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【エッセイ風連載小説】Vol.22『その謎はコーヒーの薫りとともに夕日に解けて』

Vol.22
延長十二回表裏「絶望と希望、その先にある虹の橋を越えて」

 
あの日以来、週末はただひたすら眠っていた。
 
目覚めては眠り、また目覚めては眠る繰り返しの中で時々、現実と夢の境目さかいめ曖昧あいまいになる。現実はカレをあの日のカフェに連れ戻し、夢があの日を忘れさせてくれた。
 
眠っている時だけが、カレのココロをなぐさめてくれた。
 
あとどれくらい眠れば自分は起き上がれるのだろう。微睡まどろみの中でぼんやりそんなことを思いながら、ありふれた言葉がやたらと頭の中に浮かび、そして消えてゆく。
 
「時間が解決してくれる」
 
映画やドラマで聞いたら一瞬でえそうなセリフなのに、今のカレにとってはわらのような救いだった。そんな陳腐ちんぷなセリフがみるほど、カレのココロは乾いていた。
 
その翌週末、隣の部屋から聞こえるけたたましい騒音でカレは目覚めた。時計を見るとまだ朝の9時。その日は朝から工事があることをすっかり忘れていた。
 
あと少しだけ、もう少しだけ寝かせてくれよと思いながらも、工事の音と振動はカレが眠りへいざなわれることをゆるさない。何度も眠ろうとしたが、三度目のチャレンジでカレの気持ちは折れた。観念して起き上がる。
 
ただ、いざ起き上がったものの、予定もなく、特にやりたいこともない。カレは回転不足の頭に何かやりたいことが浮かぶことを期待した。
 
「とりあえず、どこかでコーヒーを・・・」
ココロの中でそうつぶやいていた。
 
一年足らずに繰り返していたことが、いつしか自分のカラダにみついていたことに気づき、カレは少し、悲しくなった。
 
一か月前まで、あんなに楽しみにしていたカフェ通いから遠ざかっている今、本当はカフェに行きたがっているのかもしれない自分のココロが、なんか、切なかった。
 
わかってる・・いつまでもクヨクヨしててもしょうがないことは。だけど、カラ元気すら出ない。でも、だからこそだ。
 
───コーヒーを飲みに行こう。
 
カレは重いカラダと気持ちを引きずるようにして部屋を出た。あの日、一度は手放したイヤホンを、再びその手に握りしめて。
 
コーヒー片手に、カフェで音楽を聴きながら本を読む。イヤホンは自分の世界にひたるため、自分の世界を守るためのよろい。途中の古本屋でなんとなく選んだ100円の本を手に、カレはカフェへと向かった。
 
たまプラーザのカフェ『N』は駅から少し離れた場所にある。公園に隣接していて、天気のいい日はオープンテラスが心地良さそうだ。
 
自然の中でコーヒーと読書をたのしむ、久しぶりにココロぐ週末が過ごせそうな気がする。誰の言葉も、そして会話も聞こえなければ、ココロが乱れることも傷つくこともない。
 
オープンテラスの一番端の席に座り、カレはさっき買った本、そしてスマホとイヤホンをテーブルの上に置いた。ここなら、誰のことも気にせず読書に没頭ぼっとうできるだろう。
 
笑顔が素敵な女性店員さんがコーヒーを運んできてくれた。

コーヒーをテーブルに置くときに女性店員さんの表情が少し動いたが、カレはそのことには気づかず、すぐにコーヒーを口へと運ぶ。
 
芳醇ほうじゅんな香りとほのかな酸味が口の中に広がる。
 
久しぶりにちゃんとコーヒーを味わっている気がする。ゆっくりとカラダに沁みるコーヒーに、カレのココロも少しだけほぐれる。
 
───さて、読もう。
カレは100円で買った物語を読み始めた。もちろん、イヤホンをして。
 
物語への没入ぼつにゅう感が高まるにつれ、イヤホンから流れていた音楽は遠ざかっていく。その時、やや離れた隣のテーブルに女子ふたりが座った。
 
その状況を少し警戒しながらも、カレは引き続き物語の世界を歩く。大丈夫、今日は自分を守ってくれる、イヤホンというよろいまとっている。少しボリュームを上げ、目の前のゆるやかな坂道を登り始める。
 
しかし・・・
よろいは突然、はぎ取られてしまう。物語の世界にいたカレは、スマホの充電切れによって、唐突に現実の世界へと放り出されてしまったのだ。
 
あまりのタイミングの悪さに自分の運命を呪う。

しかし、まだ大丈夫だ。よろいはなくともカレにはまだ物語を語ってくれる友人がついている。カレはよりいっそう本に集中した。物語を語る友人の手を強く握った。周りの雑音が気にならないほどに。
 
カノジョたちは来た時から、表情も硬く、言葉少なだった。それも小さな声で。しかし、そんな小さな声でも、とても力強くカレに届く言葉があった。カレと、物語という名の友人の手をカンタンに振りほどくほど、強い言葉が。
 
「いつまでそうやって悲しんでるつもり?」
まるで、カレに向けられたかのような言葉だった。
 
「もう半年だよ?」
「もう?・・・まだ半年だよ。まだ半年しか経ってない」
友人の声には静かな怒りが込められていた。
 
「そろそろ前向かなきゃ・・・」
「そろそろ?・・・アンタにはわからないんだね」
「じゃ・・・悲しめば帰ってくるの?」
「・・・何それ?」
「帰ってこないんだよ、もう」
「・・・最低だね。私帰る」
 
涙目で友人が席を立ったその時だった。
「最低なのはアンタでしょ」
 
悲しんでいるであろう友人に浴びせるにはあまりにキツいその物言ものいいに、カレは目の前の文字を追うことを諦めた。
 
「まだわかんないの?・・・アンタさ、チコちゃんの気持ち考えたことある?」
カノジョは肩に手をかけるように、友人の背中に言葉をかけた。
 「悲劇のヒロインぶってるアンタにはわかんないかもしれないけど、一番悲しかったのはチコちゃんだったんじゃないの?」
 
カノジョの言葉を振りほどこうとしていた友人の手が止まった。
「アンタともっと居たかったのに、居られなくなって本当に悲しかったのはチコちゃんだったんじゃないの?」
 
それは友人と愛犬の別れの物語だった。生後二か月にも満たない子犬を家族に迎えた友人の、12年にわたる愛情の記憶だった。
 
ずっと元気だったのに、突然のやまいが愛犬を襲った。それからわずか三か月後、その愛犬はあっけなくこの世を去った。それから半年、友人は日々涙を流し、悲しみに暮れていた。誰とも会わず、そして誰にも友人の悲しみはいやせぬまま。
 
時間が解決してくれるなんて嘘だ・・・そんな風に思いながら、友人はこの半年をまるで死んだように生きていた。
 
その友人を無理矢理ここに連れ出したのがカノジョだった。
 
「チコちゃん、無念だったと思うよ。本当に悲しかったと思う。けど、チコちゃんは命が尽きる最後の一瞬まで生きよう、絶対に生きなきゃって頑張ったんじゃないの?大好きだったアンタのために、頑張ったんじゃないの?」
 
犬は自分が死ぬということを理解していないと言われている。しかし実際は、自分の死期がわかり、残される飼い主を案ずる行動を見せることがあるという。
 
「なのに、どうにもならなかった。奇跡は起きなかった。でもチコちゃんは最後まで絶対諦めずに生きることをまっとうしたんだよ。凄いよ。なのに、アンタはずっと悲しんでるだけ。ただただ自分がツラい悲しいってメソメソしてるだけ」
 
カノジョの思いがあふれる。
 
「今のアンタ見て、チコちゃんはどう思うんだろう?自分が死んだことをいつまでも悲しんでるアンタを見て、チコちゃん、悲しんでるんじゃない?苦しんでるんじゃない?自分が死んだばっかりにアナタにこんな悲しい思いをさせたこと、チコちゃんきっと悔やんでると思う。自分がもっともっと生きていれば、自分が死ななきゃアナタを悲しませることもなかったのに、って。誰よりも大好きだったアンタのことを悲しませてることを、チコちゃんきっと悲しんでる」
 
カノジョの思いは止まらない。
 
「アンタがそうやって泣いてる限り、チコちゃんはアナタのことが心配で死んでも死にきれないんじゃないの?自分が死んだことをこの先も悔やみ続けるんじゃないの?」
 
震える声でカノジョは友人に思いをぶつける。
 
「アンタのことが心配で、安心して天国に行けなくて、それでチコちゃんが幸せになれないんだとしたら、今アンタがやってることは何?いつまでもチコちゃんに心配かけて、苦しめて、アンタそれで本当にチコちゃんが大好きだったって言える?大切だったって言える?」
「私だって・・・」
「アンタは自分のことばっかりで、チコちゃんの気持ちなんて何も考えてない!」
「そんなこと・・・」
「しっかりしなよ!」
カノジョは叱るように、友人に強く、言葉を放った。
 
「私だって悲しいよ。チコちゃんがいなくなったことも、アンタがいつまでも悲しんでることも・・・親友がずっと悲んでるの見るの、ツラいよ・・・ツラいんだよ」
カノジョは泣いていた。
「大切な人がずっと泣いてるなんて、私絶対イヤだ・・・耐えられないよ」
友人も泣いていた。カノジョに背を向けたまま少し肩を震わせて。
 
「ねぇ、もう楽にしてあげようよ。チコちゃんが安心して虹の橋を渡れるように」
 
席に戻った友人は、ハンカチでその顔をおおいながら、震える声でカノジョに言った。
「・・・ゴメン・・・ゴメンなさい」
友人の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
 
その時、近くにいたあの女性店員さんがそっとカレのテーブルにやってきた。
「・・・よかったら使って下さい」
カレにそっとハンカチを手渡す。戸惑いながらもカレは思わず受け取った。
「・・・えっ!?」
 
その時初めて、カレは自分が泣いていることに気づいた。

開いた本に何滴も涙が落ちていた。
カレは慌ててハンカチで涙をぬぐう。
 
そして、笑顔が素敵な女性店員さんは、いつの間にか別のテーブルにドリンクを運んでいた。
 
少しの沈黙のあと、友人は顔をおおっていたハンカチを机の上に置いた。
「もう泣くの、やめなきゃ、ね」
友人がうなずく。
「・・・ゴメン、ホントに」
「私より先に謝る相手、いるでしょ?」
「・・・うん」
友人からほんの少し、笑みがこぼれた。
 
「誰かが目の前から突然いなくなるって悲しいよね」
カノジョは早くに父親を亡くしていた。
 
「その時ママ、泣かなかったんだよ。スゴく仲良くて子供の私から見ててもお互い大好きなんだな、って思ってたからママが泣かなかった時ショックで。ホントはパパのこと好きじゃなかったのかな、って。けど、そうじゃなかった。ママは私や妹が泣いてたから自分が泣いちゃいけない、これからは自分がパパの分まで子供たちを守らなきゃいけない、って。それに泣いてたら天国のパパが心配するから、って。パパを心配させないためにも自分が強くいなきゃ、頑張らなきゃって。オトナになってからそれ聞いて、私泣いちゃった」
 
命の尊さやはかなさを知っているからこそ、カノジョの言葉は友人のココロを包むのだとカレは思った。
 
「人生、出会ったら最後、その先にあるのは別れしかない。その別れが早いか遅いか、ただそれだけ」
「・・・そうだね」
「だから、誰とも出会わなければ別れの悲しみはないのかもしれない。けど、誰とも出会わなかったら、それはもっと悲しい気がする」
 
友人の視線が一点に注がれている。そこには嬉しそうに尻尾しっぽを振った笑顔の犬がいた。
「出会わなかったらきっと、喜びもなかったよね」
笑顔の犬を見ながら、友人は愛犬との楽しかった日々を思い出していた。
 
人はみな、それぞれに悩みや苦しみ、悲しみを抱えて生きている。そしてその大きさや深さは、その人にしかわからない。だけど、自分が抱えているものは・・・

消えてしまいたい、カレは思った。

今、この時も世界ではさまざまなことが起きている。別れや悲劇、そして絶望にココロをくだかれている人がいる。
 
なのに、自分はどうだ?

つまらぬことで自分勝手に落ち込み、ねた挙句に「時間が解決してくれる」などというなぐさめにひたってイジけているだけの自分。
 
───死ぬほどダサい・・・だからモテないんだよ。
カレは自分をわらう。
 
「時間が解決してくれる」
その言葉に慰められ、気づかぬうちに甘やかしていた自分をただわらうしかなかった。
 
変わりたい、本気で思った。
自分を変えなきゃ、そう思った。
 
じゃ、どうする?どうすればいい?
わからない・・・だけど一つだけ、はっきりわかったこと。
 
「時間が解決してくれる」んじゃない。
「自分が解決する」んだ。
 
目の前にある「時の川」がすべてを洗い流してくれるのを待っていたら人生なんてあっという間だ。
 
「時の川の流れ」は子供の頃は優しくゆるやかだ。しかし、歳を重ね、オトナになるにつれ、その流れはどんどん早くなる。
 
此岸しがんで年々早くなっていく「時の川の流れ」を、何も考えずただ指をくわえて見ているだけで終わる人生を想像してみる。
 
仕事をしてそれなりのお金をもらい、それなりの生活をしている人のほとんどが、新しいチャレンジをすることなく淡々たんたんと過ぎてゆく日々を満足げに語る。
 
「時が経つのは早いよね」
「年々、時が経つのが早くなるよね」
 
時の川はオトナになればなるほど激しくて、そこを渡ろうとはしなくなる。利口なオトナは自分で川を渡ることはせず、その流れを眺めるだけだ。
 
悲しみやココロの傷を癒すために時が過ぎるのを待つことと、新しいチャレンジを放棄し、目の前の時の流れを「早いねぇ」と満足げに見ていることは、一見いっけん全く違って見えるかもしれない。
 
しかし、よく見ればわかる。
全く同じなのだ。
 
目の前で時間が過ぎていくのを、ただただ無為むいにやり過ごしているだけなのだ。
 
果たして、そこに生きる意味はある?生きる価値があるのか?
 
はからずも、目の前で起きた、「死」によって此岸しがん彼岸ひがんに分かつことの意味を問う会話。
 
「時間には限りがある」ということ。
 
「モテる」とは?
「いいオトコ」とはなにか?
 
そんな一見バカバカしくおろかしいと思える問いから始まったカフェ巡りは、どこへ向かおうとしているのだろう。
 
その答えを出せぬまま、ズルズルとここまでやってきた。しかし、もう終わらせなきゃいけない。
 
野球の試合に例えるなら今の状況は
 
「最終回、その裏。完全なビハインド」
 
カレの手には白いハンカチが握られていた。
それは、笑顔の素敵な女性店員さんが手渡してくれたハンカチ。
 
いい年をしたオトナのオトコがカフェで泣いた。しかもその理由が、近くの会話を聞いたことなのだから、恥ずかしいにもほどがある。
 
借りたハンカチを黙ってそのまま返し、もうこのカフェには来ないという選択肢もある。
 
しかし・・・カレはそれを拒否した。

その白いハンカチをそのまま返すことは、まるで今のこの状況に白旗を掲げるかのように思えたから。
 
白旗、それはつまり降参だ。
 
果たしてカレはハンカチを握りしめたまま、そのカフェをあとにした。
 
何をどうしたらいいのか何もわからぬまま、カレは夕日を背に歩き出していた。

                    つづく

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