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学ぶことの意味

次男は数学が嫌いだ。だからいかに数学が自分の人生に役にたたないかをよく語っていた。そんな彼がふと違う事を思ったようだ。

数学の先生から自分がある方程式を今、学びなおしている話を聞いたらしい。自分は数学の先生だから数学について知識はある。だがある出来事きっかけになぜこの方程式になったのだろうと疑問に思い、改めて方程式ができた背景や意味を考え直し1から勉強しなおしているという話を授業中に聞いた。

その道の先生でも学びなおしを考える事があるんだと改めて思ったことと先生が言ったセリフが印象に残ったと話してくれた。

先生はある出来事(聞いたが私が覚えていない)きっかけに方程式を思い出した。しかしもし事前に知識がなかったらその方程式について思い出す事もなければ気づくこともないだろう。事前に知識があったからこそ私の頭の中の情報が結びつき、改めて方程式について調べてみたいという意欲につながったと先生は語ってくれた。

次男はここに興味を持ったようだ。知識だけでは使えないと彼はよく言っている。同時に今回先生の話を聞いた事で知識がなければ気づくこともできない事が多いのではないかと思ったという事だ。

自分が今まで必要ないと思っていたことも、何かのきっかけてつながるかもしれない。つながりを作るために知識が必要なんだ。そこには最初意味が解らないかもしれないがいつかの為に知識、情報は必要なんだ。そんな話をしてくれた。

次男は義務教育について考えている事があるようだ。

小学生ユーチューバーで小学校にいってない子どもがいるらしい。彼の話には説得力があり聞いていて納得すると次男はよく話をしてくれる。行きたくない人はいかなきゃいいというのが次男の考えだ。その小学生ユーチューバーも同じように話をしているそうだ。日本は学校に行くことが当たりまえだ。同時に世界には勉強したくても勉強にいく機会がない人達がいる。そんな人に学ぶ機会を与えることは大切だと思うと話をしていた。

行きたくなけりゃいかなくてもいい。自分もそう思っていた。なぜなら、学ぶ意欲がない人にいくら情報を提供しても情報はその人の中にしみこまないと実感しているからだそうだ。必要ないと思った時点で情報はその人の中には入らない。そんな状態で学びにいく必要はないと常々感じていたようだ。

詰め込み教育は意味がないから必要ない。学ぶ前には”学びたいという欲求”が必要なのに、日本は小学校、中学校、高校・・・とエスカレーター式に行かなくてはいけないと思っている人がほとんどではないだろうか。しかし、その中で学びを切望している人はどのくらいいるのだろうか。自分の周りを見てみると進学するために、就職する為に学ぶという目的で学校に行っている人が多いように感じる。果たしてそこには意味があるのかと思っていたらしい。

今まで学校の先生になぜ学ぶのかとい質問しても明確な答えを出してくれる大人はいなかった。たいていの人が

将来に役立つ
そのうちわかる
決められているから
学校にいけなくなる
いいところに就職するため

そんな答えが返ってきて明確だと思う答えは今まで得られなかった。だから自分も数学は必要なのかと疑問を持ち、必要ないとずっと思っていた。

でも先生の話を聞いて改めて考えに変化が表れた。

果たして子どもは正しい判断をできるのだろうか。ほとんどの子どもには何に役立つのかわからないし考えていない。それは自分もそうだったことからも言える。でも後で知識が何かにつながるのだ。それはそもそもの知識や情報がなければつながりもしない。情報が多ければなにかひらめくヒントやきっかけができる可能性が高まる。しかしその為には知識と言う種が必要なのだ。

そのためには学べるチャンスを放棄するのはもったいない。そして多くの子どもは自分も含め、学びの重要性に気づいていない。学びの重要性を語ることができる大人がどのくらいいるのだろうか。これからは学びの重要性や子どもが学びたくなるという欲求を持つきっかけを与えられる人がいる事が理想だと思うし、自分はそんな存在になりたいと語っていた。

こうやってふと先生が何気なく話をした事から色々なひらめきを持つことも彼が普段から色々と考え生きているからだろう。そして私と日々話をする。話をすることで自分の考えを整理する。これこそが本当の学びなのではないかと思う。


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