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千葉雅也『現代思想入門』(講談社、2021)

 ノロノロと3週間ほどかけてようやく読み終わった。なぜこんなに読むのが遅いのだ。

 前半三章がデリダ、ドゥルーズ、フーコーの3名の紹介となっていて、脱構築の紹介が非常に分かりやすい。個人的にはドゥルーズを通過してきていないので、ややイメージしにくかったが、デリダ、フーコーに関しては非常に分かりやすく頭に入ってくる。後半はラカン辺りまではついていけるのだが、否定神学がどうしても頭の中に入ってこないのはこちらの頭の問題なのだが、やはりそれを思うと、前半の三人の紹介は非常に面白いと感じられる。これは興味のない人が読んでも面白いのは間違いない。

 現代思想を概観した後、最後のまとめとして現代思想の読み方レッスンのような部分がまた興味深い。千葉はまず読書を通じて一冊の本を全て理解することは不可能であるとの前提に立つ(この議論こそが千葉が強調する現代思想それ自体の特徴でもある)。そのため思想を読む際の再読の必要性を訴えていくのだが、フランス現代思想を読み解く際のポイントをまとめている。

  1. 二項対立を意識する

  2. 固有名詞や書かれている豆知識は基本無視(飾り付けにすぎないだから)

  3. レトリックは気にしない(これは個人的に結構難しい、レトリックかどうかを判断するのは読み慣れないと難しいし、大体レトリックに引っ張られて思考が中断する)

  4. フランス語で書かれているので、英語の構造も意識すると読みやすい

この四つである。そしてドゥルーズの『批評と臨床』の一節やデリダの『哲学の余白』を例題として取り上げ、読み方の解説を行う。例題として採用されている一節も手応えのある部分だが、こういうところが千葉雅也の勉強に対する姿勢が見えていて非常に好感が持てる。

 千葉は後書きで30代では書けなかったこのような本を書くことができたのは「人生の折り返し地点になってやっと、もう書くしかないや」と思ったからだと述べる。千葉は僕の一歳年上だが、本書で述べられている人生の「有限性」を意識している。「有限性」こそが文章を書く際の重要な要素ともいえるのだろう(これは確か以前読んだ『ライティングの哲学』でも述べられいていたような記憶がある)。そして次のような印象的なことを述べる。

「九〇年代末から二〇〇〇年代の大学生活を通して経験した現代思想のある種の読み方をアレンジしたものです。僕が学んだのは東京大学大学院総合文化研究科、いわゆる「駒場」で、本書の説明は駒場での現代思想観の一例だとも言えます。過ぎ去った一時代と場所の記憶が本書に染み渡っていることは確かです。(中略)...この背景に過去の残像があることもまた、こうして最後に付記したくなるのです。」(242)

千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書、2021)

この文章を読んだ時、僕自身もノスタルジックな気分へと引きずられた。千葉雅也とは僕が学生、院生であった時代とちょうど重なっており、大学は異なれど今振り返ると学問が衰退していると言われていたにもかかわらず、思想は理論同様、授業で当然紹介されるものであったし、英文学を学ぶにあたってもそこにチャレンジすることが当たり前であったように思う。そういう意味でも千葉の当時へのノスタルジーには共感を覚える。

 どうでもいいが正月直後に修士論文を提出して、その後口頭試問が終わったらすぐに大学院博士課程後期課程の入試だったのだが、その際、レヴィ・ストロースに言及する問題が出題され、試験を同時に受けることになった修士時代の先輩が「リーバイ・ストラウスが問題に出てたね」と言っていたことを思い出した(試験にはお互い無事に合格した)。その時もずいぶん昔になってしまった。

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