【発達障害】努力の方向
「努力の方向を間違いさえしなければ、なりたいものになれる」
今期の朝ドラに出てきたセリフだ。そしてこのセリフは、わたしの胸に深く深く突き刺さっている。
*
昨年発達障害の診断を受けたとき、わたしは安堵で涙を流した。
どれだけ一生懸命やっても出来ないことがたくさんあった。周囲はごく当たり前のように出来ているのに、わたしには出来ない。努力が足りない、やる気がない、駄目人間、ワガママ、出来損ない。自分で自分を責め続けた。
でも、違った。生まれつき持った脳の機能障害が、「出来ない」の正体だった。心底ホッとした。どれだけ頑張っても出来なかったのは、努力不足でもやる気がないからでもなかった。わたしは、駄目人間ではなかったのだ。
が、同時に凄まじい喪失感に襲われた。30余年という時間を、無駄にしてしまったから。
発達障害に気が付くまでの間、苦しさの連続だった。先天性の障害によって「出来ない」にも関わらず、それを知らなかったために30年間ずっと必死だった。それも、自分で自分をなじりながら。
過ぎてしまった時間は取り戻せない。
未来があるじゃないか、と言う人もいるけれど、突然死リスクがある病気を持つわたしには「明日生きている保証」なんてどこにもない。明日どころか次の瞬間死ぬかもしれない。目覚めるだろうか、と怯えながら布団に入ったことだって何度もある。来るか来ないかわからない未来に、期待なんて出来やしない。
だから、わたしにとって大切なのは未来より過去。そんな大切な過去を振り返ってみれば、後悔しかなかった。30年以上無駄に時間を使い、無駄に疲れただけ。
「過去があるから今のわたしがある」と思えるものなら思いたい。でも残念ながら、「今のわたし」は楽しくない。気力もない。わたしをそんな状態にさせた過去なんてくそ食らえ、だ。
なんだったんだ、この30年は。
*
努力の方向を間違えた。
空気を読むように、怒られないように、いじめられないように。そんなことに注力するんじゃなかった。出来ること・得意なことを伸ばす努力をするべきだった。
わたしにとっての「正しい努力の方向」は、それだ。出来ることと出来ないことの差が激しい、という発達障害の特性を考慮したら尚更。出来ないことより出来ることを優先した方が、ずっとずっと生きやすい。
…なんて希望があるみたいな言い方をしたけれど、
「努力の方向を間違えていなければ」
本当は、そんな後悔しかない。
努力の方向を間違えていなければ。あの努力を、時間を、出来ることに注いでいれば。
これからはそんな後悔をしないように、努力の方向を正さないと。
でも今は、ひとまず休憩。気力もないし。
軌道修正は、それから。
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「努力は報われる」
「努力は裏切らない」
のように、「努力」に対して特定の価値観や信頼を持たせなかった、かのセリフ。今までに聞いてきた「努力」の中で、一番しっくりきました。
肝に銘じよっと。
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