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無職になることくらいあるだろうがよ

無職の23歳になりました


落ちこぼれなりに頑張って就活し、入社した勤め先を8ヶ月で辞めた。
大学4年生の11月末に内定をもらった会社だった。

もう人生がままならなさ過ぎて笑えてくる!ガハハ!!
中学受験は2月5日まで受けていたし、中高一貫校のくせに高校進学は危うかったし、大学受験も第3志望に進学した。親の金でごめんなさい。
大学入学後もあらゆる苦難から逃げまくり、不登校をかましたフランス語は再々履になった。思えば就活で苦労したのも、大学4年生のくせに週3みっちり授業を受けていたからかもしれない。

ありがたいことに交友関係にだけは恵まれているが、自分単体で見ればD評価の人生だと思っている。人によっちゃあこんな不真面目な人生を生きるくらいだったらとっくに自死しとるだろうな~と、思わなくもない。

が、この世に未練があるのと、痛いことは嫌いなのでまだ死にません。
あと普通に恨み節 思いの丈を書き殴っておきたい。今回はそういうnoteです。

パーティーの準備はできたか!????
金曜日の夜にふさわしい文章を残してやるぜ!!!!!!!(虚勢)

会社を辞めた理由

  1. 持ち帰り残業が常態化していたから

  2. 上司と反りが合わなかったから

  3. 企業文化に嫌気が差したから
    の3点です。1つずつ書いていくよ。

1.持ち帰り残業が常態化していたから

正直、これはどこの企業でもあることだと思う。社会人になって痛感したが、帰宅後や休日にメールやチャットの確認、タスクの整理なんて、多かれ少なかれ当たり前なんである。場合によっては仕事が終わらなくて帰宅後に資料作り…なんてこともある。日本経済は社畜が支えているので、多少の持ち帰り残業は覚悟していた。

ただ俺は思った。「タイムカードがないのはおかしくね!??」と。
結論から書くとタイムカードがなくても違法ではないらしいが、元弊社では明らかに勤務時間の管理がされていなかった。
面談では「日報メールで管理しています。」と言われたものの、社内で飛び交う会話からして、明らかに持ち帰り残業が常態化していた。

もちろん最初は(自分の手が遅いから仕事を持ち帰ることになっているのかも…)と思っていた。素晴らしい謙虚さ。さすが新卒
でもおかしいな。社長面談では褒められて給料上げてもらったし、上司からも「手が早い」と褒めてもらったぞ?これは自分の手が遅いのではなく、人手が足りないだけではなかろうか…。

とはいえ、お給料をもらっている身である。(社会人ってのはつらいモンなんだなあ。まわりでも辞めてるヤツなんて居ないし頑張ろう。)と数か月を乗り切った。

2.上司と反りが合わなかったから

はい!!!主な決め手はコレです!!!!!
ベンチャーあるあるで入社後2か月で直属の上司が変わり、入社して2年の先輩社員が即刻辞めた。所属部署は自分と、この上司(他部署と兼任)の二人だけになった。
どうでもいいけど、この文章メチャクチャ「2」が続きますね。どうでもいいんだけど。

あ、ここから愚痴が続くんですが、その前に一言。「この上司が全て悪いワケではない」です。
自分にも他人にも厳しい人で、会社で涙をこらえたことも多かったが、本当に成長させてもらった。その点は感謝しかない。
遅くまで残っていれば「まだ帰らないのか。」と声を掛けてくれたし、雑談を持ちかけてくれたりもした。元コンサルマンらしい、とても仕事のできる人だった。理不尽なことで怒られた記憶も殆どない。

自分にもっと責任感と上昇志向があれば、もう少し長く勤められた職場だったと思う。小さい会社だったので、不満も事前に伝えるべきだった。自分にも責任は大いにある。

ただイヤなことはイヤだったんで以下に列挙します!!供養供養!!!
これくらい許してくれよな!!!!ではいきます。

  • 「オメーは、」「これはゴミ」「クズじゃん」等、とにかく口が悪い。
    (ちなみに上司は40代女性です)

  • 「私だって土日仕事してますけど。」「営業が土日も頑張ってるのになんとも思わないの?」等、持ち帰り残業を求めてくる。

  • 「○○しろよ。」「社長からの誘いにYES以外の返答ある?」等、パワハラな振る舞いが見受けられた。

  • 彼氏の勤め先を聞いてくる等、デリカシーがない。

  • 就業中にイラつくと舌打ちや独り言が飛び出す。

こんな感じでした。
いわゆる「仕事ができる人」なので誰も注意できず、職場でも腫れ物扱いされていたな~と、余裕のある今なら思い返すことができる。

恐らく上司は「売上に貢献しているんだから多少の無礼に文句を言うな。」と考えるタイプで、自分は「売上云々以前に人に暴言を吐くな。」と考えるタイプだった。たぶん本当に、その価値観の相違だけです。

3.企業文化に嫌気が差したから

地味にストレスだった社会人のマナー(笑)について書いておきます。
はっきり言ってゆとりの戯言なのでイライラする方はスルーをおすすめします。俺は逃げられるストレスからは逃げたいんだ。許してください。

  • ノー残業デーにゴルフ練習に付き合わされる
    社長のポケットマネーだとしても嫌だった。終業後なんだ、早く家に帰してくれ^^

  • 週末ゴルフ旅行に付き合わされる(回避した)
    ゴルフが上達する前に辞めたので回避できたが、およそ月イチで週末のゴルフ旅行に付き合わされる。ちなみに社員のみで接待でもなんでもない。しかも自費。本当に意味がわからない。ただでさえ持ち帰り残業がデフォなんだ。休日くらい休ませてあげてくれ^^

  • 昼休みが15分前後しかとれない
    件の上司が昼休みも平然と仕事をするので、全く気が休まらなかった。弁当を食べていても平然と業務連絡で話しかけてくる。上司の隣でのうのうと弁当を食べるワケにもいかず、昼休みは基本的に15分以内に収めていた。みんな休め馬鹿野郎^^

  • 入社後、一度もリモートワークにならなかった
    社員30人未満の規模の職場で新型コロナウイルス陽性者が出ても全員出社だった。なんなら自分は濃厚接触者に該当したが、リモートワークにならなかった。一時期は時差出勤やリモートワークもやっていたらしいが、なぜこんなことになったのか。IT業界が聞いて呆れるぜ^^

会社を辞めるまでの流れ

密着!社畜の1日

自分で言うのもアレだが、本当に突然会社を辞めた。それまでは我ながら頑張って働いていたつもりだった。
年俸制で、残業代が支払われるわけでもなく、というか勤務時間はまともに管理されておらず、それでもなんとか持ち帰り残業をこなしていた。
生々しく記録するとこんな感じ↓です。

5:00   起床
自宅で昨日終わらなかった業務をこなす。
7:30 身支度開始
8:15 出発
電車内でWEBメディアと担当サイトのSNS、時事ニュースをチェックしてから少し寝る。
9:30 出社
メールチェックと社内の掃除(週一)を行う。
10:00 定時
12:30~12:45 昼休み
飲食店で外食する日はきちんと昼休憩できる仕組み。基本は弁当を食べつつPCを触っていた。
12:45~19:00 定時
お腹が空くのでお菓子つまみつつ仕事。新卒のくせに社長への成果報告も行っていた。胃のキリキリが止まらない。
21:00 退勤
両親から「帰宅時間が23:00を過ぎる場合は最寄り駅から家までタクシーを使うように。」と言われているので、タクシー代を支払わずに済む21:00に仕事を切り上げる。
21:00~22:30 移動
電車内で担当しているWEBサイトのSNSを更新し、課題図書を読み進める。
22:30 帰宅
思えば10月くらいから(朝起きられなくなると困るな…)と晩酌を止めていた。社畜根性の賜物。
23:30 就寝
アラームを3つかけて絶対起床の覚悟で就寝。

とてもフランス語が再々履になった奴の一日とは思えない。今書いていてもビックリの生活である。つくづく、実家暮らしだからできた生活だった。

「もう無理だな」となった日

その日もいつも通り5:00に起きたが、マズいと思っているのにベッドから出られず7:30を迎えた。今日報告予定のレポート作成が終わっていないがしょうがない。週末に仕事を進めなかった俺が悪い(今思えば持ち帰り残業を常態化している会社が悪い)。

(あ~あ、今日も上司の機嫌をうかがいながら仕事するのか。最近ゴミとかクズとか言われても適当に受け流せるようになってきたな。午後から出社してくんね~かな。)などと考えつつ、渋々身体を起こした。
なかなか部屋から出てこない自分を心配したのか、その日は母親が「会社行かなくていいの。」と声を掛けてきた。

ここで何かのスイッチが切れた。

行かなくていい。今日は休む。」と言ったが最後、ガン泣きした。ベッドの上で23歳大号泣。うるせえ、大人も泣くんだよ。
受験も就活も失敗ばかりでごめんなさい、頑張っているつもりだがどうにもならん、あと上司がクソだ、と久しぶりに泣き喚いた。基本的に見栄っ張りで家族の前で泣いたりしないので、母親動揺。父登場。会場ブチ上げ。

ひとしきり泣いた後に「あと会社辞める。」と言った。
もうどうにでもなれという気持ちと、ここで働き続けても未来はないという気持ちと、なんで自分の人生はあまり上手くいかないのだろうな、という気持ちがあった。親に申し訳なかったが、脛はありがたくかじらせてもらうつもりで言い放った。

そんなんで社会でやっていけると思っているのかと叱られるかと思いきや(実際今までは叱られてきた)、両親は「うん、そうしな。かわいそうだったね。」と返してくれた。
後から聞いた話だが、ここ1,2ヶ月暗い顔をしていたのでそろそろ限界なのではと心配していたそうだ。そういえば母親が「社会人になってから見違えるほど頑張っている。」と褒めてくれたっけか。さすが両親である。伊達に二十数年育てていない。

そしてこの日を境に会社には行かなくなった。
いわゆる「飛ぶ」辞め方だった。この点には反省しかない。自分が100%悪い。連絡には返信していたので「ばっくれ」ではないが、それでも良くない辞め方だった。退職代行等は使わず、メールやチャット(最後は渋々電話で)やり取りをして、あえなく退職となった。社長には手紙だけ書き、人事の方に託した。

とりとめもなく思案

ぼくは自分に甘いだけ

簡単に言えばメンタルブレイクして会社を辞めた。ある日突然メンブレしたことからしても、また過去の経験から言っても、十中八九うつ病など病名のつくものではないと思う。ご飯は美味しいし、きちんと眠れているし、楽しいと思えば笑える。

そもそも広告やマスコミ業界に就職した新卒はもっと激務のはずだ。通勤中に資格勉強するのも、時事ニュースをチェックするのも、自宅で毎日2時間仕事をするのも、人によっては当然なのかもしれない。憧れている優秀な人たちは息を吸うようにそういう努力ができるのかもしれない。でも私はそうした小さい努力が継続できなかった。要は自分に甘いから会社を辞めた。

でも死ねないし、死なない

こういうメンブレは今に始まったことじゃない。メンタルが上下しやすいのも、逃げ癖があるのも昔から。偏差値50は越えるけど55は越えられなくて、中の上がいいところ。冒頭にも書いたが自己評価Dくらいの人生だ(たぶん本当はもっと恵まれているんだろうけど)。
リスカやODは怖くてしたことないけど結構安易に死んじゃおっかな~とか考えるし、リビングで首を絞めてオエッとなったこともあるし、夜中に裸足でベランダから下を覗いたこともある。もしかしたら26,7で耐え兼ねなくなって死んでるかもしれない。

が、今のところは死ねない。自分に甘いから死なない。ダメな奴なりに生きていくしかない。死ねない限りは。

後日談

とりとめがなくなってきたので、ここで無理やり後日談。

まず、会社の人と箱根に行った。挨拶もせず迷惑をかける形で辞めたので険悪になるかと思っていたが、心配して連絡をくださったのである。しかも「次の転職が上手くいくように」と神社巡りを企画して箱根に連れ出してくださった。本当に感謝しかない。

天気も快晴で最高の一日だった

つぎに、根付いていると思われた他の社員さんも転職を検討していることがわかった。人によっては既にこっそりと退職が決まっている方もおり(自分が軟弱なだけではなかったのかもなあ)と少し安心した。

最後に、件の上司からのパワハラをかねてより心配されていたことも発覚した。ほぼ毎日何かしら罵倒されていたので自分が不出来なのだと思い込んでいたが、両親だけでなく他の社員さんも「高井の気持ちはわかる。よくやってたよ。」と声を掛けてくれた。
わりと息が詰まる思いで出社していたが、辞めてみると案外まわりに味方が居たんだなと気づかされた。次はこんな思いをせずに働きたい。辞めるときも、きちんとお礼を言ってから辞められるといいね。

以上です。

世間一般から見れば甘いヤツの戯言だし、まわりは優秀な人ばかりで眩暈がするし、この先もどうせ何かが上手くいかない(と感じる)のでしょうが、それなりに過ごします。

この文章を読み切った酔狂な方へ。
どんなに自分がダメでも、まわりから罵倒されても、何もできなくなっても次の日を迎えてください。
あとこの曲を聴いてください。



では、おわります。

「ほ~ん、なかなかよかったですよ。」と思われた酔狂な方は、以下よりサポートいただけましたら幸いです。気が向いたときだけで十分です。ありがとうございます。