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平等は違いから生まれる


違うからこそ、平等

「平等」と「イコール」は同じ意味ではありません。「平等とはそれぞれ個々が自分にしかない価値を社会に提供することで生まれる」と以前書いたことがあります。

例えば手の5本指。みんな長さ、太さ、位置が違う。仮に全部が同じ長さ、太さ、向きだったら手として機能しません。どの指が優れているとか、劣っていて使い物にならないとか、そんなふうにはならないですね。5本指は、違いがあるからこそ1つの手として成り立っていて、私たちは手を器用に使うことができます。

私たちの職業にもみんな違いがあります。管理職の人は偉い?給料が低い人は低レベル?偏差値の高い大学卒は有能人材?繰り返しますが「優劣」や「上下」ではなくそれぞれ個々に違いがあり、違いがあるからこそ欠かすことができなくて、その先にこそ「平等」という価値があります。

男女という相対する存在もまた「優劣」や「上下」ではない、お互いに違いがあると認めた上で「平等」であり、いま自分にできることを精一杯やることが、価値の提供であり、その先に平等で平和な社会があると考えます。

私たちの著書『リーダーとして論語のように生きるには』では、この価値の提供を「本分」という言葉で表し、以下のように定義しています。

「本分」とは、自分の生まれ持った資質を理解し、やるべきことを理解し、資質を活用してそれを「やり尽くす」こと(p143)

『リーダーとして論語のように生きるには』車文宜・手計仁志

やりたいことがない、見つからない

「本分」の話題になると、よく自分が何に向いているのか、何をやるべきか、やりたいのか分からないという声を聞きます。そして、やりたいことを見つけなくてもいいという意見もあります。

子供のころは「何になりたい?」と聞かれたら、やりたいことを即座に答えていました。でも大人になり、気づけば即座に答えられない自分がいたりもします。経済的状況、学歴、社会的ポジション、他者からの批評、自己の存在価値、優越感や劣等感などのさまざまな背景から、色々な心配ごとや雑念に追われていつの間にか辞めてしまっています。やりたいことへの好奇心を持ちづづけることは、思ったよりエネルギーが必要ですね。

Human Capital Management(人的資本経営)

この経営の表面的な部分だけを切り取った動きには共感していません。経営と人の本質を捉えて、より良い社会を実現するためであれば、人的資本経営という言葉の波に乗る必要もないと感じています。以前、東洋思想から見るヒューマンキャピタルでも書きましたが、「個人が自身の本分を明確にすることで、自身が活躍できる場、企業が明確になります。そして企業も本分経営をすることで、どんな人材と共に成長していきたいか明確になる」と考えています。

そもそもHuman Capitalは経済学の概念

Human Capitalという言葉の起源は1700年代と言われています。現在の定義や価値とみなされる要素を英語で調べてみました。
*無料の翻訳ソフトで大体の意味が読めるので日本語訳は省略します。

  • The skills the labor force possesses and is regarded as a resource or asset.

  • The term human capital refers to the economic value of a worker's experience and skills.

  • Human capital consists of the knowledge, skills, and health that people invest in and accumulate throughout their lives, enabling them to realize their potential as productive members of society.

  • Human capital includes assets like education, training, intelligence, skills, health, and other things employers value such as loyalty and punctuality.

つまりHuman Capitalとは、従業員の持つ経済的価値を表したものであり、その価値は、教育投資によって成長を期待したり、労働力や生産性が高まったり、会社への忠誠心が増したりと、会社組織や市場全体にとっても大きな経済的価値を創造します。そして従業員への投資前後の総利益を計算することで、いまや人的資本の投資収益率(ROI)という形で表すことも可能になりました。

では、いま私たちが得ている給与や収入は、私たちの持つ価値への評価金額なのでしょうか。人の価値を経済的指標だけで測れるの? 評価金額が高い人は優秀なの? 業務が変わったり、転職したり、国や地域が変わったら人の評価される部分が変わるの? 私の価値はあなたの需要に応じて変わるの? AIの登場で私たちの価値が下がったらそのうちセール品になるの? それでも市場原理の中では平等といえるの?

車文宜・手計仁志

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