[ Chapter 1 ]TEARDROPSの起源。
1.馬鹿みたいに短絡的な考えから。
TEARDROPSは、不意なきっかけから生まれた。
きっかけは、代表の私yuukiが大学生の時に再会した、高校生時代の友人との会話だった。
久しぶりに出逢った私たちは、教育について、当時思っていたことを余すことなく話し合った。
そうして臆病な私の口からこのような言葉が発せられた。
「じゃあ、NPO法人立ち上げてみたいな。話聞きに行かへん?」
そんな馬鹿みたいに短絡的な考えから、この団体は発足した。
立ち上げたのは2020年1月27日。
この日はNPO法人の立ち上げる方法を聞きに行った日。
「NPO法人を立ち上げるには10人の仲間が必要らしいよ。」
そう聞いた私たちは、早速Twitterでの呼びかけを開始した。
これが、当時にツイートした文章と写真。
今思えば、すごく単純でどこにでもあるツイートで、
こんなのに賛同しでくれるメンバーなど、初めはいないと思っていた。
しかし、私たちはある意味、運がよかったのかもしれない。
当時はコロナ禍で、Twitter上では私たちと同じように団体を立ち上げる人がたくさんいた。
その波にうまく乗れたのだろう。
TEARDROPSが持つ「言葉の力」と「デザイン」に惹かれたたくさんの人が、仲間になりたいと声をかけてくれた。
さあ、ここから活動だ!
そう思ったのだが、そう上手くは行かないというのが、団体を立ち上げることだと知ったのはもっと後だった。
2.オンラインで繋がる難しさ。
私はとある学生団体の代表を経験していたから、
チームを作ること、リーダーというもののあり方を、ある程度知っているものだと思っていた。
だから、
TEARDROPSを立ち上げたときもこのまま上手く運営していけると思っていた。
でもそんな簡単な話ではなかった。
立ち上げ初期のTEARDROPSでは、Zoomを使ってメンバー同士の交流をしていた。
同じ感覚を持ち合わせるメンバーとの会話は、本当に楽しかった。
これから何が起こるんだろうな。
そんな淡い期待を抱けていた。
でも、オンラインを通して感覚を共有し続けるという姿勢は、そう長く続くものではなかった。
ミーティングのためのミーティング
みたいに、本来の目的を見失って彷徨っていたような気がする。
「これじゃ他の組織と何も変わらないよ」
そう思った私たちは、交流会を一時的に中止した。
ああ、このまま交流することもなく、団体としての形も無くなってしまうのではないかと、当時は本当に思っていた。
3.転機は突然に。
転機は本当に突然にやってきた。
ずっと居場所づくりへの想いを聞いてもらっていた社協の職員の方から
「地域の団体と一緒に、小学生の子たちの居場所づくりをしてみない?」
そんなお誘いをもらったのだ。
活動をしていると、想いが伝わらないことが多くて、
大人みんなが敵に見えたこともあった。
人として好きな人でさえ、疑って、嫌いになりそうになっていた。
このまま活動を続ければ誰も信じることができなくなるのだはないかと、そう思っていた。
でも、予想もしない繋がりで、人生の計画なんて180°変わってしまうのだと、
そう気づくことができた。
そう。誰かの居場所を作るために行っている、そんな活動が、いつのまにか自分の居場所になりつつある。
そうして始まったのが「いこいこ・いかわ」という活動だ。
(ふらっと・いかわという団体と協力する形で運営している)
4.「名前のない痛み」というAntithese.
TEARDROPSを一言で表す言葉は何か?
そう聞かれれば『名前のない痛み』だと答えるだろう。
「名前のない痛み」
それは、生きづらさを何でもかんでも名前をつけて分類しようとする現代社会へのAntitheseでもある。
私もとある学生団体のリーダをしているときに散々言われた
「ちゃんと言葉にしなさい」という言葉
この一言に、現代が抱えている生きづらさの全てが詰まっていると、私はそう思う。
名前にしないと、自分の持つ痛みさえにも気づいてもらえない。
見える痛みにしないと、私が辛いってことに気づいてもらえない。
でも、不登校、HSP、LGBTQみたいに、痛みを言語みたいに名づけて分類したところで、生きづらさは何も解決しないのだということは、全く議論されていないように思う。
むしろ痛みを名づけて分類することで
「お前は同じ痛みを持っていないだろ。あっち行けよ」と、
そう言われる可能性だってある。
でも、同じ名前の痛みを持っているから、必ずしも痛みを共有できるとは限らない。
「同じだけど、どこか違う」
そうやって名前の括りから溢れてしまった人が必ず存在する。
代表である私yuukiもリーダーの悩みは尽きなかったけれど、
それを癒してくれていたのはNHKの「#8月31日の夜に」という番組に出ていた不登校生の子たちの発する言葉だった。
その時、違う痛みを持っていても、痛みの名前が違っていても
お互いを癒しあえるのだと、そう感じた。
この体験が、TEARDROPSが持つ
「全く違うものでも、必ず同じものがあり、全く同じものでも必ず違うものがある」
という組織文化に繋がっている。
TEARDROPSは「●●な痛みを抱えた人のための団体」と言っていないからこそ、多様な名前のある痛みを抱えた人が集まることが可能であり、お互いに中庸な立場で関わり合えるのである。
[続く]
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