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気づかないうちに心が張り詰めていても、また立ち直れるよ

「犀の角のようにただ独り歩め。」

この言葉を何だか勘違いして
犀の頭にある丈夫な一本の角のように、周りに何て言われようと孤立しても強く生きていくんだ、
そんな無駄な緊張感を感じていたと気づく時が時々あります。

人と違う自分が良いとどこかで思いながらも、人と心の距離が離れるのが怖い。

本当はみんな違いながらも繋がっていくことが可能なのに、何だか最近は難しいなと変に力が入ってしまう事も少なくありませんでした。

悩む時はどこか
「どうして分かってくれないんだよ。」
と自分の中の悲しみの表れだったりもします。


「犀の角のようにただ独り歩め。」

執着から離れるには、自分と向き合う時間が必要です。
自分を振り回しているものは何なのか、自分はどうしたかったのか、まずは気づく。


noteを約2ヶ月前に始めた時は
「世界がおかしなことになっています!」
「みんなお願いだから気づいて!」
そんな変な使命感と正義感みたいなものにどこか取り憑かれながら、今住んでいるカナダでの学びについてまとめていました。
もちろん書いた記事やその時の想いに偽りはありません。
でも
「どこかで誰かが考えを変えてくれたら」
なんて幻想を抱いていたのは間違いだったな、とこの約2ヶ月の間で学びました。

いつだって
どの国にいても
誰だって
感情を揺さぶられる情報に注意が向き
過去の事は振り返らない。
誰かを悪者にして
自分は正義の味方なのだと信じている。

その繰り返し。
今更腹に落ちた気がします。

それに気づくと
もう何だっていいや。
自分が何を望んだところでどうせ叶うことなんてない。
夢なんてあったって意味がない。

ただ息をするだけ。。

とカッコつけて絶望感に浸ってみたりもしました。

絶望のようで実はそこからがスタートです。

意味がないと気づいたところからがスタート!


目標があることは励みになりますが、
ゴール達成が目的の人生とは思っていません。

いかに最短で目標達成したかが評価の基準ならば、
「最速で演奏したオーケストラが一番素晴らしい」
ということでしょうか?
ゴールだけが大切ならば
「フィナーレだけを作曲する音楽家が偉い」
ということでしょうか?
音楽を作曲しているその過程
オーケストラのメンバーと一つの曲を作り上げる練習をしている時間
観客として作品をじっくりと聴いているその瞬間
始まりから終わりまでの旅が楽しみどころなのではないでしょうか。


ダンスを踊るときは速く踊ることが全てですか?
はやく踊りきる事を考えて踊っているダンサーはいるでしょうか?
ダンスを踊ること
その瞬間瞬間を楽しんで表現しているのではないでしょうか。

「犀の角のようにただ独り歩め。」

どんなに心が折れそうでも
誰も自分の事など分かってくれないと思っても、
今感じていることに素直に気づいて自分に優しくできたのなら
自然と自分の道を自分で歩んでいけるのかもしれません。

私もその道の途中。

その道がいつ途絶えてしまうか分からないから、できるだけ楽しいことを拾い集めながら歩いていこうと思います。

みなさんは、どんなことしている時自分が活き活きしていますか?
最後にそう感じたのはいつですか?

忘れかけても大丈夫。
寄り道も悪くない。


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