それは”脱毛”という名の希望の方舟
2年前の正月早々、私のスマホ画面の下の方にとある広告が現れた。
「メンズ脱毛!なんと!!いまなら500円!!!」
正しい文面は記憶にないが、テンションと内容はこんな感じであった気がする。お年玉が貰えない正月の存在意義に苦悩していた私は、気を紛らわせるために500円ならまあいいんじゃねという軽い気持ちで鼻毛を抜きながら申し込んだ。
決して髭にコンプレックスがあるわけではない。単純なる好奇心である。
脱毛がもたらす悦びを疑似体験できればいいかな、そのような軽い気持ちで私はエステに訪れた。
受付をすますと待合室に通された。目の前にはモニターが一台あり、コンビの芸人が映っている。
「うわ、毛濃ゆ!気持ち悪!」
コンビの芸人の内、体毛が濃い方が相方に身体的特徴をディスられ、話の流れからそいつに脱毛をさせるというストーリーの動画。
最終的に彼はツルツルになって自信に満ち溢れたオーラを醸し出す、みたいな流れになっているのだが、問題はこの動画が延々とリピートされるとこにある。
毛が濃い→毛が濃いのはキモいモテない→脱毛→輝く
この起承転結が永久にループされる。待合室にいる人たちは特にやることがないのでモニターを見続ける。モニターを見続けた結果、毛が濃いのはビジュアル的にマズいということが脳内に刷り込まれ、「ああ、毛が濃い人間は人間失格なんや」という気持ちになる。
そんなことは決してない。決してないのだが、モニターをみつつ無意識に自分の腕の毛を確認してしまう。そして、あごヒゲを撫でる。最終的に待合室の人々の中で謎の連帯感が生まれる。
よかった……私たちは脱毛と言う名の希望の方舟に乗れている……
私たちは同志……ともに脱毛の方舟で新世界へ漕ぎ出そう……
横目で仲間たちの体毛を確認しつつ、心はそのような感情で満たされる。
毛を抜くという共通の目標を掲げ今日この瞬間この場に集った私たちは絆で結ばれた。
あごひげの松田があごを撫で、腕毛の権藤が腕毛をなびかせている。あと数分後には、あごひげの松田はツルツルの松田に、腕毛の権藤はツルツルの権藤になるのだ。無毛地帯だ。One for All, 無毛 is freedom。
ちなみにほくろ毛にレーザーはあてられないぽいことを知り、私が咽び泣いてしまったことは言うまでもない。
しばらくすると、あごひげの松田が呼ばれた。私は心の中でエールを送る。腕毛の権藤も呼ばれた。権藤の腕毛が見られるのも今日が最後かもしれない。
ツルツルになってこいや、と隣の耳毛の山本が呟いた。
「岡安さんどうぞ」
ついに私が呼ばれた。高まる鼓動、はじけるほくろ毛。はやる気持ちを押さえ、私は通された小部屋の椅子に腰を下ろした。
「こんにちは、本日担当させていただきます島森です。」
島森。
よく見ると島森はツルツルだった。毛深そうな名前をしているのに。
「私も昔、ひげ脱毛したんですよ。」
島森は言った。
そう、島森は遥か昔に希望の方舟に乗っていた。
「年を重ねると毛が濃くなるんで今のうちに脱毛した方がいいですよ」
脱毛に年齢制限はない。しかしながら、若いうちに手を打たないと希望の方舟に乗り遅れてしまうということを暗示している。
「とりあえずモニターで毛をみてみましょうか。」
島森が謎の装置を持ってきた。自分の毛の状態を拡大してモニターで見れるらしい。
こ、この装置は島森が開発したのか?その問いに島森は答えず、私のあごひげの拡大画像をモニターに映した。
「シンプルにグロい」
私は思った。
モニターに映っていたのは、密集するひじきの集団。
所狭しとひじきが並んでいる。肌に髭が生えているというより、髭に肌が生えているという表現が正しい。画面がひじきでブラックアウトしていた。
「こう見るとすごいですよね。そんなに濃くないようにみえても……」島森が畳み掛ける。私の脳裏に「ああ、毛が濃い人間は人間失格なんや」という感情が再度湧き上がる。
それでは実際に脱毛していきましょう、と島森に連れられ、ベッドに寝かされた。目にガーゼのような物を掛けられ、視界が真っ暗になる。ブラックアウトだ。先程の所狭しく生えたるが如しのひじき達を思い出す。
松田はそろそろツルツルになっただろうか……
松田の施術に思いを馳せていると、いきなり毛を1本抜かれた。しかし、想像していたよりは痛くない。
希望の方舟に乗る代償はお金とほんの少しの痛みだけであった。
そして、100本ほど抜かれただろうか。施術が終わった。
少し顎がジンジンする。ジェルを塗られしばらく放置された後、また私は小部屋に戻った。
これが脱毛後の写真です、そういって島森がわたしの顎の写真を出してきた。
そこにひじきはなかった。ツルツルになった私のあごだけが映っていた。島森が畳み掛ける。「これを定期的にしていけば数か月で……」
気がついたら私は契約の判子を押していた。体験コースにとどまらず定期的に抜くやつだ。島森は言った。
「これから宜しくお願いしますね。」
待合室に戻るとツルツルの松田とツルツルの権藤がいた。松田と権藤は心なしか輝いているように見えた。
「お疲れさま」と私は呟いた。
モニターではまた体毛の濃い芸人が相方に「毛濃!気持ち悪!」とイジられている。眉毛つながりの川島と、うぶ毛散らしの谷村が食い入るように画面を見ている。
耳毛の山本はまだ戻ってきていない。
わたしは眉毛つながりの川島とうぶ毛散らしの谷村にアイコンタクトでエールを送ると、ツルツルになった自分のあごを撫でながらサロンを後にする。
「ツルツルの松田はあごひげある方がイケメンだったな……」
空を見上げると、ひじきのような長細い雲が浮かんでいた。