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特別 〜Special〜

 こんにちはタブレトシです。
 人間と生まれたからには誰もが一生に一度は夢見る「特別な人間」
変人とはそんな特別な人間を目指す普通な人間である。
グラップラー刃牙イントロ〜♫
 ということで、僕は特別な人間になりたかった。なので昔から変人を演じており、実際変な人やら変わった人間と呼ばれていました。(正直、自分ではかなり普通な人間だと思っている。)しかし、気づいてしまいました。特別になろうとするのは所詮独りよがりのオ○ニーにすぎないということに……。
 まあこれは結論なので後々出てきます。

普通な人間、特別な人間

普通な人間。たまに「普通ってなんですか?🤔」とかいうデリカシーも心もない、空気が読めてなくて性格の悪い、最悪な事を言ってくる人がいますが、この普通ってのは確かに難しい。例えば身長というのは明確な数字で存在するので、日本人の平均身長とかを適当に言えば良いのだが、普通の人間はあまりにも曖昧な存在で、指標がなくこれといって適当に示しずらい。だからこそ、同じように曖昧な、特別な人間の指標もない。特別な人間になりたいという願いは、もはや暗闇の中で見えないゴールに向かって走っているようなものだと思う。もちろん普通な人間も同じようなものだと思う。
 そんな曖昧で訳の分からないものを他人に聞くような奴は、はっきり言って性格が悪いか空気が読めないか、頭が悪いかのどれかだと思う。
・性格が悪いなら、反応に困らせるために。
・空気が読めないなら、それを聞いて困ってることに気づけないか想像できないか。
・頭が悪いなら、何も考えず喋っているか。
どちらにしろ「普通(特別)な人間ってなんですか?」と質問してくるやつに良い人間はいないだろう。(これもしもそんな質問をしたやつに同じこと言ったら、良い人間ってなんですか?とか反論しそうで草)
 では、何故曖昧で指標もない普通(特別)な人間という謎の言葉が存在するのか? これはあまりにも曖昧すぎるということが重要になると思います。

あまりにも曖昧すぎる存在

 あまりにも曖昧すぎるからこそ普通な人間と特別な人間は、時と場合、状況、更には人や集団に応じて指標を変えることができる。なので、自分の都合の良いように容易くねじ曲げやすい言葉と言える。自分にとっては特別な人間でも、他人には普通な人間と思われる状況が多々存在するように、都合の良いように解釈が可能。まあ使いやすいということです。例えば、英語を話せるとなると日本ではそこそこ特別な人間と言えるが、英語圏では普通の人間になってしまう。
 曖昧な存在だからこそ指標も曖昧になる。僕の思う特別な人間はこれを読んでいるあなたにとっては普通な人間なのかもしれない。まあ当たり前のことですよね。
 しかし、当たり前だからこそ気づけない、都合の良さの甘い蜜に隠された罠に……。

甘い蜜に隠された罠

 はっきり言って、「普通とか特別って人によるよね」と言われれば、大体の人が、「それって当たり前だよね。」と答えると思うが、当たり前なので、いちいち意識していないのではないかと思う。
 いちいち会話の流れで、「普通ならこうするよね〜笑(あ、普通って人によって違うし、こいつの普通は特別なのかもしれない。ミスったな)。」なんてこと考えないし、相手も「分かる〜笑」と適当な返事を返すと思う。だからこそここで「普通ってなんですか?」とか質問するやつは性格が悪(ryな人間しか存在しないと言える。逆に「いや、私は普通だと思わないな!」と答えるのは相手に自分はそれを普通と思わない意思を表明しているので、まだマシだ。
 そして、特別な人間とは人によって指標が違うので、特別になろうとするのは自分の思う特別な存在であり、他社にとっては一方的な考えの押し付けだということ。
 これこそが罠。人によって違うということが当たり前だからこそ頭から抜け落ちていると考える。まさに、盲点。1人で勝手に理想の特別な存在になろうとして、謎の行動や言動、を繰り返して、自分の思う特別な存在になるために他者の存在を蔑ろにして、シコティッシュのように捨て満足する。
 ただ自分が気持ちよくなるためだけのオ○ニーを、知らず知らずのうちに、特別な人間になろうとすることで行っている。つまり、特別になろうとするのは所詮独りよがりのオ○ニーにすぎないということ……。

解決策

 じゃあどうすればいいんだよって話なんだけど、僕は自分にとってではなく、誰かにとっての特別になろうとするのがいいと思う。それこそ、恋人というのはある意味特別な存在と言える。誰かの恋人になるということは誰かの特別になっているんじゃないかな。
 アーティストやクリエイターというのは、ファンという自分のことを特別と思ってくれている存在から成り立っているのでは無いかと思うので、ファンを作る仕事や趣味も良いかもしれない。
 自分のための特別ではなく、他者のための特別。それが目指すべき真の特別な存在なのではないかと思っている。それと同時に、他者を特別に思う気持ちも大切。求めるものを手にするのは求められる者だけ。
 独りよがりに気持ちよくなるな。

終わりに

 今思うと、序盤の
「僕は昔から特別な人間になりたかった。なので昔から変人を演じており、実際変な人やら変わった人間と呼ばれていました。(正直、自分ではかなり普通な人間だと思っている。)」
という部分はまさしく独りよがりのオ○ニーだよなぁ。
 もちろんだが、ここまでの考えは全て僕の考えであり、ある意味押し付けでもあるので一例だと思って真に受けず、自分なりに考えて欲しい。
 僕が定める普通な人間の指標については後日別記事で公開すると思うのでそれを参考にしてもしなくても良い。
 独りよがりの押し付け記事になると思うので、実質公開オ○ニーだ。(最悪な表現)

終わり

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