見出し画像

15歳の息子とはたらくことについて考える

ある夜、宿題にうんざりしている高校生の息子が言った。

なんでママは働いてお金をもらえるのに僕はもらえないの?と。

フランス語で「働く」と「勉強する」は同じ単語、「travailler」 である。僕もママも travaillerしているのに不公平だ、というのだ。 日本語のように二つが違う単語だったらこういう発想はなかっただろう。彼の疑問(というか不平?)はフランス語で思考する人ならではの問いだったと思う。さらに言えばなんにでも損得勘定がはたらきがちな若者ならではだったとも。

ちょっと考えて私はたしかこう答えたと思う。

travailler は travailler でも、○○(息子)が今していることは自分のためだよね。今勉強していることは、しんどくてもいつか自分にかえってくる。自分のため、自分の将来のためにしていること。ママの travailler は人のため。誰か別の人のために働いているからお金がもらえるんだよ。労働力を提供して、その対価としてお給料をもらっているんだよ。

お金を得るため、と割り切って私は働いている。世の中には好きなことを仕事にしている人もいるし、それはとても素晴らしいことだと思う。私にはそれができなかった。というよりフランスで生きていくことに決めた頃の私の最優先事項はフランス社会の仲間入りを果たすことと経済的な自立で、そのためにはまず仕事、たくさん求人がある仕事を、と考えた。その結果、いまの職業にたどりついた。

「好きだから」とか「昔から夢だった職業に」とかとはかけ離れた、さみしい選択の仕方だったかもしれない。実際、時間を忘れて好きな仕事に没頭したり、自分の仕事の意義ややりがいをはつらつと話せる人はまぶしいし、うらやましいと思わないではない。

息子に言ったことを反芻してみる。自分の好きなことを仕事にしている人も、誰かのために働いていると感じているのだろうか。それとも、自分がやりたいから、これが天職だから、とかっこよく言えてしまうのだろうか。もしかして宝くじで1億円当たっても仕事続けちゃうのかな、などと想像する。私ならいの一番で辞表書くな、と思いながら。

いや、でも好きなことを仕事にしていようとそうでなかろうと、労働力を誰かに提供して対価を得るという構造はどんな場合でも同じだと思いなおす。どんな仕事でも需要と供給で成り立っているし、お金を支払ってくれる誰かがいないと仕事にはならないから。ただ、得られるお金にプラスアルファで人生のやりがいとかクリエイティビティの表現とか肯定感とか使命感とか、あと私のような働き方をしている人間にはきっと思い浮かばないような何かが、ついてきたり来なかったりの違いはあったとしても。

私は特に好きでもない仕事をして日々の大半の時間を過ごしている。特に好きではないが別に嫌いでもない。自分にあっているかもよくわからないけれど、会社を転々をしながら今の職業を10年やってきた。

割り切っているつもりでも自分の仕事に悶々とすることがある。考えた結果、悶々の源は、労働そのものではないことがわかった。労働しているあいだに減っていく自分の時間だった。そこに費やしている時間が惜しい。気がついたら一日が終わっている。朝が来ればまた同じような一日が始まって、そしてやはりすぐに終わってしまう。仕事と寝ること以外、あんまり何もしていない。コロナでどこにも行けない今年はさらに顕著だ。

好きなことを仕事にできている人の何がうらやましいかを突き詰めて考えると、仕事に費やす時間に対する納得度の違いではないか。その時間に生活の大部分をささげているという事実に、どれだけ納得できているか。仕事が楽しければやっぱりその時間は納得度が高いだろう。

息子には将来の夢がないらしい。自分がなにをしたいのかまだわからないという。でも進路を決めなくてはいけない。なーんとなくIT系かなと思っている彼はなーんとなく理系に進んだが、学校から進路に関するいろんな書類の提出を求められるたびにやはり困っている。これ親のサインがいるから、と差し出されたある書類を見ると「将来の自分はなにをしていると思いますか?」という問いに「ケーブルに絡まってパソコンに向かっている」と答えていた。具体的なのか抽象的なのかわからない彼の答えは、父親に書き直すように言われていた。

将来、どんな仕事をしたいかわからない息子に、私はあんまり軽々しく理想を説いたりできない。難しいね、ママもまだ自分のしたいことわからないよ、と正直に言ってしまう。何か夢を持てなんてとても言えない。あればもちろん素敵だけど。いつか見つかればいいねとももちろん思っているけれど。だからといってそんな理想論を押し付けるのはどうか。そんなこと親に言われなくても、友達みんなそれぞれに将来のビジョンがあるなか息子はすでに一人でひけ目を感じている。きっと私が憧れの仕事に就いた人をまぶしく思うように。

はたらくって、もっとシンプルに考えていいんじゃないかな。

息子と、それから自分自身にむかって言ってみる。

何よりも大切なのは仕事じゃない。その他の時間。家族や恋人友達と過ごす時間、趣味の時間、考える時間、なんにもしない時間。その自分の時間を支えるため、暮らせるだけのお金を得られて、そのための手段としてその時間に納得できればそれで十分だよ。それ以上はプラスアルファ。あればラッキーと思えばいい。

今出す進路の答えは絶対じゃないから。あとで向いてないと思ったらいつだって変えたらいい。いつだって変えられるから心配しなくていい。とだけ今は息子にしっかり伝えたい。

だからいつでも変えられるように、たくさん勉強しておくといいと思う。それは自分の納得をフレキシブルに模索して、たどりつくために必要なことなんじゃないかなと思う。

私のほうはといえば。まぁサービス残業を減らすことが先決だよね。これ以上納得いかないことない!ドロボー!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?