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ついに世界がひっくり返った

私は今、夫と暮らしたいと思っている。もちろん子供も一緒に、三人で。

つい最近まで夫を、心底憎み、心底恨み、心底呪っていた。嫌いなんて生ぬるい言葉じゃ足りない。100歩譲って死んでほしい、いややっぱり譲らない、死んで記憶からも完全に消えてくれ今すぐに、と毎日考えながら一年以上過ごしてきたのに。

そんな急転直下のきっかけは、職場のマネージャーに対する恐怖心で頭がいっぱいになったこと。私は一人で勝手に傷つき、相手の言動を反芻し始めてしまう。その反芻力は凄まじく、まさにそれで死にかけたことがあるから、放っておくわけにはいかなくて、自分を守ることに集中した。

反芻の拳に殴られ続けながら、思考が必死に駆けずり回る。死なないで、死なないで、と強く祈る脳の中に、夫が突然現れて、見ると彼は無償の愛を纏ったまま立ち尽くしていた。見えた、と思った。あなたの愛が見えたよ、と思った。

見えなかった物が見えた瞬間に感じたその気持ちは、間違いなく完全に真実で、目に見える物よりもずっとずっと信じられる。これは「あの日の記憶」というnoteに書いた感覚と似ている。そうだ、今こそ反芻しよう、子供と夫にそれぞれ感じた大事な気持ちを。二人は私の家族だ。家族なんだ。あぁ、また泣いてしまう。

他人と夫がそれぞれ持っている私への愛情の濃度の違いを思い知った。この目ではっきりと見た。それを見て知った今、職場の人なんて赤の他人であって、夫との関係を切りたくて苦しんでいた辛さに比べたら、なんて小さいことだろうかと思えた。

そして愛を知った私は夫を信頼し始めた。信頼さえあれば全てが解決する。言動にひっかかりを感じても、目に見える物はただの形でしかないと思える。

信頼のない関係は、ちょっとした亀裂であっという間に全てが壊れる。私と夫の関係がギリギリ壊れずにいられたのは、夫が、私を信頼してくれていたから、そして自身を信頼して倒れずにいてくれたから。

ありがとうもごめんなさいも言葉にはしないで、態度で返しつづけていくことを決めた。その方がよっぽど伝わる。私達はそういう関係なんだと思う。

私は誰も愛していなかったし、誰も信頼していなかった、自分を含めて。自分と相手の両方を信頼することができて始めて、人と人の関係が成り立つんだということがわかった。

死にたくなってよかった、そして、生きててよかったし、生きててくれてよかった。人は変われるんだと確信した。

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