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向き合いたいけど向き合えない。

「あなたはアスペルガー症候群です」

昨年5月にそう診断を受けた。
その後、『そうよ、わたしはアスペルガー』というタイトルの記事を書くことにした。
でも、何も書けなかった。下書き、とは名ばかりで、本文には1文字も綴られていない。

特性を知るのが怖い。
発達障害の特性により「出来ない」「うまくいかない」ことがある。そんな自分の弱点を真正面から見つめ直すことは、こんなにも勇気がいるのかと思い知った。
そして、特性を知ったことで罪悪感を覚えた。その特性によって、周囲を困らせていたことがわかってしまったからだ。わたしの周りから人がどんどん離れていったのも、納得せざるを得なかった。
しかも、この先わたしが生きやすくなるためには、周囲の協力が不可欠らしい。皆に迷惑をかけていたのに、その皆に協力を求める。なんて都合の良い話だろう。そう思うと、申し訳ない気持ちと情けなさでいっぱいになった。

特性を知るのが怖い。
自分を客観視するようになって、「出来ないこと」がどんどんわかってきたから。そしてその「出来ないこと」は「こんなことすら」というレベル。
もう、これ以上知りたくない。知らなければいけないことはわかっている。でも、知りたくない。「こんなことすら出来ないのか」を知れば知るほど、わたしは何も出来ない人間なんじゃないかと気持ちが沈む。

ありがたいことに、両親はわたしが発達障害であることを受け入れてくれた。でも、当の本人-わたしはまだ受け入れられていない。受け入れなければいけない理屈はわかっているけれど、気持ちがそれについて行かない。
発達障害が悪いわけではないこともわかっている。特性にあった対策を取ったり工夫をしていないのがいけないのだ。
それに、発達障害はわたしを構成している要素の一つなのだから、それを否定したら自分を否定することにもなってしまう。

でも、怖い。

あしたは通院日。そのことを素直に先生に話してみます。
『そうよ、わたしはアスペルガー』
と自分と向き合える日を、いつかきちんと迎えるためにも。

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