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明日はM1敗者復活&決勝

結論:M1は、吉本興業の社員と大物芸能人の熱意で創られた思い出の作品。

20年が経ち、年末の風物詩として定着したM1。2023年は過去最多、8540組のコンビがエントリーしました。M1とは、漫才のコンテストで、一番面白い漫才師を決める大会です。1000万円、賞金をゲットできるのは、一番面白かったコンビだけ。真剣勝負です。

著者は元吉本興業社員でM1の発起人、谷良一さん。きっかけは、吉本興業のきびしい現状を建て直すミッションを漫才担当として任されたこと。当時は、1980年代の漫才ブームが去り、漫才は古いものという世間の考えが広がっていました。

2001年M1誕生~2002年M1の準備のドラマが描かれている。

なぜM1が誕生したか、M1開催までの道のり、2002年に向けた準備について書かれています。すなわち、M1が誕生して1年間のドキュメントが書かれています。

今では、漫才師が目指す大会になりました。2022年、関西地区では世帯視聴率30%を超え、すっかり定着し、漫才師の目標としての存在になりました。

M1を作った理由

2001年は、吉本、吉本新喜劇、漫才は今では考えられないほど人気がありませんでした。当時は、銀座七丁目劇場など、全国各地に劇場が創られてました。しかし、天然素材を中心にというダンスグループが吉本の稼ぎ頭でした。ネタをやらず、漫才人気の低迷に危機感を抱いた吉本の社長により、谷さんが漫才再生プロジェクトを任せられます。
現役漫才師の面談で現状を把握し、島田紳助さんの楽屋を訪れて相談すると、意気投合。一緒に若手芸人向けのコンテストを開催することを決めました。当時としては異例の賞金1000万円で話題を作ろうとしました。しかし、賞金を集めるためには、スポンサーの力が必要でした。なぜ、オートバックス(当時のメインスポンサー)が協賛したかについても、書かれています。
ちなみに、島田紳助さんもダウンタウンの漫才を見て漫才をやめることを決意。漫才への恩返しの場所を探していました。

M1の出場資格は、コンビ結成が15年前の1月1日以降、結成15年以内(2010年までは10年以内)であれば参加できます。国籍、プロアマ、事務所は一切関係ありません。即席でつくったコンビも出場可能です。審査の基準は面白いか面白くないか。

結成の期間を設けた理由

挑戦の道を広げつつ、現実を突きつけて次の道を拓かせるという厳しいけど優しさ。他の道に行くなら、早い方がいい。島田紳助さんは、M1に結成年数の制限をかける意味を番組でも話されています。

思う優勝のネタの傾向

  • 広い世代から共感得られるか

  • 誰でも再現できるフォーマットを開発しつつ、マネできない技術で他のコンビと差を感じるか

  • 会場の空気をもっていけるか

2022年から、YouTubeで全部公開されるため、3回戦に進めば、PRできる場にもなっています。一方、公開されてしまうため、ネタを使いまわしずらくなり、ネタ数は多く必要になったと感じます。15時から敗者復活戦、18時(ネタは例年だと20時頃開始)から決勝のネタが始まります。2023年のM1はテレビ朝日系列で7時間連続放送。2023年は、どのコンビが優勝するのでしょうか?さや香、敗者復活組、令和ロマン辺りと予想します。

コンテストの増加でお笑いが盛り上がる

今回は、「M1はじめました」を読んだ感想を書きました。紆余曲折ありながら、M1をきっかけとして、R1(ピン芸人のコンテスト)、W(女性芸人のコンテスト)など、さまざまなコンテストが増えました。

このように、今や年末の風物詩になったM1は、島田紳助さんにと一緒に作り上げました。谷さんが現在のM1について思うこと、漫才について、漫才師が目指すべきことについて、最後に書かれています。一緒に作った島田紳助さんのあとがきもありますので、興味のある方は、ぜひお読みください。

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