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電話の声は向日葵の君

昨日は「電信電話記念日」だったそうだ。
この間買った手帳に、そう記されていた。

電話と言えば、思い出す人がいる。
20代の頃にほんのり好きになった、高校時代の同級生だ。

その人は、クラス会で再会したことをきっかけに年に数回集まるようになったメンバーの一人だった。クラス会でその人が何気なくしてくれた気遣いに痛く感動し、その日から気になる存在になっていった。

初めてその人と電話で話したきっかけは全く覚えていないけれど、いつからか何かと口実を作って電話をかけるようになった。それは私が片思いしていたゆえにその人と話したくてかけていたわけだが、それ以上にその人と電話で話すことそのものがとにかく好きだった。

その人はきっと私の気持ちにも気付いていただろうし、大した用事もないのに電話をしてくることを煩わしく思っていたところもあったと思う。けれどその人は、いつ電話をしても電話の向こうで笑ってくれていることが分かる、笑顔の声で付き合ってくれる優しい人だった。

車を運転している最中にかけてしまっても、わざわざ路肩に車を停めて電話に付き合ってくれたこともあった。「別に用事はないんやけど」とかけたときは、「なんも用事ないんかいな~」と笑いながらもしばらく付き合ってくれた。

朗らかで優しいその人の声には、私の中で明確な色がついていた。
その人以外で声に色を感じたことは今も昔もないけれど、その人の声は向日葵みたいな明るくて気持ちのいい温かな黄色をしていた。

その人への想いは単純に「恋愛的な好き」というよりも、人としての尊敬の念が幾分か強かった。
前述したようなさりげない気遣いや気配りや、表面的ではない優しさが垣間見える言動がいつも自然でとても素敵だったので、「こういう人でありたい」という憧れすら抱いていた。
なので、「生まれ変わったら、この人の子どもになりたい」なんてことを考えたりすることもあった。こんな人に育ててもらえてたら、どんな子もきっといい子に育つに違いないと私には思えたので。

20代のうちは、連絡手段と言えばまだ電話かメールが半々くらいの時代だったが、徐々にメールやLINEの文字での交流が主流となるにつれ、わざわざ電話をかけることへのハードルが高くなっていった。それにより、その人と電話で話す機会はいつしかなくなっていった。

その人は30代で結婚してかわいい子供にも恵まれ、私が想像した通りの優しいパパになった。結婚しても子供ができても、会えばいつもの優しく楽しい彼だったので、ああ、一時でもこの人に恋して良かったなと心底思った。

しばらく会っていないけれど、元気にしているかな。
「コロナ禍」なんて言葉が過去のものになった頃に、またみんなで集まりたいね。




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