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【小説】 スクープ・ストライプ  vol.2

 冬夕は、両手を上げて伸びをする。そして、やった! とつぶやく。
「雪綺、スプスプとしての初仕事だよ!」
「冬夕、なんで、わたしのことを止めたの?」
 冬夕は、あごに人差し指を当てて、うーんと唸ってから答える。
「あのね、雪綺。社会問題を解決するのは、とっても大事なことだと思うよ。わたしは賛成。絶対に声をあげなくちゃならない。でもその前に、わたしたちはスプスプのデザイナーだから、お客さんの納得するブラを作らなくちゃいけないと思っている。さとみちゃんが声をあげることは、たぶん必要。でもそれなら、わたしたちも身に覚えのあることだよ。ほんと最低の人たちは存在する。それも結構身近に。
 だからわたしたちは必ず、ブラのひとつひとつにメッセージを込める。順番は、きっとそっちの方が先だとわたしは思うの。
 戦うためのブラをいつか、わたしは雪綺といっしょに作りたいと思っている。でもその前に、目の前の友達を満足させたいの。そして、できることなら、その友だちと、わたしたちと、わたしたちのブラとで戦いたいの」
「戦うって何と?」
「うーん、そうだな。戦いは大きく分けるとふたつあって、まずひとつ目。
 ブラジャーとか下着とかがね、性的なものとみなされることを排除したいの。生理用品とかもそうだけれど、それって普通にある生活のことじゃない? そういうことをいやらしいって男の人が、女の人もそうなんだけれど、感じなくなればいいと思うの。当たり前のことで、大事なこと。そうだな、性をもっとリスペクトしてほしい。そういう、価値観の平等みたいなのを世の中に浸透させたいって考えている」
「難しいけれど、分かる気がする。ふたつめは?」
 うん、とうなずいて冬夕は続ける。
「ふたつめは雪綺の受け売りなんだけどね。犯罪は犯罪ということ。日本のとっても遅れているところだと思うんだけれど、痴漢は性犯罪でしょ。いじめは暴行罪ね。そういうの、なあなあにするのよくないと思うの。そのためにわたしは、きっと声をあげる」
 冬夕の射るような視線。わたしはすぐさまそれにこたえる。
「わたしも、いっしょに声をあげる」
「ありがとう、雪綺」
 ふっと、口元をほころばせる冬夕。
「そうして、冬夕はノーベル賞をとるんだよね?」
 半分茶化したわたしに
「うん。平和賞を狙っているの」
 真剣な瞳で冬夕が言う。
 わたしたちは見つめあった後、お互いに吹き出す。
「なんて、ね」
「でも、本気でしょ、冬夕」
「うん。そうなの。本気なの。わたし小学校の卒業文集にノーベル賞をとりたいって書いたんだよ」
「知ってる」
「雪綺は、100メートルの世界新記録ね」
「陸上は、もうやめちゃったけれど。冬夕の夢は叶えたいな」
「ううん。目標。無理なのは承知しているけれど、本当に、本気よ」
 わたしは冬夕のことをとても眩しく思う。おっとりしているのに、芯が強い女の子だっていうことをわたしは知っている。

 家庭科室を出て、わたしたちは職員室に向かう。ミシンをしまっているロッカーの鍵を伊藤先生に返しにゆくためだ。
「松下雪綺。三角冬夕。完成したのか?」
 伊藤先生は、家庭科の先生なんだけれど、なんていうか男勝りっていうか、さっぱりした感じの女性だ。いつもフルネームで生徒のことを呼ぶし、体育教師みたいな雰囲気を持っている。
「長らくお貸しいただきありがとうございました」
「ん? もう使わないような言いぶりだな」
「はい。わたしたち、これからは自分たちの家で作業することにします。ですから、手芸部は退部します」
 手に持っていたペンを口にくわえて先生が尋ねる。
「退部も何も主要なメンバーは君たちだけだけれどな。でもどうして?」
「えーと、わたしたち、ブランドを立ち上げるんで、なんていうか学校のものを私物化するのはよくないかなー、なんて思って」
「へえ! ブランド作って、オンラインで販売するとか?」
 本当に驚いたであろう先生は、くわえたペンを吹き飛ばした。
「はい。その準備をするところです」
 机の下にかがみながら先生が言う。
「いいじゃん、ミシン、学校の使いなよ。だって、医療用のブラも続けるんだろ」
「そうですけど、ほら、お金関わるし」
 ペンを拾い上げて、きっ、とわたしたちのことをにらむ。
「何、子どもがそんなこと心配するんだよ。いいんだよ、堂々と手芸部でお金を稼げばいい。もちろん、君たちのブランド名でホームページとか作ってもいい。今までだって、手芸部で作ったものは文化祭とか、地域のイベントで売ったりしてきたんだ。全然、問題ない。ふたりともミシンを持ってるわけ?」
「いちおう、家庭用ミシンはそれぞれの自宅にあります」
「でも、この学校のは職業用だから使いやすいんじゃないのか?」
 確かにそうだった。家庭用のミシンは多機能なんだけれど、そういう機能はわたしたちの制作には無用だった。
「部活でやりなよ。いいよ、作ったものフィルグラとかにあげても」
 フィルグラっていうのは、写真専門のSNSで、正式な名称はフィルムグラム。わたしたち、女子高生の間でも、とても人気のサービスだ。審査を通れば、ショッピングサイトにリンクを貼ることもできる。
「あれだろ、ブラジャーを学校で作るっていうのに引け目を感じているんだろ。だったらもっと堂々としていなさい。手芸部に入部した時のあいさつみたいに、強い意志を持って行いなさい。大丈夫。わたしに任せなさい。責任はしっかりとります」
「先生、政治家みたいなこと言ってる」
「わたしは、口先だけではありません。ふたりにはとても期待している。だから、部活動として続けなさい。ひやかしや邪魔が入る時はすぐに対処します」

「はあ。なんか、辞めるつもりが引き止められちゃったね」
 心なしか、ほっとしたような冬夕の声。
「かえって励まされた気がする。ミシン探しにゆくつもりだったけれど、それはやめて、わたしの家で作戦会議にしようか。杉本のブラのことも考えたいし」
「うん。そうしよう」

 オートロックのエントランスを抜けて、エレベーターを呼ぶ。すぐにやってきて開いたそれに乗り込む。9階のボタンを押す。
 冬夕はもう何度もわたしの家に来ているから慣れっこだ。
「おじゃましまーす」
「ただいま」
「おかえりー。いらっしゃい、冬夕ちゃん!」
 ママが奥から声をかける。彼女は自宅で仕事をしている。わたしを産んでから長らく専業主婦をしていたらしいんだけれど、がんの手術を乗り越えたあとは、ずっとやりたかったという、紅茶のインストラクターをはじめた。昔にティールームで働いたこともあるらしいけれど、今は、紅茶専門店と契約をして、そこが主催する講演会や展示会で茶葉をすすめたりする仕事らしい。
 普段は自宅にいて、その講演会の資料の作成や、取り寄せた茶葉の試飲なんかをしている。それで、わたしの家は、なかなかエキゾチックな匂いに包まれている。わたしは全然詳しくないんだけれど、それでも茶葉の種類によって香りが違うのも分かるし、同じ茶葉でも季節によって全く違うもののようにも感じる。
「今日はスコーンがあるわよ」
 やった! と冬夕が両手を胸の前で合わせる。
「雪綺、あとで取りに来て」
「了解。ありがと、ママ」

 ママは、わたしが中学の頃に乳がんにかかった。左胸の乳房を全摘しなければならなかった。その手術から4年が過ぎようとしている。今の所、再発はない。サバイバーとして生きている彼女を、わたしは誇らしく思うけれど、それと同時に、とてつもなく不安になる。
 ママが死んじゃうことは、絶対に嫌だ。

 わたしがブラジャーを作りはじめたのは、ママのこんな言葉がきっかけだった。
「もうちょっとかわいくってもいいわよね。ボーダーのブラとか選べるようになったらいいのにな」
 わたしは、ママが喜ぶことをしたかった。というかママがいつでも喜んでいないといけないような気がした。今もそう思っている。少しでも弱気を見せたら、またがんがやってくるんじゃないかって怯えている。
 ママはわたしの前で泣き顔を見せたことがない。それで、余計に心配になっている。

ーーあのね、雪綺。わたし、がんになったみたい。でもね、絶対に死なないからね。だから安心して。心配しなくていいのよ。

 わたしは、張り詰めたママのあの表情を忘れられない。絶対にあの表情を浮かべさせてはいけない。そのためにはママが喜ぶことをわたしはしなくちゃならない。

( Ⅰ. Proudly! 続く)

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