見出し画像

真夏のタイムトラベル【第1章:お米のスープ】

#3週連続短編歴史小説
文字数:800文字(目安読書時間:3分)
「第1話:プロローグ」はこちら

第1章:お米のスープ

 車外は真っ暗。季節違いの寒さに震えました。
「完全に乗り過ごしたぁ。チュウセイ駅…」

 乗り物酔いが回ってきて、スリザリンは近くのベンチに座りました。スマホは圏外表示のまま。旅行鞄とまだ新しい炊飯器(リンゴの自宅付近で合流した際に譲渡する約束でした)も床に放り出されたまま。野宿だよね。

 二人には後で事の次第を説明しようと顔を上げた時、遠くで蝋燭の灯りがキラリ。
「あれ…もしかして祭壇?確かにベンチも数が多いし、天井が高くて窓が多いってことはゴシック様式。ということは中世の教会?」

 その時、後方から誰かの足音が。スリザリンは思わず物影に隠れました。
 足音は一直線に祭壇の前まで来ると、膝まずき、お祈りを始めました。
「イエス様、マリア様。無事にオルレアン市入場を果たしました。心から感謝と喜びを。明日の戦いを勝利へ導いてください…」
 よく見ると高校生くらいの少年です。

 その時、間の悪いことに炊飯器が急に音を立てて蒸気を吐きました。
「誰ですか。私の祈祷中は誰も入ってこない約束のはず」
「ごめんなさい。スリザリンと申します。電車で来て、戻り方がわかりません。しばらくこの教会に泊めていただけませんか」
「私は人々に乙女と呼ばれる者です。あなたはここの市民でも敵でもなく、本当にお困りのよう。盗み聞きしないならどうぞ泊まってください」

 炊飯器ではなぜかご飯が炊けていました。
「恐れながら食器をお借りできませんか。夕飯がまだで…。残りは他の方々へ回してください」

 乙女は困惑しながらも、料理を手に戻ってきました。
「この町は餓死寸前でしたので、どんな施しもありがたい。ご飯はスープに混ぜました。こちらを召し上がれ」
「ありがとうございます。ご武運を」

 スープの熱で次第に眠気が回ってきて、気づくとそこは元の電車。
「電車で変な夢みたっぽい。たぶんジャンヌ・ダルク。また着いたら話す!」

時代設定

時代:中世末
地域:フランスの中北部の都市オルレアン
お助けアイテム:炊飯器

フランス🇫🇷オルレアン市
(1429年4月29日)

ジャンヌ・ダルクは、甲冑姿で軍の統率を取りフランス国王を百年戦争の難局から救ったことで知られる少女です。特に7ヶ月籠城戦を続けていたオルレアン市からイギリス軍を撤退させるという軍功をあげた後、王太子シャルルの戴冠を成功させます。

当時フランス国内はイギリスと結びつきイギリス国王を次期フランス国王に推薦するブルゴーニュ派と、フランス王家の血筋であるシャルル七世を次期フランス国王に推薦するアルマニャック派とに分裂していました。
いつイギリスにフランスを奪われてもおかしくない状況でしたが、イギリスの王太子に先立って正式に戴冠式をあげることでフランス国王の座が奪われる危機を回避できたのです。

※1 xvi
※1 xiv-xv

そのためオルレアン市の籠城戦は、フランス史においてナショナリズムの形成に重要な意味をもっています。

本作では人々が寝静まる夜中ということもあって、戦争中の緊迫感が伝わりづらいかもしれませんが、ジャンヌ・ダルクのオルレアン市入場初日(4月29日午後8:00頃)の真夜中を舞台にしています。

ジャンヌ・ダルク
(1412年1月6日-1431年5月30日)

農村に生まれ、真面目で信仰心の厚い少女だったジャンヌ・ダルクはある日、自宅近くの庭で「フランス国王を戦争の窮地から救え」といった内容の神の声を聞き人生が一変します。
彼女は「声」に導かれて王太子に謁見し、その約1ヶ月後にはオルレアン市の戦いに参加。

オルレアン市包囲戦では、市壁の北と西と南はイギリス軍が布陣し責めるのが難しい状況だったため、ジャンヌ一向は救援物資を携え東から入場します。その後、いくつかの戦闘でイギリス軍を一蹴し、市中央部から南のロワール川をまたぐ橋の対岸にそびえる2つの塔をイギリス軍から奪還。翌日のイギリス軍撤退へと持ち込みました。

※1 p.40

このようにジャンヌが百年戦争の勝利に果たした役割は大きかったにも関わらず、シャルル七世が独断でブルゴーニュ派と和睦・停戦を進めたため、ジャンヌの思うように軍の統率が取れず戦局が傾き、遂にはブルゴーニュ軍の捕虜になってしまいます。

ジャンヌはその後、特に彼女の神がかった戦力を恐れていたイギリスに買い取られ、処刑裁判にかけられます。裁判では、男装していた点と聖職者に口答えした点について主に断罪され、最終的に「戻り異端」として火刑に処されました。

「戻り異端」というのは、一度罪を認めた(罪状の認可証にジャンヌがサインしたという建前ではあるが、状況やサイン自体を考えると脅迫された可能性が高い)後で、再び背教行為をしたこと(ここでは男装)を示します。

わざわざ一度目の審査で処刑せず「戻り異端」として処刑したのは、判決の正当性を強調するためであり、背景にはジャンヌがフランス国王として支持するシャルル七世を正統と認めない裏付けにしようという目論見もあったとか。

しかし、20数年後にジャンヌの母を筆頭に故郷の人々や軍関係の知り合いの証言を集め、汚名取消のために復権裁判が開催。無罪確定となりました。ここから、彼女の人柄や政局争いに巻き込まれた不運を想像できます。

広く出回っているイメージや物語では「神がかった少女」としての側面が強調されがちですが、今回の歴史小説企画ではなるべく等身大の姿を想像して描写してみました。

※1 pp.228-229

細かな描写について

・季節違いの寒さ
 B.B団3名が旅行に出掛けたのはこの企画公開スタートと同じ8月を想定していますが、タイムスリップしたのは4月末。しかも日本より高緯度のフランスで暖房設備もないので、スリザリンが電車を降りた時に感じた寒さは季節のせいだけではありません…🥶

・ゴシック様式の教会
 ジャンヌの時代にオルレアン市内には実際に教会(サント・クロワ大聖堂)があり、ジャンヌはオルレアン解放後、ここで祈りを捧げました。現在この聖堂のステンドグラスにはジャンヌの生涯が描かれています🖼️(※4)

・高校生くらいの少年
 オルレアン包囲時のジャンヌの年齢は17歳。容姿については全くわかっていませんが、シャルル七世に特製の甲冑を贈られており、戦争中は男装していたことからも、遠目には少年と見間違えられてもおかしくなかったでしょう。

・乙女と呼ばれる者
 人々は彼女を「乙女(ラ・ピュッセル)ジャンヌ」と呼び、彼女も手紙にサインする時には「イエス、マリア、乙女ジャンヌ」と記しました。

・炊飯器
 今回のお助けアイテム🍚。なぜか電気もないのに炊飯器でご飯が炊けてしまいました。そもそもタイムスリップ自体、現実的ではないので魔法の力に頼ってしまいました…(・・;)炊飯器は20世紀の文明の利器なので、ジャンヌが見間違えるとしたら場所が教会ということもあって聖遺物容器とかでしょうか。ただ驚くべきことにこの時代ヨーロッパでは、お米自体は貴重な食物として食べられていました。(※5)

・スープ
 オルレアン包囲戦でパンを食べていたことは手元の資料で確認していますが、詳細な料理の記述まで確認できませんでした。ですが全く出鱈目というわけでもなく、昨年クリスマスにB.B団で料理企画を行った際に可愛やリンゴ🍎さんが調べていたイタリア中世料理ミネストラを参考にしました。またミネストラと同時代の「健康全書」には大麦のスープといった料理も登場するので、中世末フランスでお米をスープにまぜる発想があっても自然な気がします。

参考文献

※1『ジャンヌ・ダルク:歴史を生き続ける「聖女」』高山一彦(著)岩波新書,2005年.

※2『奇跡の少女ジャンヌ・ダルク』レジーヌ・ペルヌー(著),塚本哲也(監修),遠藤ゆかり(訳)創元社,2002年.

※3『オルレアンの解放』レジーヌ・ペルヌー(著),高山一彦(編・訳)白水社,1986年.

※4「ジャンヌ・ダルク生誕600年特集-オルレアン」メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド

※5 上林篤幸「ヨーロッパの米と稲作」農林水産政策研究所

感想

初めて歴史を題材に小説を書くということもあり、なるべく史実に沿った内容にしようと、下調べに1周間以上時間かかってしまいました。その時代に没入して当事者意識をもって調べ物をするのは楽しかったです。

本編では取り上げられませんでしたが、戦いで使われた武器(オルレアン市壁内から放たれる大砲がイギリス軍を震撼させていました)や、処刑裁判の記録など、こういう資料の細部にこそ、その人が生きた立体的な証が残るのだと、改めて考えさせられました。

また800文字(400字詰め原稿用紙2枚分)という字数制限について、書き始めは多いくらいに感じていましたが、書いてみると余裕でオーバー…🙀削る作業に苦しみました。

お盆もすぐそこの今日この頃ですが、読者の皆さんもこの夏は我々B.B団と一緒に、ぜひ軽くタイムスリップを楽しみましょう!🕰️(続く話では古代、近代へとタイムスリップ!見逃さないでくださいね😉)
ここまで読んでいただき、ありがとうございました☺️✨

2024.08.10
Slytherin🐍

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?