トランスジェンダーを非難する人たちへ
トランス女性(きっとトランスジェンダーM tFのこと)が女性の権利を侵害する。
そんなタイトルの話を読んだ。中身についてはちゃんと読んでいない。
さらっと読んだだけだ。だから書き手の主旨と読み手の私の理解と違うかも知れない。
率直な感想は
そんな考え方もあるんだ
という事だ。私は一方の視点だけしか物事を見ていなかったような気がする。
色んな考えがあり、その意見は私にはなかった視点だと思い興味深く、そして参考になった。
何人か繋った記事を読んでいると色んな内容が出てきた。例えばMTFが女湯に入ってくるのが嫌だという事がかかれていた。
男性だが自分の心の性は女性だと言う人も女湯に入ることを承認したら、本当はトランスジェンダーではない人、つまり女性に興味がある異性が女湯に入ってくる事にもなりかねない。それは性犯罪にもつながる可能性があり女性は安心して浴場に入れない。
その前提にはトランスセクシャル(性転換していること)である事が前提だと思うが、悪い事を考える輩もいるのかもしれない。いや、実際いると思う。そしてどんな世間的にいい政策だと思う事でも悪事につなげる一定数の人達がいる。
そしてトランスジェンダーの人たちは心の性の浴場に入りたいのだろうかと思った。
でもいるらしい。それを知ったのは次男から男根フィギアを買ってくれとお願いされた時だった。
その時にフィギアについてネットで調べ、公衆浴場に入りたいという思いが背景にある事がわかった。
*
次男から頼まれて男根フィギアを買った。お金は払ったものの、実物は今も見ていない。
トランクス2枚付き約二万円のその商品の前には"男根フィギア"だけで38万というものを見せられて欲しいと相談されたので、安く感じた。
それと同時にそれがいるのか?本当に必要なのかと思った。私には男根フィギアの必要性がわからなかった。
そのブツの販売サイトをみると動画があった。生々しいブツがモザイクなしにうつっており、こんなにお風呂に入ってもわかりませんというような映像だった。
なるほど、ブツの建築手術は難しいらしい。次男曰く胸オペしてもブツはつけていない人が多いようだ。
しかしブツがついてないままじゃ浴場に行けない。だからこのフィギアがあるんだと思った。納得というより、ふーんそういう世界があるんだと思った。
次男にサイトを紹介され、説明された。
「どんなものか実物みな分からんやろ?どんなもんか見てみたいと思わへん?」
そう言われた私は好奇心もあってパンツ2枚付き男根フィギアを購入した。…が今だ実物はパンツ以外見ていない。
当時の次男は立ションに憧れていたようだ。立ションするためにフィギュアがほしいかったらしい。女子の立ショングッズも売っているからそれもすすめたが本物っぽいのがいいということと、何より私が見てみたかった。
ちなみに彼は男湯に今は別に入りたくはないらしい。温泉は好きだから本当は入りたいが自分は男ではないから男湯には入れない。見た目が女ではないから女湯にも入れない。
だから公衆浴場ではなく自分で家を建て、そこに大きなジャグジー付きの露天風呂を作りたいと語っている。どんな家になるか、どんなお風呂が出来るか私は楽しみにしている。是非実現させて欲しい。
*
彼は自分は男だといった。男になりたいのだと言った。そして名前も男っぽい名前に変えたいと言った。
そんな彼に私は言った。
気持ちは受け止めた。そして私が思うことはあなたは残念ながら男ではないということ。少なくとも生物学上男ではない。男になりたいかも知れない。でも生物学上男ではないから本物の男にはなれない。
ここで"自分は男だという周りに言う事"は私は周りに嘘ついていることになるんじゃないかって思う。
嘘をついていると言う思いですごす事は苦しいと思う。バレたらどうしようと思い心穏やかに暮らせないんじゃないかと私は思う。
だからそのままでいいんじゃないのと私は思う。
男になりたい女という性があって私はいいと思う。どうして男という"すでにある性"になりたいの?あなたはあなたなんだよ。
私の尊敬するあなたであり、その個人である事には変わりない。私は男でも女でも正直どっちでもいい。だってあなたには変わりないんだから。
でも今の状態が嫌で形を変えたいと言う思いはわかった。変えたいなら変えればいいと私は思う。納得するように変えればいいと思うし応援するし協力するよ。
"名前を変えたい。"その想いはわかった。そこで考えて欲しい。周り見渡してみて。
今の名前の男の子もいるよ。おまけにあなたが男だったらつけようと思っていた名前も女でもいる名前。
名前に囚われているのはあなたなんじゃないかな?
一見女性の名前のように見える男性でも堂々と男性として過ごしている人たちがいる。名前で性が決まるんじゃないと私は思う。
あなたが自分というものを確立していたらどんな名前でも関係ないと私は思う。
この名前でトランスジェンダーなんだ!って自信を持てればいいなと私は思う。
でも私はあなたではない。だから私にはわからない所があるとおもう。だからそれでも名前を変えたいなら私は何にも言わない。
言える事は私はあなたの名前にとても思いを込めた。色んな魔法をかけた、幸せになるようにおまじないをした。あなたが生まれて最初のプレゼントがその名前だと思っている。
それを受け取ってもらえないとなると私はかなしい。でもそれは私の自己満足かも知れない。だからあとはあなたに任せる。ただ私の名前に込めた想いはわかってくれると嬉しい。
私はそんな話を次男に伝えた。そして彼ら今、生まれた時につけた名前で活動をしている。私の話を受け止めてくれて、腹落ちしたように思っている。
*
トランスジェンダーを否定する、一定数の人たちがいる事はわかっている。
次男自身も言っている。
「トランスジェンダーを気持ち悪いという人達がいる。でも"そんな事思うな"とは言えない。だって本人が思う事は止められないから。その思いも個人の自由。だからみんなにトランスジェンダーを理解してほしいとは言わないし、思わない。物事は当事者じゃないとわからないんだよ。だから理解でなく、そういう人がいるんだね。ただそう思って知ってほしい」
「非難したい人がいても別にどうでもいい。仕方ない。それは意見だから止められない。」
そんな話をしていた。
"理解は当事者じゃないとわからない"
それは私も同感だ。当事者でない人がとやかくいうことについては私はトランスジェンダーの親として不快に思う。
特に
トランスジェンダーなんて勘違いでしょ
パス度の高低をいうのはなりすませたかどうかでしょ?
男(女)になりたいからなるっていうのは許されるのか、なりたいからなれるもんじゃない
なんだかこんな意見を聞くと見ると心がざわざわする、モヤモヤする。
それは私がトランスジェンダーを子供にもち、自分の子供の存在を否定されているように感じているからだろう。
でも同時に私自身もトランスジェンダーF t Mは男ではないと思っている。本人は女でないと言っている。
だから私は彼は彼個人であり、二極化した性には当てはまらない存在だと思っている。
私には男子、女子、トランスジェンダーという性の子供がいる。次男を長男と比べると明らかに違う。中身というより、性として違いを感じる。
そして長女と比べても性別として違いを感じる。
次男についてはどちらの性にも当てはまらない存在であり、そんな存在の彼が私の元に来てくれた事を私は嬉しく誇りに思う。
*
そもそも、男女って何で決まるのかと改めて思った。どちらの生殖器がついているのかで決まるのであれば
ロキタンスキー症候群、インターセクシャルの人達はどうなるんだ。
そう考えると改めて性というのは難しいと思った。
そして問題なのはどちらの性かではなく、その性を使って悪用しようとする人たちだとおもった。
トランス女性(M t F)が女湯に入るという事に異論を唱えている人達は悪意をもっている人もやってくるのではないかという不安があるのだと思う。
そして性的に興味がある異性が女湯に入ってくる事に恐怖を覚えるのであればレズビアンはどうなんだ?という事になる。
同じ性だが、性的対象は同性だ。そんな人たちの事は見た目だけではわからない。
問題は性的犯罪をするかどうかが問題ではないか。実際世の中には悪い人達がいる。そしてそれとトランスジェンダーは別問題だと思っている。
トランスジェンダーが悪いことをするのではない。そして彼らは生物学的女性や男性の権利を侵害するつもりはない。
ただ自分の心に素直にありたいだけだ。
彼らは思い込みではなく、与えられた性と心の性が違う存在であり、そういう人たちが実際にいるのだ。
そして彼らは悩んでいるのだ。自分の外見、扱いそして心の性との違いに気持ち悪さ、過ごしにくさを感じているのだ。
それは当事者でなくてはわからないことであり、理解出来ない、わかろうとする気がない人達がとやかくいうことではなく、とやかくも言われたくない。
所詮わからない人はわかろうともしない。だから永久に話は平行線のように思う。
子供を産んでから違う性を自認する人たちもいる。私の知人のパートナーがそうだった。お父さんがお母さんになり、お母さんが2人になった。
そこは離婚したが、離婚してからお父さんだった人は女性として過ごしている。
そして私の知人である女性はパートナーが女性になった事を受け止め、受け入れて応援しているし、子供たちも同様にお父さんが女になった事を受け止め応援している。そして自分たちの親である事には変わりないと言っている。
パートナーが違う性になったとき、その相手の気持ちを子供の気持ちを考えろという意見があるようだ。
私はいいたい。
"あなた、そこの家族とどういう関係があるのですか?"
その家族さえ受け止めていればそれでいい話だと思う。
私は女子だと思った子が自分は男子だといい、それを受け止め、彼の活動を応援している。
きっとそんな意見を言うと、そんな人が増えたら困るでしょう、あなたは受け止められたかも知れないがそうではない人の方が多い。受け止められる人もいれば受け止められず困り悩む人もいる。
そして子供にはそれを受け入れるのは大変だという意見もあると思う。
それをいうとさまざまな事も同じだと思う。
親の性がかわる事だけでなく親に関してなかなか子供が受け入れ難い出来事は他にもたくさんあるのではないか。
そしてもし子から見て残念な親であったとしてもそんな中でそれぞれの子は大きくなり色々学んでいく。もちろん受け入れ難い事があり、トラウマを抱える事もあるだろう。
でもそれを抱えて大きくなるのだ。
言える事はみなそれぞれ1人の人であり、それぞれが自分というものを押し殺さず自分らしくすごす事が出来ればいいとは思う。
まぁ、そんな事を書くと
小児性愛の人はどうなんだ、カニバリズムはどうなんだとか、シリアルキラーはどうなんだいう話に飛躍する人もいるだろう。
話を飛躍させたり、揚げ足をとるのではなく、落ち着いて考えて欲しい。
私は1人1人が自分らしく生きていける社会になって欲しい。
そしてその考えの土台には平和があり、性善説が前提にある。
でも実際性善説ではなんともならないことがあるから話は複雑になるのだと思う。
人がみな良い人である事を前提によりよく自分らしく生きる事ができる社会になる事を祈る。今言える事はそれだけ。
そして世界が平和になるように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?