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技術史

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物作りの歴史・様々な身の回りの製品の歴史を簡潔に紹介します。
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2023年4月の記事一覧

【技術史】パリの下水道の進歩と浚渫(しゅんせつ)作業

【技術史】パリの下水道の進歩と浚渫(しゅんせつ)作業

下水道の暗黒時代に革命をおこしたのは、皇帝ナポレオン3世である。皇帝は1850年、巨大な地下回廊式下水道を建設することを命じた。回廊の大きさは、幹線用、支線用といろいろありますが、幹線用であれば、回廊部の幅5.6m、空間高さ4m、水路幅3.5m、水路深さ1.35mという大きなものでした。なぜこのような大きなものにしたのかというと、大雨のとき、雨水を下水に逃して洪水を防ぐ役目を持たせるためのようです

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【技術史】パリの下水道事情

【技術史】パリの下水道事情

下水道の歴史において、中世は暗黒時代といわれ、古代ローマ時代に比べて、その文明度は進歩どころか、むしろ後退してしまいました。
パリでは、本格的な下水道が建設される19世紀以前の平均寿命は30歳代であったといいます。パリの人は汚水をドアの外にぶちまけ、汚水はそのまま、飲料水を取水しているセーヌ川に流れ込みました。街路の汚水と不潔な飲水は、チフスやコレラを蔓延させ、多数の死者を出しました。
 
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【技術史】古代ローマの下水道

【技術史】古代ローマの下水道

上水道はローマ市内の水道橋の遺構として人々の注目を集めますが、下水道は地下にあるため、人目にほとんどつかず、上水道に比べ地味で見落とされがちです。しかし、下水道あっての上水道です。
 
1世紀にはローマ市に11の水道があり、公衆浴場や噴水、公的建物、個人宅に配水され、それは大量の廃水となり、下水道の整備が不可欠でした。11本の水道に対し、下水道の幹線はクロアカ・マキシマ1本だけで、その名前の由来は

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【技術史】古代ローマの水道2(水道橋の構造)

【技術史】古代ローマの水道2(水道橋の構造)

水道橋は、谷やくぼ地を渡ったり、起伏の多い複雑な地形に対応するため以外に、もう一つ重要な目的がありました。それは、都市部のできるだけ広い範囲や丘、城壁内にまで配水できるようにするために、水を高い位置に置いておく必要がありました。
 
水道橋は、石の特徴が活かされています。石は圧縮には強いが引張りには弱いため、橋の構造はアーチ状になっています。
アーチ部を縁取る切石は、要石と呼ばれる中央の石から、左

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【技術史】古代ローマ時代の水道

【技術史】古代ローマ時代の水道

水の輸送は、ポンプが発明されるまでの長い間、もっぱら自然の川の流れと同じように、流れの上流と下流の位置の高低差、水の持つ位置エネルギーを輸送の原動力として利用してきました。このような流れを「重力流」といいます。
 
紀元前、古代ローマ人はローマ市という大都市を創り上げました。人口が集中し、良質の大量の水が必要となり、市内を流れるテレべ川の水質は飲料に適さず、かつ井戸の雨水の貯水だけではまかないきれ

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