『貞観政要』と三つの鏡(2/3)~歴史の鏡~
前回に続き、今回は2つめの「歴史の鏡」について解説します。
1.歴史を学ぶ難しさ
「以史為鏡、可以知興替」の部分です。歴史"を"というより歴史"から"学ぶことにより、これまでの王朝がどのように興隆し、そして衰退していくのかを知ることができるという趣旨です。ここでは興隆と衰退における因果関係について着目しています。
以前に四書五経『大学』が語る無為自然で書いたように、
『弟子規』などの基本概念を理解しないまま『論語』を読んだり、『三国志』や『孫子』に手を伸ばしても、活用できる部分は限定的です。安易に現代語訳を読めば、間違った情報がインプットされ、誤解が拡大していく原因になります。歴史の基礎である四史に辿り着く前には多くの経典をしっかり体得する必要があります。つまり「歴史の鏡」は、かなり文学が進まないと使えない鏡なのです。
2.Butterfly Effect(バタフライ効果)と因果関係
この言葉は、1972年に米国の気象学者エドワード・ローレンツが講演の際に「非常に小さな出来事が、最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながる」と提言したことに由来します。東洋思想の因果関係にも「萬法因縁生 」という言葉があります。全ての事象は因と縁で生まれ、その結果については下記の3つの性質があるとされています。
1. 果はある程度予測可能
2. 果は増大・拡大する
3. 果は受け止めるのみ
つまり因と縁を見れば、どんな結果になるか大まかには予測ができます。しかし結果は原因より大きく、範囲も広く、「嘘吐きは泥棒の始まり」のように小さな兆候は将来の大きな罪につながります。どうにかして違う結果に変えることはできないので、結局は受け止めるしかないとしています。
すでに出た結果に対して処置を加えると、必ず副作用が発生すると考えられているため、期待する結果を得るためには縁の手前の因の部分で処理をします。悪念によって始められたことが善い結果を出す可能性は低いということです。しかし、バタフライ効果の主張のように絶対的ではありません。100%悪念でも、途中から善い念が5%でも出てきた瞬間、良い結果に少し傾くのです。
3.『弟子規』に見る、断悪の凄さ
普通にしていると悪に流されやすいが、改めることは困難ではない、と『弟子規』に記載があります。
全ての人は善と悪を両方持っており、この二極の間を行ったり来たりしています。波が大きくなったり、小刻みになったり、緩やかになったりと常に変化します。諸行無常。
私たちは人を軽々しく評価してはいけません。歴史を通して因果関係を学ぶには、悪の中に善を見出し、善の中に隠れている悪を見抜き、人や物事の本質を見つめることができなければ精進しません。
次回は「人の鏡」、最終章です。お楽しみに!
車文宜・手計仁志