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私の小中時代。

皆さんこんにちは!今回は以前の記事で出しましたが、私の小学生時代中学生時代どのように過ごしていたかを詳細に書いていこうと思います。


小学生時代

私は今から9年前横浜市立みたけ台小学校に入学しました。当時から私は発達障害(ADS)と診断されていたのでていきてきに療育センターなどで定期観察などをしていました。最初の方はクラスに馴染んだり、学校のサッカークラブに入ったりして過ごしていました。ですがその頃から学校の勉強にはあまりついていけないというか、あまり馴染めませんでした。そこから少し経った九月上旬少しなつの暑さも落ち着いてきた頃、原因はわかりませんが突然私は教室で嘔吐してしまいました。多分季節の変わり目で体が追いつかなかったのでしょう。それを機に私は2ヶ月近く不登校でした。毎日iPadを触ってほとんど家から出ませんでした。そこから2ヶ月経った11月に学校に復帰して、1月まで過ごして2月から緑区に引っ越して十日市場小学校に転校しました。そこからすぐ何人かと友達になって1年生は終わって2年の時も同じように過ごしてきて何回か休んだ時もありましたが、2年の終わり頃に今も一緒にYouTubeをしているゆうきに出逢います。そこから3年になってじゅんに出会い、毎日のように私の家で遊ぶようになり寺子屋のようになっていました。当時はサッカーしたり、近くの公園とかに秘密基地を作って遊んでました(笑)そして4年生になり、近くの一軒家に過ごしていたのですが、その一軒家がだいぶ学校から離れていたので、登校班の時間が早くその習慣になれず毎回2限目以降から登校していました。5年生の時にいまのYouTube活動を開始してたまに寺子屋している時にyoutubeの企画などをみんなで考えたり、独自で作成した歌のPVなどを撮影してまいた。

ハロウインの時は学校に仮装して行った時もありました(笑)
6年生になってからも同じような日々を過ごして無事に卒業しました。

なんだかんだ勉強にはついていけませんでしたが楽しい日々を過ごしてきました。問題は中学生になってからでした。

中学生時代


 

そこから2020年4月コロナ禍真っ只中のとこに十日市場中学校に入学しました。当時は全校一斉休校があって、6年生の3上旬から6月上旬まで自粛期間でずっと引きこもってゲームをしていました(笑)一応卒業式と入学式は、3月と4月にありました。6月に学校が復活して例年よりも大幅に授業回数が少なかったので、6.7月はほとんど7限目まで授業がありました。部活はソフトテニス部に入っていましたが、あまり成果はありませんでした。その時期くらいから、私は一週間に一回は学校を休むようにしていました。自分の中で中学校を毎日行くというのは結構精神的に負担なので少しずつ休むようにしていました。その時の私の担任の先生が50代くらいの英語科で顔と喋り方ゴルゴ松本さんのような先生でその先生がとても理解がある先生で毎回休む時は朝学校に電話して担任の先生に電話するのですが、普通の先生だと「遅刻してても来れない?」とか「できればきてほしい」と毎回言ってくるのですが、担任の先生は、「無理してこなくていいよ、無理せずゆっくりやすみな」と毎回言ってくれました。自分的になんとか来て欲しい感じに言われるとだいぶ辛いのですが、担任の先生が毎回こう言うふうに言ってくれるおかげでだいぶ楽に毎回気持ちが和らぐような気持ちになって毎回休めていました。9月に私が部活のトレーニングで外周している時に右足が変な溝に入って足を挫いて人生で初めて骨折をして、足をつくだけで犬に噛まれたような激痛が走り右足のアキレス腱あたりが腫れ上がったていました。そこから2週間くらい学校を休んだ時に担任の先生から電話があり「調子はどう?」と聞いてきたので「そろそろ復活したいですけどまだ足が完璧に治ってないです。」と言ったら「じゃあ車で迎えに行ってあげるよ!」とまさかの答えが返ってきました。その日から三日間朝担任の先生に学校まで送ってもらいました。今は僕の中で先生は恩師です。年が明け2021年の一月下旬当然母親が入院することになるました。母親は元々大学生の時に居眠り運転のトラックにひかれ生死を彷徨う手術をして奇跡的に助かったのですが、後遺症で高次脳機能障害と言う障害を抱えて生きています。また事故の影響で頭蓋骨が折れているので、代わりに手術で金属製のボルトのようなものを骨の代わりに入れています。その骨が細菌に感染してすぐに手術で別の骨に取り替えないといけない状態になってしまいまして、命に別状はありませんが放っておくとどんどん悪化するとのことで、1月下旬に入院して骨を取る手術をしました。私は母が入院したので母親がやっていた家事をやるようになって母親が退院するまでしばらく学校を休んでしました。3月に母親が退院し1年生が終わり2年生になって夏休みまで特に何もありませんでした。夏休みに入ると母親の今度は外した骨を入れる手術でまた1ヶ月くらい入院していました。夏休みが終わるくらいのときに、またコロナが感染拡大して神奈川県にも緊急事態宣言がでて少し夏休みが延びて9月1日から学校が始まChromebook全校生徒に配られました。https://note.com/tdm_n_daigo/n/n7142b7aa248f

Chromebookが配られた時のことについてはこちらの記事で書いているのでよければ見てみてください!

2022年に入って早々、家庭の金銭面的理由で、当時住んでた4LDKの一軒家を3月までに引っ越すことが決まってその時期から急に学校に行くモチベーションがあまりなくなっていました。

上の動画を機に3ヶ月くらい学校を休んでいました。休んでた時はずっとフォートナイトやスマブラやってました(笑)
そこから2年生が終わり3年生になりました。3年生の4月から学校に復帰して少し学校に慣れてから部活にも復帰し始めました。進路については、中学に入る前からN高に行きたいと思っていたのでスムーズに決まり、9月に入試をし、11月には合格しました。ここからが試練でした。

合格したのは良いものの、まだ入学が確定していません。前の記事やタイガーファンディングでもありますが、私の家族は私含め父、母3人障害者という家庭で父が会社内でのトラブルもあり、非常に金銭面的にも厳しく、当時小さい映像会社をしていたのですが、その会社も破産し生活保護でなんとか過ごしていました。そんな中私が年間100万するN高週5コースに行くのに家族の中で工面するのは、99%無理な話です。しかもその当時私はまだ中学生なのでアルバイトもできませんし、家族も生活保護を受けているので下手に収入の高い仕事をすることはできません。そんな中私と両親は社会福祉協議会や、役所、奨学金、クラウドファンディングもしました。しかしどれもうまくいかず路頭に迷っていました。それに加え母の頭の骨があまり脳との相性が悪く、取り外したほうがいいだろうということでまた入院、手術することが決まりました。私も年が明けた頃からだんだんとモチベーションが下がり、また不登校になっていました。そして一月の後半3月20日あたりが学費納入の締め切り、路頭に迷っていた夜、たまたまみていた受験生版タイガーファンディングの動画を見ていた時背中に電撃のような何かを感じました「これは今の自分の条件にぴったりなんじゃないか」「N高に入学するにはこれに出るしかないんじゃ無いか」と思い父に相談してみたら「なんでもやってみろ!」と言われすぐ応募しました。そして2月中旬受験生版多イガーファンディングに37人目の志願者として出演し見事ALLを達成しまいた。本当にここまでの道のりは奇跡だと思っています。そして晴れてN高生になることができ今に至ります。

現在は出資してくれた虎や岩井社長に感謝や、アドバイスをしっかり胸に刻んで色々なことに挑戦しています!


最後に

ここまで私の記事をご覧していただきありがとうございました!ここまでなんとかN高に入学することができましたが本当の夢は起業家なのでここからが勝負です。ここから虎の皆様の期待を裏切らないように色々なことに挑戦していきたいと思います!

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