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湯船のあぶく
零時を回ってしまうとお風呂がやけにめんどくさい邪悪な儀式に感じる。
このまま寝てしまおうかと布団を敷いても、
結局歯を磨かないといけないから、
ついでにお風呂もやっぱり入ろうと決心するのがいつものオチだ。
入るまで多大なる労力と勇気を必要とする真夜中のお風呂は入ってしまえば後の楽園だ。
じんわりと暖かいお湯は無償の愛で体の芯まで温めてくれ、
それはまるで母のお腹の中にいるような感覚だ。
(なんの記憶もないが体温に近い温度のお湯は本能的にそう思わせるのだ)
精神的な人の温かみとはまた違った、
物理的な自然の温かみを肌に感じながらぼうっと物思いにふけるあの時間がたまらない。
前置きは長くなったがそんな気持ちで今回のエッセイを書いてみようと思う。
終電にて
終電はみんな疲れ切っているか、キマリきっているかどちらかである。
隣の隣にいたのは酔いで笑いが止まらないおじさんと、
僕の斜め前にいたのは高校生ぐらいのカップルだった。
彼女はすやすやと眠ってしまっていて、
彼氏は辛うじて起きているようだった。
彼なりに彼氏として、男として、
守らなければならないルールのがあるのか三秒に一回入眠し、
びくっと起き上がっては彼女の生存確認をするという、
世にも奇妙な光景が目の前に広がっていたのだ。
最初の内は可愛げがあると本を横目に見ていたのだが
(決して疚しい理由などみじんもない、ただ人間観察が一種の趣味と化しているだけ…)
彼氏は彼女の寝顔を撮り始めたではないか!
なんだか男の本性を垣間見たような気がして少し気持ち悪くなったけれど、
でもよくよく考えれば写真を撮る/撮られるということはなんだか特別な気持ちがしてきた。
その人がこの人の今この瞬間を収めたいと思いシャッターを切る、
いつか見返したいと思ってその瞬間をおさめる。
友達の変顔も、目をつぶってしまった面白おかしい写真も、
別れてしまった君とのツーショットも、
片思いで終わってしまった君との唯一の写真も、
どれをとっても大切な思い出だ。
写真を撮るという行為は時代の流れに合わせて簡易化されていったけれど、
その一連の流れで生まれる純粋無垢な愛は今も変わらないじゃないか。
写真はいいなあと感慨にふけていたが、
寝顔の撮影に夢中なこんな変態野郎に考えさせられたのかと、
少し、いや結構恥ずかしい気持ちになって電車を後にした。
どうか幸せでいてくれよ、変態彼氏と無実な彼女。
長距離バスが一番の恋人
長距離バスには乗ったことがあるだろうか?
中には酔いやすい体質だから好きじゃないという人もいるかもしれない。
そんな僕はというとイギリスに行くまではそんなに好きじゃなかった。
長い間閉塞感のあるところに幽閉されているようで息苦しいし、
温度調節がうまく機能してなくて真夏の体育館か初夏のプールのような極端な世界に何時間とじっとしておくのが嫌いでたまらなかった。
でも成長するにつれこの長距離バスとやらが無性に心地いいものに変わっていく。
温度調節の件は自分の裁量で脱ぎ着すればそんなに問題はないし、
好きな音楽を耳に流し込みながらぼうっと窓からなじみのない景色を見るのが結構いいのだ。
何もしなくていい幸せが長距離バスにはある。
寝たければ好きなだけ寝ていいし、
ぼうっと物思いにふけってもいい。
そんな特別幸せにしてくれるわけでもないけれど、
何気ない安心感をくれる。
雨が降ってようが灼熱の太陽が照り付けようが、暗闇が飲み込んだとしても、
それでもバスは進み続ける。
理想を吐くなら恋人は長距離バスのような人がいいな。
ゆっくり見守ってくれる頼もしい人。
ずっと隣にいてくれる人。
そう願うだけじゃなくて、
ずっと隣に居たいと思われる人になりたいなあと、
長距離バスに揺られ、ぼうっと思うのです。
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