見出し画像

真夏のタイムトラベル【第2章:万の言の葉】

#3週連続短編歴史小説
文字数:約800文字(目安読書時間:3分)
「第1話:プロローグ」はこちら
「第2話:お米のスープ」はこちら

第2章:万の言の葉

列車から降りたヌバタマは、あたりを見渡しましたが、ただ砂地に線路が敷いてあるだけでした。

途方に暮れていたところ、一人の女性が声をかけてきました。
「こんなところに立って何をしているの。都の役人たちはみな忙しくしているの。時間があるなら手伝って頂戴」
その女性の服装は、生地や色合いが美しく、とても高貴な人のように思われました。
「あなたはどちら様ですか。ここはいったいどこなのでしょう」
「私は額田王です。ここは飛鳥の都ですよ」
するとヌバタマはいつの間にか集まってきていた役人たちに両脇を抱えられ、宮中へと連れていかれたのでした。

案内された部屋では、役人がひたすらに仕事をしていました。
「何を書いていらっしゃるのですか」
「先日の宴で詠まれた歌を集めて書き留めようとしているのだが、この漢字の書き方がわからず、筆が止まっているのだよ」
それからヌバタマは、持っていた電子辞書を出し漢字を調べてみました。
「様々な文字を見つけることができるとは驚きだ。今日一日よろしく頼むぞ」

こうしてヌバタマは、役人たちの隣で助手として働きました。そしてその日の最後の歌を書き留めた後、役人は言いました。
「歌は詠んだだけではすぐに消えてしまう。だから、歌を書き留めることは大切な仕事なのだよ」

その夜、宴が催され、ヌバタマは今日の旅の経緯を額田王に話しました。
「とてつもなく遠い世から来たのね。でも心配しなくていいわ。無事に帰れるように、お祈りをするから少し待っていて」
しばらくすると、月明かりがさす中、遠くから列車がやってくるのが見えます。
「気を付けて帰りなさい。それと」
最後に額田王は歌を詠みました。

熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出でな (額田王 巻一の八)

万葉集(額田王 巻一の八) 

「あなたの詠んだ歌は私たちの時代にも変わらず生きています」
こうしてヌバタマはやってきた列車に乗り込み飛鳥の都をあとにしました。


時代設定

時代:古代(七世紀後半)🇯🇵
地域:飛鳥京(奈良県)🦌
お助けアイテム:電子辞書🪄

物語の舞台

物語の舞台は飛鳥京です。今回登場する額田王については、生没年不詳のため、額田王が活躍したと想定される七世紀後半を舞台に執筆しました。

●この時期の主な出来事
645年 乙巳の変が起こる(中大兄皇子[のちの天智天皇]・中臣鎌足らが中心となり蘇我氏を排除)
663年 白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れる
672年 壬申の乱が起こる(天智天皇の子大友皇子⚔️天智天皇の弟大海人皇子)

万葉集の成立

今回登場した額田王の歌も収められているのが万葉集です。八世紀に成立した日本最古の歌集で、およそ4500首の歌が二十巻に分けて収められています。

天皇家やそれぞれの家で伝わっていた歌集、自分が記録した歌を広く集め、歌集の形に編纂した一人が大伴家持(718頃~785年)です。

万葉集ができるまでには、その他にも様々な人々が関わっていたと考えられています。

①歌を作った人
②作られた歌を書き記した人
③書き記された歌を集めて保存した人
④集められた歌を家ごとの歌集のかたちにした人
⑤家々に伝わっていた歌集の歌から歌を選んだ人
⑥『万葉集』のもとのかたちを作った人
⑦『万葉集』全体を統一して編纂した人

上野誠『入門万葉集』より


物語では、大伴家持が活躍した時代よりは少しさかのぼりますが、同じく役人の立場で歌の保存にかかわった人物(架空)が登場します。

お助けアイテムの登場

万葉集がつくられたのは、ひらがな、かたかなが生み出された平安時代初期よりも前です。つまり、万葉集はすべて漢字で書かれています。日本の歌を漢字で表現することの難しさは計り知れませんが、今回は少しでもお助けアイテム🪄でお手伝いできていれば幸いです✍️

万葉集の原本は残っておらず、平安時代以降に書き写された種々の写本によってのみその様子を知ることができます。

万葉集(西本願寺本)

漢字の連なりから古代日本語の歌を読み取るのは容易なことではありません。万葉集の歌は、十世紀半ば、源順ら五人の学者たち(梨壺の五人)が『後撰和歌集』の編纂と共にその読解を始めて以来、鎌倉時代の仙覚、江戸時代の契沖や賀茂真淵、さらには近代以降の多くの学者によって読み解かれてきました。その解釈の歴史自体も貴重な史料となっています。

後世の私たちが和歌を楽しめるのも、様々な書物を先人達が書き残してくれたおかげです。

額田王との出会い

額田王は万葉集を代表する歌人の一人です。
生没年は不詳で、『日本書紀』に鏡王の娘で大海人皇子(天武天皇)との間に十市皇女を生んだとあるのみで、謎に包まれた歌人です。天智天皇の後宮に召されたとも推測されていますが確かな資料はありません。

物語に登場した「熟田津に~」の歌は、額田王の代表作の一つです。

熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出でな                         

熟田津で船に乗り込もうと月の出を待っていると、潮も、船出にちょうどよくなってきた。さあ、今こそ漕ぎ出そう

(現代語訳は『万葉集(一)(岩波文庫)』より引用)


この歌が詠まれた当時、朝鮮半島情勢は緊迫しており、友好国であった百済が、唐・新羅連合軍に圧迫されていました。そうした状況を踏まえ、661年、当時68歳だった斉明天皇自ら船団を率いて筑紫へ行き、劣勢を挽回しようとしていました。この折、額田王も天皇に同行しており、全軍の心を一つにするべく詠んだ船出の歌です。

リンゴ🍎・スリザリン🐍と合流し、無事に元の世界へ帰れるのかというドキドキした心境に対し、歌の力が旅の無事を後押ししてくれるといいなという気持ちを込めて、最後にこの歌を引用しました。

参考文献

・山本博文『地図でスッと頭に入る日本史』(2020年、昭文社)
・上野誠『入門万葉集』(2019年、筑摩書房)
・神野志隆光『別冊太陽 日本のこころ180 万葉集入門』(2011年、平凡社)
・佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(一)』(2013年、岩波書店)
・佐佐木信綱, 武田祐吉 編『万葉集 : 西本願寺本』巻1,竹柏会,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1242401

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?