なぜ、群馬県はまんじゅうの種類が多いのか?
結論
小麦の生産が盛んだったから
かかあ天下と呼ばれるほど、農業、養蚕業で女性が働き、忙しいため、カンタンにつくれる
群馬県には、味噌まんじゅう、温泉まんじゅう
4月19日は、「まんじゅう祭」
毎年4月19日は、奈良市の林神社で、まんじゅう祭が行われます。
7世紀、中国では、シルクロードを通じて石臼による製粉技術が伝わりました。その結果、小麦粉を使った料理が発達し、まんじゅう、餃子が登場しました。9世紀、お茶が中国各地に広まると、点心とお茶を楽しむ飲茶(ヤムチャ)文化ができました。
南北朝時代、まんじゅうは中国のお坊さん林浄因によって日本へ伝わりました。伝わった当初は肉まんに近い料理でした。仏教を日本では、肉食がタブーとされていたため、中身を肉から小豆に変えて、まんじゅうが誕生しました。皇族にも好評で全国各地に広まり、発展しました。
奈良市にある林神社では、林浄因を祀っており、毎年4月19日には、菓子製造業者が集まって饅頭まつりが行われます。
つきたてのおもちでつくったきなこもちが配られたり、奈良饅頭が限定で販売されます。
まんじゅうが旅先のお土産として定着したのは、江戸時代中期です。特に群馬県はまんじゅうの種類が多いです。今回は、群馬県のまんじゅうについて取り上げます。
なぜ、群馬県はまんじゅうの種類が多いのか?
群馬県は小麦の産地
群馬県の小麦の生産量は全国7位(2022年)。群馬県は冬になると、日本海から湿った季節風が越後山脈を越え、乾いた冷たいからっ風が吹きつけます。さらに、浅間山、白根山、赤城山など火山が多いため、火山灰など水はけがよい土地です。冬の日照時間も長いため、夏は水田で稲作、冬は畑に変えて麦作の二毛作が行われます。
群馬県では、平安時代には、小麦の産地と知られており、麺を作って食べられていた記録も残っています。うどんも県内各地でバラエティ豊富です。群馬県について、次の機会に取り上げます。
群馬県で食べられている「おっきりこみ」について、こちらの記事を読むと分かります。
かかあ天下
夫は明治時代、製糸業、養蚕、農業で家計を支えていた妻のことを「かかあ天下」と呼ばれていました。忙しい仕事の合間を縫って、手間のかからない、すいとん、やきもちなどを昼食、おやつとして作って食べられていました。
夏のお供え物として活躍した
まんじゅうは夏の食べ物とされています。群馬県では、麦の収穫は6月に行われます。田麦の収穫に感謝するため、その年にとれた麦を使ってまんじゅう、うどんを作り、神様、仏様に供える風習もありました。
夏の方が原料に加えられる甘酒の発酵がうまくいくこと、餅より傷みにくいことから、まんじゅうが備えられました。
群馬県で食べられているまんじゅう
家庭では、重曹使ったあんこ入りの炭酸まんじゅう、鍋釜で茹でて作られたゆでまんじゅう、甘酒で作る酒まんじゅうなど、さまざまな種類が作られてきました。
屋台やお店では、黒糖を練り込んだ生地にこしあんをたっぷり包んで揚げたかりんとうまんじゅう、串にまんじゅうを刺して甘辛い味噌ダレを塗って焼いた焼きまんじゅうも提供されています。
その中でも、今回は、酒まんじゅう、焼きまんじゅう、温泉まんじゅうについて詳しく取り上げます。
酒まんじゅう
群馬県北部の渋川市が名物です。甘酒(どぶろく)と小麦粉を合わせてこね、1晩かけて発酵させて生地を作ります。甘酒は、もち米に水と米麹を加えて混ぜ、発酵させて作ります。甘酒を加えることによって、生地が柔らかくふっくら仕上がります。
生地を丸めて、せいろで蒸して作ります。あんこを包んだものを酒まんじゅう、京まんじゅうと呼んでいます。
一方、あんこを包まないものを「素まんじゅう」と呼びます。香りでほのかに酸っぱさを感じることから酸饅頭、中にス(穴がボコボコ空いている状態)が入っているから、「ス饅頭」、あんが入らず何も味がしない未完成の状態だから、「素まんじゅう」と呼ばれている説があります。
焼きまんじゅう
素まんじゅうを竹串に刺し、甘辛い味噌ダレを塗って焼きます。味噌の焼けた香りが食欲をそそります。
前橋で1857年創業した原嶋屋総本家が発祥とされています。創業者の原嶋類蔵さんがサトイモの芋串をヒントに考案しました。一つ一つが大きく、五個刺しでした。
創業当初は、味噌だけ塗っていました。1877年の西南戦争により、黒蜜が手に入りやすくなり、甘辛い味の味噌ダレに変化しました。
明治時代、群馬県は製糸業が盛んでした。眉、蚕市が行われると周りの農村部から運んできた人たちが、おみやげとして焼き饅頭を買うようになりました。現在でも、群馬県の祭りの露天では、焼きまんじゅうが販売されている風景が見られます。
スイーツとしても、焼きまんじゅうは活躍します。峠の釜めしで有名な荻野屋が高崎駅で運営している群馬の台所では、デザートメニューとして、焼きまんじゅうとアイスのセットが提供されています。
まんじゅうをじっくり焼くことにより、マカロンのように食感が軽く、味噌ダレがよく染み込みます。バニラアイスと合わせると、甘さと塩味でハマります。
みそぱん
みそパンが、焼きまんじゅうのあるあるを解決します。みそパンの発祥は、シャロン伏見屋という沼田市にあるパン屋さんです。シャロン伏見屋は、江戸時代中期、越後出身の商人、伏見屋八郎左エ門が沼田城の城下町にやって来て伏見屋商店を創業しました。明治時代、焼きまんじゅう屋さん、戦後、パン屋さんに業態変化しました。
1960年代後半、おやきをヒントに、味噌ダレをパンの中に挟み込むことを考案しました。一つ一つ手作業で作られるため、お店に行かないと購入できません。
今回は、フリアンパンの味噌パンを食べました。フリアンパンは、シャロン伏見屋と同じく、沼田市にあります。群馬県内のスーパーマーケットでも、購入できるときがあります。
素朴なパンに、赤味噌を使った味噌ダレが挟まっています。電子レンジで500W2分ほど温めるとできたての味が再現できます。
温泉まんじゅう
温泉街の名物といえば、温泉まんじゅう。
伊香保温泉の勝月堂で食べた温泉まんじゅうは、皮に黒糖が使われており、褐色に仕上がっていました。皮が薄く、中はこしあんがぎっしり詰まっていました。優しい甘さで湯上がりにピッタリです。100円玉2枚でお釣りがきます。
群馬県内でも呼び名が異なり、長野県に近い草津温泉、四万温泉では温泉饅頭、群馬県の中央付近にある伊香保温泉では湯の花まんじゅうとして販売されています。
温泉饅頭は、伊香保温泉で1910年創業した勝月堂が元祖とされています。
伊香保は、群馬県の中央付近にあり、万葉集にも詠まれた歴史ある温泉地です。御用邸(皇族の別荘)が1879年に建てられたことをきっかけにして、皇族が多く来訪されるようになり、お茶菓子として和菓子の注文が増えました。
1910年、渋川〜伊香保間を鉄道で結ぶ伊香保電気鉄道が開業し、観光客が急増しました。東京風月堂で製菓技術を学んだ半田勝三が1910年、勝月堂を創業し、湯の花まんじゅうを開発しました。湯の花まんじゅうのモデルは、観光地の江の島で販売されていた片瀬まんじゅうです。江ノ電のように伊香保電車沿線にも名物を作りたいと依頼されたことがきっかけで、誕生しました。
伊香保温泉の湯の花に似た色のまんじゅうという意味で名付けられました。最初は伊香保温泉の源泉を練り込んで生地を褐色に染めていました。伊香保温泉の源泉は、硫酸温泉と呼ばれており、鉄分が豊富に溶け込んでいます。鉄が酸化することにより、無色透明のお湯が褐色に変化します。伊香保温泉は鉄分が豊富なため、貧血の効果が期待されました。明治時代の伊香保温泉のお土産の定番は、鉱泉水を使った鉱泉煎餅、鉱泉飴でした。一方、生地に温泉を練りこむとがサビ臭くなるという課題がありました。源泉の代わりに黒糖を加えて色を出すことで克服しました。
1934年、昭和天皇が陸軍の軍事演習を視察した際に召し上がられて知名度が上がりました。
今回は、群馬県で出会ったまんじゅうについて話しました。まんじゅうは、群馬土産にぴったりです。群馬県の粉食文化の深さを学びました。うどん文化について、またの機会にお話しします。
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参考文献
地球の歩き方編集室,(2022),世界のスイーツ図鑑 (地球の歩き方W),学研プラス
横田雅博,(2018),おきりこみと焼き饅頭: 群馬の粉もの文化,ルーラルブックス
甲斐みのり,(2023),日本全国地元のパン,エクスナレッジ
菊池武顕,(2013),あのメニューが生まれた店,コロナブックス
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