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そこへ行く、ということ。

4月下旬、東京へ行ってきた。
コロナ禍に入ってから初めて、地元を離れての遠出だった。

4年ぶりの新幹線。流れる景色を見るともなくぼんやり眺めていると、「ああ、私は遠くに行くんだな。遠くに行けるんだ。遠くに行けるって素晴らしいな」という感慨で胸がいっぱいになった。

自由に移動できない環境で過ごしていた間は、ある意味、監獄にでも押し込められていたようなものだった。だからこそ、(まだ完全に安心できる環境ではないにせよ)行きたいと思った時に行きたい場所へ行けることへの感謝から、「遠くに行けるって素晴らしい」という想いが自然と湧いてきた。
新幹線を降りた時、私は『ショーシャンクの空に』のあの名場面そのものの気分だった。さすがにポーズまでは取らなかったが。

2020年からの3年間、いろんな我慢をしてきた。それは自分や家族、周りの人たちの健康を守るために必要な我慢だ。
しかし、我慢には変わりなく、それなりに心身への負担もあった。特に、「自由に動けない」「会いたい人に会えない」という制約は、自覚していた以上に精神への影響が大きかった。

その反動から、今の私はかつてないほど「好き」を動機とした行動のためにエネルギーを注いでいる。
私の中で「そろそろ動いてもいいかな」と思い始めたタイミングと、私にとってとても魅力的なイベントのスケジュールが完全に合致し、「そりゃもう行くしかないでしょ!」という気持ちになるべくしてなったのだ。

先日は、待ちに待った映画が封切られ、すでに4回映画館で鑑賞してきた。
同じ映画を2回観に行ったことは何度かあるが、ここまで回数を重ねてみることは初めての経験だ。観るたびに発見のあるとても味わい深い作品で、すっかり虜になってしまったのだから仕方がない。できればさらにもう1回くらいは映画館へ行こうと思っている。
映画鑑賞自体はこの3年の間にも何度か映画館へ観に行っていたが、とにかく外出するという行為自体が億劫な体になってしまっていたので、この行為は自分の行動制限を解禁したという象徴のひとつと言える。

そしてこの夏は、観劇のために東へ西への大移動も予定している。
それに合わせ、しばらく会えていなかった遠くに暮らす友だちにも会いに行き、ついでに好きな映画のロケ地も巡ってみようと計画している。

私たちは言葉を持ち、その言葉を人に届けられるツールもいくつか持っている。そのおかげで、遠く離れた友だちに自分の言葉を伝えることができ、友だちからの言葉を受け取ることもできる。だから、直接会えなくても繋がることはできる。

けれど、直に会うことでしか伝えられない言葉があり、同じ場所で同じ空気を吸うことでしか伝えられない・伝わらないものがある。そして、そこへ行かなければ見えないもの、触れられないもの、見つけられないもの、出会えないものが必ずある。

行きたい場所へ行く。会いたい人に会いに行く。
それは手間も時間もお金も体力もかかることだが、かけた以上のものが得られることの方が圧倒的に多い。少なくとも、私の場合はいつもそうだ。

そこへ行く、ということを、これまで以上に大切にしていきたい。




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