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【怪奇小説】『サナトリウムに』-第一回-

 中部地方の内陸に位置する山間部に、竹泉ちくせん市という人口三万人に満たない小さな地方都市がある。自然に囲まれ、澄んだ空気と、夏場でも涼しく過ごしやすいことから、この竹泉市を――正確には、市の北側にある雨里あまさとという地域を――全国から観光客を呼びよせる避暑地としてリゾート化する案が、市の町おこし計画として立案されたのは、お盆を控えた七月の半ば頃のことだった。

 その町おこし計画は都内のリゾート開発会社に持ち込まれ、数日のミーティングを経たあと、実際に集客を見込めるリゾート地に成りうるかどうか現地調査を行う運びとなった。そしてそれが、宇野うのしゅうが竹泉市に足を踏み入れる経緯いきさつになったのである。

「さっそくですが、開発予定地の雨里という所を観たいのですが?」

 挨拶もそこそこに、宇野は市役所を訪れるなり、地域振興課の職員にそう告げた。まだ二十代の宇野とは対照的に、竹泉市役所の職員たちの多くは年老いていた。いかにも田舎の小さな役所といった、くたびれた雰囲気が市役所内に充満していた。

「分かりました。では、こちらへ」

 宇野の対応をしていた職員――名前は浜村といった――は、そう言うと市役所の外へと宇野を連れ出した。

 浜村の運転する車で雨里に向かう道中、宇野は車内の窓から見える竹泉市の景色をつぶさに観察した。

 スーパー、コンビニ、ホテル・・・・・・遠方から訪れる人が過ごすために必要な施設は適度に揃っている。そして、山間部の街なだけあって緑が多い。至る所にコンクリート建築が建ち並んでいる都会とは違い、豊かな自然が街全体を覆っている。その緑の木々がリラックス効果を生むのか、時間の流れて行く早さが、都会と違ってゆるやかに流れているような錯覚を与えていた。

 ――避暑地としては文句なしの環境だな。

 満足そうな顔でなおも車窓の景色を眺めている宇野を乗せ、車は緑の木々が生い茂る森の中へと進んで行った。

「すごい田舎でしょう? でも雨里は、ここよりももっと田舎なんですよ」

 運転席の浜村が愛想よく語りかけて来た。

「山の中にある町なもんで、町の大部分が森なんです」
「その森を切り開いてリゾート施設を建設する計画なんですよね?」
「ええ、はい。で、なんで雨里かって言うとですね、雨里には湖があるんですよ」
「はい。資料で存じてます。竹泉市としては、その湖を観光の目玉の一つにしたいという意向ということですが・・・・・・」
「ええ、はい。静かできれいな湖なんですよ。その湖畔にコテージとか宿泊施設を作って泊れるようにすれば、都会の生活に疲れた人が静養できる良い避暑地になると思うんですよねえ」
「その湖以外に、何か観光資源になるような場所や物はあるんですか?」
「特に・・・・・・無いですな。いや、宇野さんの目で見れば、何か観光資源になる・・・・・・観光資源に化けるものがあるかもしれません」
「そうですか。まあ、確かに、私はそれを調べに来たので、数日かかけて雨里を調べてみますよ」
「こちらには何日ほどご滞在する予定ですか?」
「今日を入れて三日です」
「三日も!」

 浜村はわざとらしく驚いてみせた。

「雨里なんて一日で全部回れちゃいますよ?」
「それなら、残りの二日で何か観光資源に化けれるものがないか考えますよ」

 宇野は笑顔をたたえながら言葉を返した。

「よろしくお願いします」

 車のハンドルを握りながら、うやうやしく、冗談めかして浜村が頭を下げる。その後は他愛もない会話が続き、やがて二人を乗せた車は、緑の木々に囲まれた、雨里の中心部と思しき場所に到着した。

「ここが雨里の都市部になります。スーパーとかはここにしかないので、町の人らはみんなここで買い物をします」

 浜村の説明を聞きながら、宇野は周囲を見回した。スーパーのほかに、役場のような建物と、コンクリ打ちっぱなしの雑居ビルのような小さなビジネスホテルがあった。『ビジネス旅館 あまさと』と看板が掲げられている。

「あのビジネスホテル、やってますよね?」
「ええ、はい。ああ見えて、ちゃんと営業してます」
「それなら、今日からあそこに泊って雨里のことを調べます」

 宇野は早速ホテルに向かい、チェックインを済まして不要な荷物を部屋に置くと、再び浜村の車に乗って湖へと向かった。

 鬱蒼うっそうと生い茂る森の奥深くへ、車は進んで行く。次第に周囲の景色の中に人家は見えなくなり、黒々とした木々だけとなった。その中をしばらく進むと、急に視界が開け、山と森に囲まれた小さな湖が姿を現した。

 湖面は透き通り、その奥底から深い青色を浮かび上がらせている。その青暗い湖のほとりに車を停め、二人は車から降りた。

「この湖は人造湖なんですか?」
「いえ。天然の湖です。なんでも湖底が山の洞窟と繋がっていて、山の地下水脈を通じて木曽川あたりまで、この湖の水は繋がっているらしいです」
「へえ、木曽川に通じてるんですか」
「どうです? 観光地になりますか?」
「この湖のPRポイントにはなりますね」

 雨里のリゾート化に期待を寄せている浜村は、ほかにも色々と、この湖や雨里という土地についての解説を熱心に宇野に聞かせた。宇野は浜村の解説を聞きながら、湖の周囲を観察した。

 木々と山肌しかない。

 湖は、深い森の中にただ一つだけある空白の中に存在していた。

 湖の散策を終えると、二人は再び雨里の都市部へ戻り、宇野はそのまま『ビジネス旅館 あまさと』に向かい、浜村は「何か用件がある場合は私に電話を」と電話番号を告げて市役所に帰って行った。

 宇野は、あまさとの一階にある小さな売店でお菓子と飲み物を選びながら、エントランスをさりげなく観察した。

 さびれた雰囲気を漂わせているホテル外観と同様に、内側もしっかりと寂れて閑散としている。

 入口付近にある受付の中で、係の職員がのんびりと受付台を拭き掃除していた。その受付台に、小さな縦長の冊子が積まれてある。

 宇野は売店で買い物を済ますと、受付台に近づいた。冊子は、市役所が発行している雨里のパンフレットだった。

「これ、もらっていいですか?」

 受付の職員は拭き掃除をやめ、「ええ、どうぞ」と宇野を見ながら言った。

「こんな所に旅行なんて珍しいですね。何かのお仕事ですか?」

 初老の受付員は、にこやかな笑顔をたたえながら話しかけて来た。宇野はこれを情報収集のチャンスと捉えた。

「はい。竹泉市からの依頼で、この雨里をリゾート化するための下調べに来ました。わたくし、こういう者です」

 宇野が名刺を差し出す。受付員はそれを受け取りながら、

「ああ! その話は聞いてますよ! そうですか。そのために来たのですか。この雨里をリゾート地にねえ。そんなこと出来るんですかねえ」

 と、大袈裟に驚いて見せながらも嬉しそうに答える。

「いやあ、市は本当にここをリゾート化する気なんですねえ。こんな田舎をねえ」
「それで少しお聞きしたいのですが、あの森の中の湖以外に、この雨里のセールスポイントになるようなものってありませんか? 売りになるようなものだったら何でもいいです。例えば、こんな有名人が出たとか、こんな食材が採れるとか、変わった郷土料理があるとか、あと、この雨里だけに伝わる民話とか昔話とか・・・・・・」
「民話とか昔話ですか?」
「はい。桃太郎とか浦島太郎とか、そういう昔話のキャラクターって、マスコット化することが出来るんですよ」
「ああ、なるほど。確かにそうですね。でもまあ、雨里には、そんな特別な民話はないですねえ」

 受付員はそう答えて宇野の顔から視線を外し、虚空の一点を見つめて何か別なことを考えている素振りを見せはじめた。宇野はその受付員の様子を不思議に思いながらも追及はせず、何となしに手にしたパンフレットをパラパラとめくっていると、

「民話じゃないんですけどね――」

 受付員の声に宇野が顔を上げた。

「すごい昔に、この雨里で迷宮入り事件が起きてるらしいんですよ」

 そう言って、大真面目な顔で受付員は宇野を見ていた。

「どんな事件なんですか?」
「詳しいことは分からないんですけど、すごい昔に男と女が殺し合い、その犯人が未だ見つかってない、ていう事件です」
「男と女が殺し合ったっていうのなら、犯人はその男女自身なんじゃないんですか? 要は、その男と女が互いに刺し違えて死んだってことなんじゃ――」
「いや。男二人、女一人の事件なんです。まず男と女が一人ずつ殺され、残った男が犯人だと思ったら、その男も殺された、ていう事件なんですよ。つまり真犯人がいるはずなんです。四人目の何者かがいるんですよ。それでこの事件のきもはですね、その殺された男二人は兄弟だったって事なんですよ。兄弟で一人の女を奪い合い、そして謎の何者かに殺されたんです。どうです? ドラマチックな話じゃないですか?」

 初老の受付員は、なおも大真面目な顔のまま熱く語っていた。

「その事件っていつ頃の話なんですか? すごい昔って言ってましたけど・・・・・・」
「確か大正時代の話ですよ。大正時代と言えば、大正ロマン。大正ロマンの町――雨里。どうですか?」

 受付員が、何か誉め言葉を期待するような表情で宇野を見た。

「どうですか? って言われても、さすがに迷宮入りしている殺人事件を町おこしには使えないですよ。いくら大正時代の話とはいえ」
「そうですか・・・・・・」

 受付員は本気で落ち込んでいる様だった。その姿を横目にしながら、宇野は開きかけのパンフレットに再び目を落とした。ちらっと目を走らせたページには、雨里にある史跡や神社仏閣などの紹介が写真入りで掲載されていた。

「これ・・・・・・」

 宇野は、落ち込んでいる受付員にそのページを見せ、尋ねる。

「この版画、人魚が描かれてますよね?」

 そのページには、江戸時代の瓦版にある挿絵のような、非常に簡略化された絵柄の版画が掲載されていた。芸術的価値は無いように思える。そして宇野が言ったように、その版画には、まげを結った人々に囲まれた人魚らしきものが描かれていた。

「ああ、はい。それ人魚ですね。人魚を食べた人が大昔にこの雨里に来た、ていう話です」

 そう言って、初老の受付員は気づいた。

「あ! そうか! この人魚をマスコットに出来るわけですね!」

 楽しそうに笑う受付員につられて、宇野も思わず微笑む。その微笑みには、自分の仕事が一歩前進したという安堵の感情も含まれていた。

 雨里の観光資源を新たに見つける事が出来た。
 山奥の町に伝わる人魚伝説。
 これは、あの湖と結び付けて宣伝が出来る――。

この時、宇野の頭の中からは、たった今聞いたばかりの迷宮入り事件の話は消えて無くなっていた。


【宣伝 -簡略版- 】

ナチス・ドイツ台頭の裏側で暗躍する深海からの使者――。
狂人たちの見た夢が、さだめられし夜に世界を覆いつくし、
百年に一度の七夕の夜に、織姫が天の川を渡る――。

怪奇クトゥルフ夜話『神々が現れるはずの夜』。
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【実録ホラー短編集:祓え給い、清め給え】

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