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たし蟹🦀私も書けるようになるまで四半世紀以上かかった件

 書きたいと思ったのははるかむかしなので覚えてない。昔すぎて、夏の国、禹王の頃とほぼ大差ないぐらいである。

 実際に書き始めたのは高校生ぐらい。原因は、先生に、あなたは書くことを仕事にした方がよいと言われたことと、女に、あんた才能あるよ、と言われたから。鵜呑みにした。 

 しかし書き始めたが、かける訳はなかった。書くことなんてない。現世に産まれて僅か十数年、前世の記憶もその頃はまるでなかった。

 というわけで、十数年書こうともがいて、詩を書いたり、脚本を書いたり、舞台で俳優みたいなことをしたり、小説をかいたりしたけれども、どれも書けたとは思えない文章だった。台詞も、借り物的な。

 そのあいだ、暇なのでいろいろな本を読んだ。純文学がすきだった。私小説が肌に合った。そのほか、ミステリとか評論とかエス・エフも読んだ。色々ね。DVもあった。

 子どもができたので、仕事に集中した。子育て、家事、仕事、夫婦喧嘩、夫婦和合、男女の関係などなど。大震災があり、居を移した。

 そこでまた就職活動、採用試験の勉強、育児家事バイト夫婦喧嘩、親子喧嘩、家族団欒、夜這い、アクメとスペルマなどがあった。

 気がつくと私はもう年寄りになっており、その頃急に愛妻が病を得、家事介護仕事、と、へとへとになっていったん休み、ということになった。休みまくった。寝まくった。

 するとある日、突如として書けるようになった。そこらへんの変遷の具合はよくわからない。滅茶滅茶書けるようになった。

 なんでも書ける。むしろ、書かない状態であることのほうが難しくなった。

 これは自慢みたいに聞こえるかもしれないが(自慢ではない)わからないのだ。

 書くことがないというのが全然わからない。

 目のまえをちょっと見てよ。動かないものがそこにありますか?

 書くほうからすれば、動かないもののほうが都合がよい。スケッチしやすいじゃん静物画とか。しかしそんなものはない。

 ぜんぶ動いている。手をやすめるひまはない。むし(ろ)書かないということの方が断然ありえない。見過ごしているから。

 そう思うんだけど。どうでしょう。

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