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第5回 意外と知らないお金の歴史

今回は、そもそもお金はどのようにしてできたのか、どうしてお金が必要なのか、お金が社会に発生した起源から、お金の本質についてみていこうと思います。

1.物々交換

大昔、人は狩猟をしたり、魚を獲ったりして生活をしていました。やがて大陸から稲作が伝わり、米作りも始まりました。

海辺に住んでいる人は魚を獲って生活していて、野菜や果物や肉が欲しくなった時魚以外のものを手に入れるためには余分にある魚や貝をほかの人がもっている野菜や果物と交換します。これが物々交換です。

物々交換が成立するためにはお互いに「欲しがっている」という偶然が必要で、実は簡単なものではありませんでした。
とりわけ肉や魚はすぐに腐ってしまうので早く交換しなければ価値がなくなってしまいます。

そこで魚や肉をとりあえず稲と交換しておこうという動きになります。稲は長持ちするし、みんなが欲しがるものなのでとりあえず稲に換えておけば、やがてほしいものが出てきたときに簡単に交換できると考えました。

稲というのは昔「ネ」と呼ばれており、現在の「値段」の「値」、「値打ち」の「値」になったと言われています。

ちなみにヨーロッパや北アメリカでは、塩がその役割を果たしました。ローマ人は塩を賃金として払っていたのです。

しかし、稲は長持ちするといっても腐ることもあります。こうして物々交換の仲立ちをするものが求められるようになり、そこで出てくるのが「お金」です。


2.お金に金が選ばれたわけ

貴金属は小さくて腐らず、品質が変わることもないので価値が安定しています。誰が売買の支払いとして使っても安心して受け取ることが出来ます。

こうして「貨幣経済」の社会へと発展していきます。

この貴金属には、主に金や銀が使われました。しかし金や銀も大量になると、重くて持ち運びが大変になります。

そこで「これを持っていれば金と引き換える」という約束を書いた紙(約束手形)を取引に代用するようなりました。これが紙幣の始まりで、約束手形を発行していた業者は後に銀行になりました。

当初のお金には「このお札を持ってくれば、いつでも同じ価値の金と交換する」と書いてありました。

これを「兌換紙幣」といいこのしくみを「金本位制」といいます。日本初の兌換紙幣が登場したのは1885年のことです


3.兌換紙幣から不換紙幣へ


こうして銀行がもっている金の量をもとに紙幣が発行されました。しかし、経済が発展するとともに紙幣が大量に必要になりますが、日銀がもっている金の量には限りがあります。

そこで1942年から日銀は、もっている金の量に関係なく紙幣を発行するようになりました。

紙幣を日銀に持ってきても、もう金とは交換しなくなりました。兌換紙幣が不換紙幣になったのです。

お札が不換紙幣になると、日銀は持っている金の量に関係なく、発行するお札の量を自由にコントロールできるようになります。これを「管理通貨制度」と呼びます。


国家への信用がお金の価値の裏付けとなるのです。

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