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文字がにじんで溶けゆく夕方


よく晴れているのに、まだやや信用できない調子の気温だ。特に急いでやらないといけない用事もなく、テレビを見たい気分でもない。こんな日は信頼できる友人と久しぶりに会った日のことを思い出してみる。

私には友人が少ない。いや、数えてしまえばそう呼べるだろう人はやたらに多い。でも誰もを友人と言ってしまうのにはためらってしまう。いちいちそんなことを考えてしまう自分の性格がたまにいやになる。それでもその子は紛れもなく信頼できる友人だ。少なくとも、私にとっては。

彼女は私が持っていないものをたくさん持っている。色が白く、化粧っ気がなく、可愛げのある訛りを使って話した。華奢というほどでもないが軽やかに歩き、洗練された文章を書き、似合う服を知り、思考をくり返すのが得意なのに空想屋ではなく、考えを貫き通せる芯のある子で、そのせいでときどき誰かに勘違いされながらも、たくさんの人から愛された。そして、彼女は私と同様に、友人が少ないと言った。私にはそうは見えなかった。

友人ながら憧れと似た感情までも抱いているせいで、彼女と会うときには少しだけ緊張してしまう。きっと私の笑顔はぎこちない。私の考えていることを丁寧に話さなくてはと思い、正確に伝わっているのか不安になる。果たして私の言いたいことはこれまでにどれだけ伝わったのだろうか。こんな私のことを友人だと思ってくれているのだろうか。なんとなく疑心暗鬼になり、一方的に付き合いが不器用になることもあった。

そんな彼女は、私のことを歌うように褒め、肯定する。

仲の良い相手であるほど、連絡というのはそれほどしなくても問題ないように思う。正直、ふとしたときに、最近どうなのよ、で事足りる。お互い、SNSでもそこまで近況を話したり調べたりしない。だから、たまに話すとはっとする出来事を分け合う瞬間がたくさんあり楽しい。時間はいくらあっても足りず、しかしわずかな時間でもう満ち足りている。

私がどうしようもなく後悔することをしたとき、一度だけ長い電話をしたことがある。「それがたとえ人からどう思われようと、あなたが選んだなら、その選んだ瞬間は大事にしたいことだったのだろうし、私はあなたを尊重する」というようなことを言われた。私もそう思っていたし、言ってほしかった言葉だった。

思えば、彼女の前でたくさん泣いている。

魅力も才能もある子というのは忙しいもので、その日はやっと時間が合い、食事に出かけることができた。彼女にはアレルギーがあり、彼女のルールに沿って店を選んだ。私にはそれすらも羨ましかった。私は基本的に「なんでもいい」タイプの人間である。

近況の話、夢の話、恋の話、なんでもない話。好きなもののこと、好きな場所のこと、好きな本のこと、好きな音楽のこと、これから見る映画のこと。しなくてもいい話を延々として日が沈むのを待った。シンプルな味のケーキを食べ、水をたくさん飲んだ。

窓の外に雨が降る街をながめた。暗い道が街頭で照らされ、光って見えた。

帰りには、一緒に書店に寄った。彼女は今一番欲しいという本を必死に探していた。ぐるぐると歩きながらまたいろいろなことを話す。この日初めて苦手なもののことを話した。彼女も同じだった。しばらく見つからなかったその本は、何度も通ったはずの棚にしっかりあった。私は彼女がすすめてくれた本を買い、濡れないようにバッグの奥にしまった。そういえば私の格好はどうだっただろう。帰りの電車で、湿気でもつれた髪を気にする手に、彼女から感謝の挨拶が届いた。

私が買った本はとても薄くて軽かった。

その本は装丁に無駄がなく、すぐに手に馴染んだ。そっとページをひらく。文章はとても自然で柔らかながらも熱があり、一文目から圧倒された。文字のサイズ、フォント、行幅から、本の紙質や匂いまで、まるでその本のために存在しているようだった。不思議な感覚だった。それを感じられる自分が少しだけ好きになった。

その本はまるで彼女のようだと思った。

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