こんなことを書いている衝撃はなかなかに堪えるものでした。 「なんとなく」の多い世の中。マニュアルとルールの世の中。 それは現実かもしれない。言うことの聞けない人間を社会は排除したいのも少しは理解でき

          夢は育ち、思いは生きる

          「空気のような存在」たる隣人に。

          「空気のような存在」と言った時、どんなものを想像しますか。 空気を普段から意識することはありませんよね。 でも、空気がないと僕らは死んでしまう。 近くにいて、普段は意識しないけれど、実はかけがえない相手。 それを自覚しようものなら、その瞬間、「空気」でなくなる。 「あいつは『空気』だ」 そう、影の薄い人、自分にとって不都合な人も、呼びますよね。 でも、実はその人たちこそ、自分が生きるために必要不可欠な人。 受け入れることこそ難しいけれど、そう思います。 僕は

          「空気のような存在」たる隣人に。

          守られるものになってたまるか。

          名前の由来は自分の信念からでした。 「羊嫌いの孤独人」。 この名前をつけてまだ一日経っていないけれど、これから使って深みが増すことを祈っています。 さて、羊は嫌いです。自己紹介の記事にも書きましたが、嫌いです。 誰かに、何かに、常に守られているような、守らなければいけない存在が嫌いです。 少しでも自分で歩いて、走って、転んでいたい。 守られなくていい。傷つけられてもいい。 傷つけるでしょう。怖いこともあります。 それでもかまわない。その時には「孤独」でいい。

          守られるものになってたまるか。

          羊嫌いの孤独人の隣人探し。

          はじめまして。羊嫌いの孤独人です。 羊が嫌いです。弱くて、ただ守られているそんな存在。 人は必ず一人だと思います。 100パーセント一致する人はどこにもいない。 それがとても悲しいことに思えます。 でも、仕方のないことです。 じゃあ、少しでもわかりあうために、出来ることはやりたいと思って、書き始めることにしました。 拙いでしょうが、もしよければ、お付き合いください。 そして、一時、僕の隣人になってくれたら、本当にうれしいです。 #自己紹介

          羊嫌いの孤独人の隣人探し。