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禁句 第21話

第1話はコチラから


 それから、視線を再び足元へ落とした。

 何度も言わせるなよ、という含みを感じ、武井は苦笑いする。

「そうだよな、そう言ってたよな」

 それから坂道の先へ視線をやり、武井は続けた。

「俺もね、そう思ってたんだ」

 かつて父親と歩いた光景を、悲しみを浮かべた表情を、まざまざと思い浮かべる。

「俺も、そんな風に言って、お父さんを悲しませたことがあるんだ」

 少女の視線が、再び武井を見上げる。

「そう、悲しい顔してたよ」

 武井が少女を見る。
 女の子は話を聞いているようだった。

「いない、なんて言わなければよかった、って思った。
 俺も、お父さんが好きだったんだ」

 武井は道の先へ視線を戻す。

 父親の顔を思い出す。
 本当は好きだった、父の顔だった。

 仕事は続かなくて、母親に苦労も掛けてきたけれど、それでも精一杯に自分を愛してくれた父だった。

 そんな父を、本当は好きだった。
 離婚しても、武井にとっては本当の父親だった。

 ただ、離婚したあとは素直になれなくなっていた。
 離婚して父親と暮らせなくなる寂しさを、父親自身にぶつけていた。

 父親と一緒に暮らせないのは、父親がうまく仕事を続けられないせいなんだ、経済的に苦しんだ母親が離婚を選んだのも、父親のせいなんだ、と。

 しかしあの時、父親が悲しい表情を浮かべたあの時、武井にも心のどこかで謝りたい気持ちがあった。

 あの時、素直に謝れていれば。
 父を失う前に、もう一度素直に気持ちを伝えられていれば。

 だが、父親は死んでしまった。
 クリスマスイブの夜、車に当て逃げされていた。

 持ち物にはサンタクロースの衣装と、プレゼントがあった。
 どうして聞き出したのか、プレゼントは武井の欲しがっていた天体望遠鏡だった。
 母を通じて、そのプレゼントを受け取った。
 母は、少しやつれて見えた。

 武井は、悲しすぎて涙も出なかった。
 もう謝れないむごさを、さらに父への憎しみに転嫁した。

 気付けば、ずっと昔から父親を憎んでいたことになっていた。

 悲しみを受け入れられないまま、記憶さえ歪めて遠い過去に置き去っていたのだ。

 クリスマスを嫌う本当の理由は、父親への憎しみではない。
 失うことの悲しみだった。

 奇妙な日だな、と武井は思う。

 こんなこと、今さらどうにもできないのに。
 でも確かに、俺は謝りたかった。

「だからね、俺も謝りたかったんだ。
 でも、サンタクロースは本当にいないから、謝ることもできない。
 さて、どうするか」

 ここで、少女の反応を見る。
 依然として武井を見上げ、話を聞いている。

「ところがね、いたんだよ、サンタクロースが」

 女の子が眉を顰める。

 それはそうだろう。
 こんなに幼い少女が割りきった事実を、大の大人が蒸し返している。
 非難を通り越して心配されても仕方のないことだ。

「見たんだ、この目で」

「嘘」

「本当だよ。
 ちょうどクリスマスイブの夜で、そう、この先に広場があるだろ」

 少女は肯きもせず、武井を見上げている。

「そこで見たんだ」

 武井がそこまで言い切ると、少女は顰めた眉を悲しそうに下げて、俯いた。

 失望が、武井には見えた。

「嘘だもん」

「嘘じゃないって」

 慌てないように気をつけ、武井は答える。

 信じては失望し、それでも、もしかしたら、という希望を幾度となく砕かれ、少女は割り切っていたのかもしれない。

 失望には、それなりの深さがにじみ出ていた。

「それじゃあ行ってみようよ、その広場に。今日辺りいるかもしれない」

 少女は顔を上げない。

「その広場、何度も行ったことあるけど、サンタクロースなんてみたことないもん」

「クリスマスイブの夜には、行ったことあるのか」

 少女が首を横に振る。
 武井は内心、ほっと胸を撫で下ろす。

「それじゃあ行ってみよう」


***

(続く)

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