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読書記録【何もしない(ジェニー・オデル著)】

こんにちは。
本日は「何もしない」(ジェニー・オデル著、武内要江訳)という本の読書記録です。真っ白な表紙に「何もしない」とだけ書かれた本。
めちゃくちゃ面白そう!と思って手に取りました。


著者のジェニー・オデルはスタンフォード大学の講師であり、現代アーティストです。その著者がアメリカのトランプ大統領が大統領選に勝利した時、さまざまなメディアが炎上していた状況に嫌気が刺し、公園に逃げ出すところから本書は始まります。

本書は人の注意がSNSなどのツールによって、広告やビュー数等の単一化された指標に収束する現代を、「注意経済」と呼んでいます。
そんな社会において、いかに自分の注意を取り戻し、抵抗していくか。
つまりその社会において「何もしない」状態になれるかということをエッセイ的に思考実験しています。


「エッセイ的に」と言ったのは、何か啓発書のように明確に方針を示すというわけではない書き方と感じたので。
さまざまな事例を引用しながら、筆者が考えていることを強化していく構成になっています。

①「何もしない」ということ

筆者の言う「何もしない」とはどういうことでしょうか?
それはさながら1つの活動だと筆者は述べてます。アクティビストとして「何もしない」を考えるということです。
それはつまり明確な意志と方法論を持ってして注意経済に立ち向かうことを意味します。

「何もしない」というのは、現在の社会から逃げることではないと筆者は論じます。そもそも逃げ切ることが不可能ということを、1960年代にアメリカで生まれたコミューンの例を挙げて示しています。

②「何もしない」ために

では何もしないためには何が必要か。
筆者は以下が必要と述べています。

1)注意
これは、注意を自分で選択するということです。
鳴り止まないスマホの通知、スワイプしたい欲求に対して立ち止まろう。自身が注意経済に取り込まれないように注意を育てようということです。

そのために筆者は生態系的なものの見方が役に立つと述べています。
一言で言えば、自然を観察してその繋がりに注意を払うことを筆者は実践しているようです。

なかなかスケールの大きい話でこれが普通の啓発書とは違うところだなと思います。

個人的な解釈としては、点に注意を向けるのではなく、線・文脈に注意を向けることだと解釈しました。スワイプして単体のバズりに着目するのではなく、その背景の繋がりやなぜこれが流行るのかを人間の性質や歴史にまで広げる考えのことかなぁと思っています。
きっとその思考の時間が個々人の独特の注意になっていると私は思います。

この注意という点が、以前読んだ「白鳥さん」と通ずる部分があり非常に興味深かったです。

2)第3の空間
人々が集まり、実際膝と膝を突き合わせて話し合い、活動をしていくことを筆者は「第3の空間」と呼んでいます。
「何もしない」というのは一種の活動なので、この思想を同じくする人同士の空間が必要と説いています。

現実生活においては、仕事やSNSの文脈から外れた、社会では非生産的と捉えられるようなコミュニティに身を置くことだと解釈しました。

実際、仕事を忘れて熱中できるような趣味と仲間がいれば、きっとそれは第3の空間として、注意経済の本流から身を外すことができると想像できますよね。

③ケアの重要性

筆者は現代が進歩主義であり、進歩を第一目標とすることで、ケアが軽んじられている現状に警鐘を鳴らしています。
ケアのための公共空間が実は何もしない上で、また、人々の創造性を高めるために非常に重要だといいます。

実際現在の社会でも、働きすぎで心の病気を患ってしまったり、自分をケアしないことで起きる問題は多発していますよね。

立ち止まって公園に座り、周りの自然を観察する。
読書をする。
音楽を聴きながら、川沿いを散歩する。
このようなケアの時間と空間はきっと早すぎる現代社会において重要ですよね。

今一度、ケアの重要性、またそのような行為をする人への感謝の気持ちを取り戻す必要があると本書を読んで強く感じました。



注意経済・進歩主義社会において「何もしない」というのは、非常に勇気がいることだと思います。しかしそのような時間がきっと人間らしくあるため、また、その人がその人であるために大切であることはきっと誰しもわかっていることだと思います。私もそのような時間を大切にして、この社会を生きていきたいなと思います。

お読みいただきありがとうございました。
今年は適度に更新できればいいなと思っていますので、よろしければ今後もお読みいただければ幸いです。

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