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何かが吹っ切れた。生きる

「大人しいままじゃだめだ」
雷に打たれたような衝撃と共に感じたのはそれでした。

藤原華さんの魂がこもった記事を読ませていただいて、私の魂も揺さぶられまくったのです。

編集者の方が文章をどのように見ているか、細かいところまでわかって、
「これを無料にしてくださったこと」がいかに凄いことなのかを思って震えました。
これを元に、いよいよ今日締め切りの華さんのコンテスト「なぜ、私は書くのか」の応募作品を読み返して。
「これでグランプリは獲れんだろ」と思いました。

文章が、「大人しい、いい子」すぎると思ったのです。
noteを本格的に始めたばかりで、どこまで開示しようか迷っていた部分も大きいし、当時の体調を考えるとあれがベストだったのはわかるけれど……。
でも、今の私はそこを飛び越えることができたのだ、と理解しました。
なら、突き抜けるまでだ。
そんな気持ちが湧き上がりました。

応募作品を、思いっきり書き直しました。
サムネイルも自分で作り直しました。
自分自身のことを、「書くのをやめたら死ぬマグロ」と表現しました。
だからサムネイルも、荒海を飛び越えるマグロにしたんです。

(ここだけの話、マグロは大好きなんです。
推しが担いでたので。)

推しの力を得て、私はますます本気を出しました。
さながら、水を得たマグロのように。
最近、夜になると謎の微熱が続いていたけれど、それすらも吹っ飛ばしたのを感じました。
(後から薬の影響だと知りました。少しずつ慣れてきましたので、ご安心ください)

この一連の流れを通して、改めて気づきました。
「私は、書いてないと死ぬんだ」と。

物心ついた頃から、小説家になりたかったこと。
とにかく文章を書くのが大好きだったこと。
中等教育学校で凄まじい虐めにあっても、大好きな漫画があったから生き延びたこと。
何度絶望して死にたいと思っても、物語を世に出せなくなるのはダメだと思ったから、死なずに済んだこと。
今までのいろんなことが、脳内を駆け巡っていきました。

書いて、書いて、書いたとき。
はっきりと、「生きよう」と思えたのです。

私が今生きているのは、夢を全部叶えるため。
小説家も、漫画原作者にも、絶対になる。
その強い思いを、改めて知覚したのでした。

苦しかったのが吹っ切れました。
生きようと、強く思えました。
コンテスト「なぜ、私は書くのか」に出会えて、
プロの添削の仕方を知ることができて、本当に良かったです。

この記事で、私は戦います。

そして、幸せに生きてみせます。
「書いて書いて、書きまくったその先に、きっと道はある。
ないなら創るまでだ。」

そんな決意を胸に、私は突き進みます。



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