ぼちぼち出していこうかな


んーと。私がnote始めてから5ヶ月ほど。
実はこれまでの投稿で、自分的に「アンタッチャブル」にしていて、公にしてない部分がありました。

ミエナイモノのはなし。神様とか、波動とか、平行世界とかシンクロとかその他スピリチュアル的なこととか宇宙とか。

「内省」の記事とかでは微妙に「平行世界」とか絡めてるし、呟きでも不思議系はチラホラ散りばめてはいるけれど、そんなに「ばーん!」と前面には出さないようにしていたんです。あえて。「わかる人にはわかるかな」くらいのさじ加減で。(私のスキをたどったら一発でばれちゃうけどね。笑)

それはなぜか。ずばり「人目が怖かった」んでしょう!(←ちびまる子ちゃんの丸尾君口調で)
人から「なんか怪しげ」って思われちゃうのが怖かった。あとは性格的な怖がりかなあ。

おそらく、一番大きいのは母親の影響(多分)。見えないもの界隈に対して、すごく怪しんだ見方をされるんですよ。ミエナイモノへの反応としては「えー?うそー!!」とか、そのまんま「なんか怪しい(しかめ面で首を左右に振りながら)。」とか。見えないものへの不信感がすごく強いの。当時はそれが多数派で、今もそういう人はいっぱいいるとおもうけどね。

そういうものを見るときの母親の反応をみて「なんか、こういうのは、触れちゃだめっぽい」と、幼心に思っていて、おとなになってもずっと抱えてきた。

うちの母親は、とてもとても心配性で怖がりで。そしていわゆる世間の"常識的な"人です。
私の幼少期から大人になるまで付近は、時代背景的にもいろんな思想や宗教があったり事件があったりで、そういった目に見えないものを乱暴に一括りにして「新興宗教」「カルト」とか、あとは「オカルト」に結びつけられてるような時代でした(今もそういう風潮ある?)。そういったものの「事件性」「破壊性」を報道するワイドショーやTVニュースなどを見たりして、怖くて防御反応としてそうなってしまった部分もあるとは思います。
そんなことが長らく続いて「宗教」「見えないもの」というものの全部が、なんだか眉唾なもの、怪しいものとして、捉えられていた気がするのです。
特に、昭和テレビ世代(私のまわりでは)。私の母親特有のものでなくて、結構広い世代にそういうのが浸透してると思う。

…ていうのも、なんでこんなことを書いてるのかというと、過去も現在も相方(私と同世代)が、二人とも
「なんか宗教ぽくて嫌。」という言葉を発したことがあるからです。

一人は、私が「家に仏壇みたいに手を合わせる場所とか神棚とかそういうのが欲しい!」と言ったとき。相方とは仲もよかったし何でも話せたし話も合った。だからそんなに反対されると思ってなくて。
私個人的に、仏壇の前でじいちゃんばあちゃんの写真見てチーンてやってお線香あげて手を合わせるって、小さいときからやってきてたし、やるとなんか安心するってのを大人になってから体感してたんだよね。
私はその時フルタイムで働いてて、何か日常でそういう心を落ち着ける時間、空間てのを欲しいなと思ってて。

実家には仏壇があったし、祖父母の家には神棚があったし。
相方の実家にも仏壇があったし、相方がそこでご先祖に普通に線香を上げて手を合わせてるのも私は見てる。だから相方が、かたくなに「自分の家にはそういうものを置くのが嫌」って言うのはなんでだろう?と考えちゃって。
その時の相方は「何かを危惧してる」雰囲気があった。理由を聞いたけど、なんかはっきりしない。「言葉に出してはいけない」的な拒否だった。
でも独特のピリピリした感じで「こいつ(私)は何かヘンな宗教にはまるのか?」とか「人が来たときに、うちが特定の宗教団体に属してると思われるのが嫌」みたいな感じ、があった。
過去の私自身も、街で何か宗教的な勧誘なんかをされると、防御反応として即座に「結構です」ってやってるから、これは「そういう拒否反応」なのだろうなって。


もう一人(現在)の方はネットの「癒やしの波長の音」の動画を流したとき。まあ、特定の周波数の音叉の「チーーン」て音だったから「川のせせらぎ音」や「クラシック音楽」とかじゃなくて、音として違和感もあったのかもしれないけど。でも、本人はギターも持ってるし、音叉の音はチューニングにも使うので、別に普通だろう、と私は思ってたんだけどね。

で、私と信頼関係のある二人ともが、そうやって「嫌」って言う理由、私が勧誘に即座に「結構です」って言う理由は一体なんなんだろう、と考えちゃって。
で、考えた結果、これはマスコミが流す「宗教の怖そうな部分を誇張したイメージ」を繰り返しずっと見てるうちに
「宗教」「見えないもの」=「怖い」「自分に危害を加えるかもしれない危険なもの」みたいなイメージになってる、からなのかなあ?って。

でも、今は私自身は、宗教的なものを全然、否定してなくて。だって聖書は噛み付いてこないし、古事記が私にお金を要求したこともない。ワイドショーは宗教に関してやたらと「洗脳」「マインドコントロール」っていうけど、あれも切り取り方であって。「マインドコントロール」に一番適してるのは、テレビさんあなただよって。(すんません、脱線しました)
もちろん過去は母の影響と、自分もマスコミによって「怖いイメージ」の刷り込みを受けてきてるので、「宗教的なもの」への偏見は、正直あった。

でも、テレビを見なくなり、そういった「変なイメージ」のついてない部分の宗教、聖書とか古事記とか最近ほんとにすごいなと思うし、仏教の教えもすごい救われることがあったし。心をもった人間として生きてくのに必要なものだと思ってる。
ただ、私は、いろんな宗教だったり神話だったり、占い(洋の東西問わず占星術やら四柱推命やら最近は宇宙系のも)だったり、考え方、スピリチュアル的な話etcを、色んなジャンルから取りこんで自分に落とし込んでいきたいタイプなので、どこかの集団とかに属するつもりはありません。
あえていうと、自分オリジナル教みたいなもんか。笑。
それは自分が納得したり生きやすくするための物なので、人に勧誘も布教もしません。笑

占いとかも昔から好きなんだけど、そんなに声高に周囲には言ってなかった。なんか占いとかと、メディアが報道する「宗教」「カルト」的なものが結び付けられてるような風潮がある気がしてて。宗教への勧誘入り口が占いだったりした、とかそういう影響かな。
そこも、「怪しい人」って思われるのが怖くて、「占い好き」すら周囲にはほとんど公言せず勝手に一人で本読んだりネットで読んだりして楽しんだり情報漁ったりしてた。

要は、テレビとか新聞とか大きなメディアで報道する「カルト」とか「宗教」って、「他の人に危害を加えたり」「洗脳」とか「マインドコントロール」とかいって「人を傷つけたり」「自分の意思を放棄させる」みたいなイメージを大きくとりあげるから、怖いわけでしょ?一部には過激なことをする宗教があるのかもしれないけど(よく知らないけど)、それがイコールすべての宗教ではない。

特別メディアにとりあげられることのない、心穏やかに日々を送るための知恵を共有する宗教というものが古来からあるわけです。
多分、古来、本来の宗教ってそっちがメインだったんだと思うし(勝手な推測)。
でも、そういう「いい部分」って「いいもの」なのに、なかなかメディアは声高には取り上げない。大衆の目をひきつけるような、刺激的でセンセーショナルなものじゃないから。

あれ?なんか書いてるうちに長々宗教とメディアについてに語っちゃった。
まあいいか。この記事も、ほんとは他の記事から派生して切り分けた記事だし、もう、これ以上切り分けるのめんどくさい。笑

ミエナイモノって仕組みとか因果関係がはっきりはわからなかったり、科学的証明(物質的証明?)ができないことが多いでしょ?
でも、実際に自分におきたことが、自分の中では「あー、これって、あの法則だなあ」とか「聖書の言葉のあれだなあ」とか結構、自分の中で腑に落ちてるものってのが沢山あって。

でも、目に見えないものを信じない人に「証明して」とか言われても(言われたことはないけど)、それはその人が「見えないものを信じないこと」信条にしてるから、それっきりなのよ。
だから、自分が「見えないものを、信じてる」というと、そういうこと言われるだろうな〜非難されちゃうかな〜、怪しまれるかな〜と私は防御体制で身構えてしまってた訳です。

不思議だし証明はできないし、信じない人は信じないで構わない。

だけど、やっぱり私は、絶対!!「ミエナイモノ」も「不思議なこと」も「ある!存在する!」と思ってるので、これからは堂々と出していくことにしようと思ってます。


…ま、でも、ここまで言っても過去記事の「非HSP擬態」の件と同じで、人生のほとんどの期間「そういったミエナイモノへの考え」を隠して暮らしてきてるから、また隠しぐせがちょいちょい出るかもしれないですけど。^^;(笑)

でもね、noteにはそういったことを発信してる方が大勢いるし、発見がたくさんあるし、全然違う分野のことがつながったりするので楽しいし、ここなら隠してきた自分も出せるなあと思って。めっちゃくちゃ、今更、ではありますが。

一応、これからの記事の前置きとして、宣言をここに書いときます。



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