見出し画像

4.7. 小括:「今ここ」にいる「自分」は,「伝統」に先立つ

「伝統」に「対抗する方途」

茶会という「今ここ」を体現する空間では,「創意工夫だったりとか,そこに込める気持ち」によって,流派とのヒエラルキーも覆されると洋平さんは話していた。

この思想は,それまで血統や「伝統」の正統性の上で行われていた議論を,別の土俵に移したものである。


第2章(2.2.3.)でも触れたが,血統の正統性を持たない市民が貴族に「対抗する方途」は,「何者かではなく,どのように生きているか」〔宮本 2006: 61〕を体現することだった。

「自身を文化として,すなわち徳・行動様式・規範の総体として構成」〔Nipperday 1987: 143〕することとも換言できる。


例えば「創意工夫」は,誰にでも了解可能な尺度では評価され難い。
しかしそれこそが,血統の正統性といった誰にでも了解可能な価値に「対抗する手段」だったといえる。

すなわち,絶対的なものが絶対的とされない土俵(もしくは尺度)に移してこそ,インフォーマントの「お茶」の価値が議論できるのである。


「評判」に基づく茶人の評価体系

別のセクション(4.3.3.1)でも触れた一例として,名物と呼ばれる道具の値段は,それを所持している人間(茶人)に準じている。

所持者の社会的「評価」が高いほど道具の価値が上がるのだ。


この「評価」は人格や知性,創造性等を他人が判断したものである。
つまり,道具に値段をつけるための,普遍的で絶対的な価値体系が存在していない。


こうした茶人の評価体系は,平成時代に限らずいつの時代も「評判」に基づいていた。

すなわち,茶道界という評価経済社会においては,人々が意識するのは他人──茶会の参加者だけでなくインターネット上の通りすがりも含める──からの評価である。(4.4.1.1.参照)


その「他人」を意識した上で,インフォーマントが取った策はいくつかある。

例えば本稿のインフォーマントは,概念の議論へと移行するのが得意だった。


「伝統」と「伝承」という語を使い分けたり(4.3.2.参照),歴史に裏付けられた権威と「今ここ」に生きる自分を対比させたり(4.3.3.1.参照),定義や比較対象を適宜変更して理論武装する。

明確な評価基準が存在しない茶道界だからこそ,こうした概念操作が有効であった。
これらも外部からの評価に「対抗する方途」であるといえる。(対策に関しては4.4.1.1.4.4.1.2.も参照)


とはいえ現実はそれほど単純ではなかった。

「茶道団体」は流派に「対抗する」ことを目的としていない。


「対抗する」より重要なこと

上述のように概念の話に持ち込み,ホームページ上のプロフィールを相手に合わせて編集し(4.4.1.1.),個人ではなく「茶道団体」という形式を上手に駆使する。

それらは全て,流派や「伝統」との,無用な衝突を避ける意味もあった。


個人としてではなく,まず「茶道団体」として活動するのは,個人対流派という構造を,団体名を使うことで緩衝する目的あったも考えられうる。

このとき,「茶道団体」対流派という構造になる。


個人名よりも団体名の方が一人歩きしやすかったことも,茶人として無名の個人の活動が,急速に市井へと浸透し流派と並ぶようになるまでに,「茶道団体」という形式をとることが効果的であると予想できるだろう。


加えて,流派に納めた金額以上の恩恵を受け取る「お茶」の仕方が,「茶道団体」といった形で,教室の外でお茶をすることであったと考えられる。
あるインフォーマントの「お茶のお稽古をしてるだけだったら,なかなかやっぱり(メリットを)感じ取るのは難しい」といった発言(4.6.2参照)は象徴的だ。


アテンション・エコノミーにおける「お茶」

本章の序盤(4.1.から)で示したような,話題性の高いお茶と,「茶道団体」の代表者の活躍──端的に言うと知名度と露出度──は相関関係にある。
彼らの知名度と露出度の上昇については,第5章で詳しく見ていく。


評価や「注目 [注57]」を得られることが,インフォーマントが独自の「お茶」をするメリットの一つであると捉えるのは容易である。
しかし,その益を彼ら自身(と時に流派)が得ることはあっても,だからといって流派には特にデメリットも生じない仕組みになっている。


むしろ,インフォーマントの方が人気と影響力の点で優っているとき,その勢いに乗っかろうとする動きも,流派側や年配の茶道修練者に見られた。

この「組み込み」理論(4.6.1.参照)の通りであれば,あくまで流派側もインフォーマントを利用しようとしている。

しかし,よくよく「今ここ」を注視してほしい。

これまで生徒から茶道教室に一方通行で向いていた矢印の向きが,入れ替わった瞬間があったのではないだろうか。


そして次章では,その矢印の向きが替わるほどの変動が若手社会人茶人に与えた影響と,彼らのお茶の仕方と働き方から浮かび上がる現代茶道を描写する。


*****
[注57] 情報過多の現代において稀少なのは,今や情報ではなく「注意(Attention)」であるという指摘は,アテンション・エコノミーという語で説明されてきた〔マラッツィ 2010〕。
目に見えない暗黙の実務を含む「非物質的労働」は,注目といった人間の一般的な認知能力を使役することである。それは「人間が他者と生きる中で涵養され,つねに広範な社会的資源(慣習,言語,文化,人間関係,学問など)に関わっている──すなわちコモンにおける活動であり,そのコモンを用いて新たにコモンを生み出すこと」〔山本 2016: 64〕であるとされているように,現代における活動の争点は,この文脈における「アテンション」なのである。

*****
←前の項目 4.6.2. 流派への想いの二重性:感謝と個人的思惑のアンビバレンス

修論目次

→次の項目 第5章 個人としての「茶道団体」の代表者:現代の社会人茶人たち
*****

初めまして、Teaist(ティーイスト)です。 noteまたはSNSのフォローをしていただけると嬉しいです🍵 Instagram https://www.instagram.com/teaist12/ Twitter https://twitter.com/amnjrn