キセキのロックバンドのキセキ⑤ セイジ編
全国各地でライブを続けながら、東日本大震災後、9年にわたり東北に通い、被災地の方々を魂の歌で励まし続けているロックバンド ソーセージ。
そんな彼らが、ステージだけでは見えない素の部分を自分史を通じて描く「B-side Story」も、開始から半年が過ぎようとしている。
私のメンバーインタビューもようやく最終回、セイジの番となった。
先日書いたとおり、4thアルバム『智』(9/11リリース)をリリース、横浜でのレコ発ライブに続き北海道ツアーも終了したいま、彼自身の思いやソーセージのこれからについてじっくり聞いてみたい。
プロ・エンターテイナーとしてのプライド
私が今回のプロジェクトを通じて知ったのは、この9年間、ライブハウスとのブッキングや、アルバムの制作とツアーのプロモーションなど、山ほどの仕事のほとんどを彼が担当してきたという事実だった。
結成当初、10年で「仁義礼智忠信孝悌」という8枚のアルバムを出して解散しようと計画してました。
しかしこの9年のあいだ、自分の病気などのトラブルもあり、なかなか有言実行できてこれませんでした。アルバム「智」だって4枚目ですからね。
今回もスケジュールは本当に厳しかったんですが、お客さんに発表した以上は、なにがあっても約束を守るのがプロだと思い、なんとか形にすることができました。
僕はお客さんを喜ばせたい、お客さんが喜ぶ姿を観るのが楽しいからライブにこだわってバンドを続けてきたんです。しかし2012年、東北の被災地に行くようになってから、子どもからおじいちゃんおばあちゃんに至るまで、僕らの歌も知らず、ライブハウスになんか行かないような人たちが僕らを待ってくれていた経験は大きかった。
これこそが本当に自分が音楽をやる意味なんだと気づかせてもらったんです。
アーティストには、自分の世界を人に知らせたいというタイプと、あくまでも聴衆を楽しませたいというタイプがいるかと思うが、彼は骨の髄から後者なのだろう。
そんな彼が、今回のアルバム制作からツアーのブッキングまで成功させたのは、聴衆に対する「プロのエンターテイナー」としてのプライドだった。
こうしてできあがった4thアルバム『智』ができるまでの経緯については、前回に触れた。こちらも併せて読んでほしい。
何度もの絶望を経てついに収録された『風穴』
今回のB-side Storyを始めるまで、もちろん彼の自分史を詳しくは知らなかったが、幼少期から波乱万丈を絵に書いたような人生を彼は送っている。
彼の音楽遍歴を表す写真の数々。
16歳からライブハウスのバイトをはじめた彼は、26歳で脱サラし、本格的にミュージシャンとして活動をはじめた。
その実力から一時は人気バンドを率いて、かなりの集客実績をもっていた彼だが、30歳前と決めていたメジャーデビューをあと一歩のところで逃し、人生で最初ともいえる大きな挫折と絶望を味わったという。
生きる目的を失い、死にたい衝動を偶然に救われた彼は、絶対に、何年かかってもみんなの心に風穴を開けてやるんだという決意から、今回のアルバム『智』収録のオリジナル曲『風穴』が生まれた。ときは2001年、これはすでに20年前の作品なのである。
この曲の収録は、彼が師匠と慕っている高田エージ氏のプロデュースでリリースしたソロアルバムに続いて実は二度目なのだ。
しかし彼のドラマはそれだけでは収まらない。2012年、ソーセージを結成してすぐに東北の被災地支援を開始、年間250本ものライブを重ねていた彼を頚椎の難病が襲う。
激痛を鍼灸でごまかしながら「待っていてくれるお客さんのためなら自分の痛みなんて…」という思いから手術を受けなかったが、それが結果として病状を悪化させてしまった。
2018年、痛みの限界がきて1回めの手術を受けました。
「手術が終わった後、両指6本に後遺症で麻痺と痺れが発症したんです。
『え、これ、どうなってんの?』って感じで呆然としました。」
結果として当初は2週間程度の入院で終わると思っていたら退院するまで3ヶ月かかることになってしまったんです。
ギターを抱えてピックを握ってもすぐ「ポロッ」と落としちゃう。
ピックを何度も壁に投げつけ、絶望しそうになりながらひとりで泣いてました。
でもどうしても負けたくない、人に弱音を吐きたくない、という思いから病室にギターを持ち込んで練習しました。その後リハビリに1年近くかけてなんとかライブができるまでに復活しましたけど、まだ痺れは残ったままなんですよ。
さらに2020年、2回めの手術で「人工椎間板」を入れた際に、声帯の脇を切開したので、声も以前と変わってしまい、声域が狭くなってしまいました。
それでも泣き言いっても仕方ない、やれるところでやるしかないと覚悟は決めてます。こんな状態でも続けていられるのは、やっぱり俺らの活動を応援してくれる多くのお客さんたちのおかげなんです。
最初の大きな挫折から20年が経ち、再び訪れた「音楽活動を諦めなくてはならないかもしれない」という人生最大の危機を乗り越え、血のにじむような思いで復活したセイジ。そんな彼が、風穴を今回のアルバムに収録できたというストーリーは実に感慨深い。この曲にかける彼の思いがいかに大きいかが伝わってくる。
いまこのnoteを読みながら絶望や失意の底にいたり、自分の在り方に迷う人がいたら、この曲を聴いてみてほしい。
セイジというミュージシャンの在り方、そうした人たちへのメッセージが、その映像や歌からより一層伝わってくるはずだ。
ソーセージについて
彼が音楽を生業にして24年になるなか、結成して9年目のソーセージは、彼のキャリアのなかで最長記録をもつバンドになる。
子どもの頃から転校ばかりしてきたし、ソーセージ以外のバンドでは7年が最長。ソーセージだって一つの街を拠点にするわけではなく、ツアーミュージシャンというスタイルでやってきました。
つまり、一つのところに留まるということがなかった人生なんですよね。そんな僕がソーセージを9年も続けてこれたのは、さっきも言ったとおり、ひとえに『待ってくれているお客さんがいる』ということが理由でした。
とはいえ、前回のnote キセキのロックバンドのキセキ④ 4thアルバム「智」への道のり に書いたとおり、アルバム制作やツアーブッキングなど、演奏以外のソーセージのさまざまな活動はほぼ100%セイジが担っている。
客観的にみても負担が大きすぎる感が否めないのだが、障害を抱えた身体でそのスタイルを続けることに対して彼はどう感じているのだろうか。正直なところを突っ込んで聞いてみた。
僕のポリシーとして『本人に面と向かって言えない陰口は絶対に言わない』というのがあるので、これは本人にも伝えているんですが、二人が頑張ってもできなかったところを自分が赦すしかなかったところもあります(笑)
これはソウのギターや、ナオトのソーセージへの思いに対するリスペクトがないということとは全く違う、プロの仕事としてのスタンスの話です。
今回、3rdアルバム「礼」から「智」を出すまで5年かかったんですが、そのあいだに「Dearウルトラマン」を作ってくれた勝司さん、デザインをずっと担当してくれていたヒューイ、先日行ってきた北海道の「雪月花廊」のマスターのトトさんなど、ソーセージを応援してくれていた親しい人が立て続けに亡くなったんです。
その経験から得た『人の死というのは、その人が生きてきて最期に残す最大のメッセージだ』という思いを込めた追悼のアルバム。だからどうしても約束通り仕上げたかった。
結局すべてはソーセージというバンドを待ってくれている人のため、僕のプロとしてのプライドで成し遂げられた作品なんですよ。
(解説)毎年七夕に彼らが訪れていた北海道「雪月花廊」2017年のライブ。彼らをかわいがってくれたマスターのととさんは、この時すでに意識がほとんどない状態だったが、ライブのとき奇跡的に目を開けたことに、皆が驚き号泣している。彼はこの年の9月帰らぬ人となったが、今年2021年彼の命日に追悼ライブを決行、ツアーは大盛況のうちに幕を閉じた。
当たり前のことだが、親しい人たちとの死別は自分史にとって最も大きな影響を与える。ソーセージを結成して9年のあいだに訪れたいくつもの別れが、セイジにこれまで以上のプロの覚悟を持たせ、それが結果として今回のアルバムを宣言したスケジュールどおりに完成させたことは間違いない。
そんな彼がソーセージの結成当初、解散を宣言した10年目はいよいよ来年。これからの活動に対してどのように考えているのだろうか。
うーん、これからのソーセージね…どうなんでしょうね。
今までと同じように僕が、演奏以外の仕事のすべてを背負って活動を続けることは自分でも不可能だし、二人にとってもよくないと思うんです。
それに、これから僕はソロとしての活動にも注力していこうと思ってるんです。もちろん病気をしっかり治して、クルマも自分で運転できるようになってなど、課題は山積みなんですけど、諦めるわけにはいかないしね。
メンバーそれぞれ将来の夢やプランのこともあるし、最初に決めた10年で解散という大きな区切りですから、改めてみんなで話し合って決めていきたいと思っています。
これまで全国を回りながら人々を音楽で励まし、歓びを与え続けてきた彼らの活動が終わってしまうのは寂しすぎる。恐らく全国で彼らのライブを観てきて、そう感じる人は多いはずだ。
ただ今回のアルバム製作のハードさを傍らで見てきたことや、コロナによるツアーブッキングの困難さなどを考えると「辞めないでくれ」と簡単に言える問題ではないと、なんとも複雑な気分だ。
彼らの今後の活動については、また追って話し合いを経たのち、結論を待つことにしたい。
ソロとしての活動
ソーセージの今後については複雑な思いを隠せないが、彼はプロミュージシャンだ。たとえソーセージが解散しても音楽から離れることはないだろう。
だとすれば、ソロとして活動もすでに構想にあるのではないか。彼が考えるこれからを最後に聞いてみた。
今回僕が「風穴」を出したのも、二人がそれぞれオリジナルを出したのも、今後のことを考えてというところはもちろんあります。
ソーセージの活動がどうなるかはさておき、自分自身はあと10年、60歳になるまでに2年に1枚、計5枚はアルバムを出して歌っていきたいと思ってます。もちろん今と同じように、各地で待ってくれる人たちのところへ旅をしながらというスタイルでね。
そして65歳になったら、これまで世話になった全国の人たちのところにお礼の巡業ライブをしながら1ヶ月くらい滞在し、どんどん南下していく旅をしようと思ってます。
最後は沖縄の那覇にライブハウス兼ドミトリー(宿)を構え、今度は自分たちのようなツアーミュージシャンを『待つ側』になる、それが今の僕の夢なんです。
今回B-side Storyというプロジェクトを通じてセイジの在り方を傍らでみてきて、頚椎の病気など、予期せぬトラブルがあったとはいえ、自分の夢に対して緻密に計画を立て、それを確実に実行し実現してきた人間だということがよく分かった。
65歳になったとき、彼のキャリアは実に40年近く。その時まで彼は、たとえ指が動かなくても、ハイトーンボイスが出なくても、愚直に、どこまでも誠実に、己のスタイルを確立しながら、プロのエンターテイナーとして観客を喜ばせ、勇気づけていくだろう。
そんな彼の未来自分史を聞いていると、全国から彼を慕って来たミュージシャンと一緒に笑顔でギターを弾く彼の姿が浮かび「この男ならやってくれる」という期待感が胸のなかに満ちてきた。
これからもセイジというミュージシャンの自分史を、傍らで並走しながら見守っていきたい。
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