雨宮塔子のパリ通信#9 “人種の祖国”とされているフランスで叫ばれる「BLM」。根深い人種差別問題。
3月17日にフランスでロックダウンが発令される少し前のことだったと思う。
それこそフランスで間もなくロックダウンになりそうだとの噂を耳にしたパリジャンたちが、慌てて地方にある実家や田舎の別宅へ向かおうとパリを後にし出した頃だ。父からメッセージが届いた。「君たちはパリにとどまるのかい?」と。父の知り合いのパリ在住の日本人の方が、新型コロナが蔓延したら、日本人の治療受け入れは確実に後回しにされるからと、奥様と日本への帰国を決めたのだという。
子供たちの学校がどのような措置となるのかまだ全くわからなかったこともあって、私は子供を連れて日本へ帰国することは考えもしなかったけれど、父の知り合いの方の"日本人は後回し"という言葉には少なからず衝撃を受けた。
その頃のアジア系の人種に向けられた言葉や行動は、以前このnoteにも書いたからここでは省略するけれど、イギリスで鉄道職員であったベリー・ムジンガさんが新型コロナに感染したという男から唾を吐きかけられた後にコロナに感染し、亡くなったというニュースが報じられた後ですら、同じように見知らぬ男からすれ違いざまに唾を吐きかけられたという日本人の友人がいた。こんな身近に、しかも一日に二度もそんな目に遭ったという彼女の話に心が塞いだ。
幸い彼女がコロナに感染することはなかったけれど、コロナ禍にあって人は危機的状況に追い詰められると、こうした形で本性が現れるものなのだと実感した。そうした状況を日々目にしていたから、医療崩壊が懸念されたフランスで、日本人の治療が後回しにされる可能性も充分真実味を持って響いた。
(6月2日に行われたパリ市内の抗議デモの様子。「フランスのジョージ・フロイド事件」とも呼ばれるのが、2016年にアダマ・トラオレさんが警察に拘束された状況で亡くなった事件だ。それ以来活動家になったアダマさんのお姉さん、アッサ・トラオレさん(中央・頭にスカーフを巻いた女性)のTribunal de Paris(「パリ大審裁判所」「パリ司法宮」などと訳される)での演説からこの日の抗議デモが始まった。群衆が「アダマに正義を!」と声をあげている。撮影:長女)
6月の末に欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長が、フランスのラジオ「France Inter」で、"ワクチンはヨーロッパ人優先で"と発言した時も、だからあまり驚きはなかった。
コロナウイルスのワクチンができれば、貧しい国々にも利用できる道を開くが、まずヨーロッパ人のために確保する、と。ライエン委員長のような、左派的でリベラルなイメージのある人ですら、こうした発言をためらうことなく口にする。そうしたことの政治的な意味や背景は私にはわからないが、このニュースを知った時に感じたことは昨今のBLM(ブラック・ライヴス・マター)運動の潮流の中であえて"All Lives Matter"(オール・ライヴス・マター)を唱えた人に覚えた違和感と似通っているような気がする。BLMの抗議内容は黒人の「命」のことだけを指しているのではない。
車に乗っていて、警察に職務質問で止められる回数の多さや、白人と口論になっただけで警察に緊急通報されるといった、普通の日常生活の中で黒人であるというだけで被る様々な不当、理不尽な差別をも指している 。普通に生きる、普通に生活を送る権利である。
(デモ隊の中に火を放った人がいて黒い煙が上がっている 撮影:長女)
そのためには社会の構造から変えていかなくてはならない。だからこそ、運動の契機となった犠牲者のジョージ・フロイドさんの弟、テレンスさんも黒人自身がもっと学ばなくてはならないと、胸を切り裂かれそうな怒りと悲しみを抑えて、熱心に訴えたのだろう。
それを"All Lives Matter"、いやいや、命はすべて大切ですよ、と打ち返してしまえるのは、命の尊厳というテーマへのすり替えなのか、対岸の火事なのか、こういう人たちが政権の中枢にいる限り、黒人やアジア系や移民を差別する社会構造はけっして変わらないのだと思う。
("Casseurs "と呼ばれる、モノを壊す人たちがデモ隊に紛れ、火を放った。でもこうしたCasseurはほんの一部。 撮影:長女)
ジョージ・フロイドさんの死への抗議デモは、時を置かずフランスにも飛び火したけれど、このnoteの"レ・ミゼラブル"の回(#4、#7)で、パリ郊外で綿々と続いている社会問題について触れたように、黒人や移民に対する警察の暴力、人種差別への抗議は20年以上前から繰り返し行われているのだから、今回のうねりにフランスでも呼応するのはしごく当然のことのように思う。
ただ、フランスは「人種の祖国と寛大な社会モデルの聖域を自負する国」("Le Monde"紙 2005年11月5日投稿記事)ということになっている。そうやすやすと人種差別のある事実を認めるわけにはいかない事情があるのだろう。フランスでの抗議デモを受けて、クリストフ・カスタネール内相はさすがに警官が容疑者を羽交い締めにして首を絞める逮捕術を禁止したり、警察における人種差別は「一切容認しない」と公約したけれど、ディディエ・ラルマン警視総監は、警察は人種差別主義だとの批判を断固として否定した。
また、実際にその批判に反発した警察官らが手錠を地面に投げつけて抗議するデモも行われた。フランスでの抗議デモでは、街中で火をつけた抗議者に対して警官隊が催涙ガスを使って群衆を散らそうとしたこともあったから、比較的平和的なデモとなったアメリカとは少し様相が異なるかもしれない。
(デモ隊が"みんな警察が大嫌い"と叫び出した瞬間。警察による暴力を批判している。 撮影:長女)
以前に触れた「レ・ミゼラブル」のラジ・リ監督はデモ集会でこう語っている。
「一部の政治家は警察の暴力は存在しないと言います。が、一度黄金の宮殿から出て、地区で何が起こっているのか見てみましょう。彼らは第一責任者です」("Libération" 2020年6月9日投稿記事)
※黄金の宮殿とはフランス大統領官邸であるエリゼ宮殿のこと
自身が黒人で、初めて警官に職務質問されたのが10歳のときだったというラジ・リ監督の言葉には説得力がある。
もちろんすべての命が大切なのは当たり前のことだ。が、いままさに飢餓によって目の前で死にかけている幼児より先に、平等の名のもとに、小腹がすいているだけの子に食料を分け与えることなどあり得ないのではないか。
一番救いを必要としているものを優先する緊急性の問題は、先に触れたワクチンのヨーロッパ人優先発言にもあてはまる。
"ヨーロッパ人"ではなく、人種を超えて、今まさに医療機器の不足や医療崩壊に直面している貧しい国や地域から、まっ先にワクチンを供給するとなぜ言えないのかと思う私は、あまりに現実政治にうといロマンチストなのだろうか。
(デモ参加者は若い人を中心に黒人も白人も。娘のようなアジア系は少なかったらしい。 撮影:長女)
BLMのフランスでの初回の抗議デモは6月2日に行われたのだが、それに参加した17歳の私の娘に、その夜遅く、感想を聞いた。
「う~ん、黒人の怒りはよくわかるよ。でも、問題はもっともっと奥深いと思った。たぶん、植民地問題まで遡ってみんなで考えなきゃいけないんだと思う」
フランスには日本と同様に、アフリカなどでのかつての植民地支配を巡る補償問題や歴史解釈問題が存在しているが、それを学校で教える機会は私が知る限りほとんど持たれていない。また一般的には過去の植民地支配には誤った側面があったけれど、発展ももたらしたといった正当化する主張が支持されているからだろうか、個別の事例はあるもののフランス政府としての謝罪や補償は行われていない。
その一方、「フランスでは日中、日韓の歴史問題が仏独関係と比較して語られることが多く、過去の侵略に関して反省し、謝罪しているドイツと過去に関して反省していない日本という論点で批判されることが多い」(〔研究ノート〕フランスの植民地政策と歴史問題 中村宏毅 氏)そうで、実際、論争をぶつけられたことのある娘には思うことがあるようだ。
そうした状況の中、先日の6月30日にベルギーのフィリップ国王がアフリカ中部のコンゴ民主共和国の植民地支配を巡り、王室として初めて「遺憾の極み」と表明した意義は大きい。近年ベルギーではアフリカ系の若者を中心に、かつての植民地主義への反省や謝罪を求める声の拡がりを見せており、そうしたことを受けての対応と見られるが、ベルギー政府はこれにどう対処するのだろうか。
さらに注目されるのはフランス政府の対応だ。「黄金の宮殿」から歩み出て地区の様子をつぶさに検証し、その問題をかつての植民地支配の歴史に結びつけて深く見つめ直す好機になれば、何十年と同じ被害を被り、そのつど声を上げ続けることに疲弊しきっている人たちの希望の灯になるかもしれない。
雨宮塔子 TOKO AMEMIYA(フリーキャスター・エッセイスト)
’93年成城大学文芸学部卒業後、株式会社東京放送(現TBSテレビ)に入社。「どうぶつ奇想天外!」「チューボーですよ!」の初代アシスタントを務めるほか、情報番組やラジオ番組などでも活躍。’99年3月、6年間のアナウンサー生活を経てTBSを退社。単身、フランス・パリに渡り、フランス語、西洋美術史を学ぶ。’16年7月~’19年5月まで「NEWS23」(TBS)のキャスターを務める。同年9月拠点をパリに戻す。現在執筆活動の他、現地の情報などを発信している。趣味はアート鑑賞、映画鑑賞、散歩。2児の母。
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