意思なきべき論は辛い 。そして未来について考えるエネルギーについて


絶賛この沼にハマり中で、これから綴ることができてる訳では全くないけどもちょっとでも”できたらいいな”と思うことである。

Want で語るかmust で語るか

〇〇しなきゃいけないですね

〇〇であるべきですよね。

という言葉を持って自分の状態を語るようになることが増えた。というかそう表現を整えることが正しい状態を伝える最善の行為であると思っていた。

しかし、実際は自分の首を締めていることを自覚し始めた。

意思なき”べき論”とは。

これは思うに、自分のこうありたい、〇〇したい、という理想から下りてきていないまま、こうあるべきと掲げる行為であると思う。

言い換えると、こうありたい、〇〇したい、だからこうあるべき、という発想は意思ある”べき論”であり、”べき”と表現しているが、”〇〇だったら、できたらハッピー”と言い換えられるものである。

眼前にある問題に対して、脊髄反射のように、〇〇であるべきですよね、とそういう風に語るのであるが、その理由は、その失敗を防ぐため、くらいの弱い理由であることがほとんどになる。そうして、失敗を防ぐため、という起点から発生したべき論に対して同じミスをすれば、施策が失敗したという結論しかでないため、進展がなくなる。

なぜ意思なきべき論が起こり得るのか

これは大きく二つあって、

1) 〇〇するべきと考える方が、〇〇したいの解像度をあげるよりも自分と向き合って答えを出すというプロセスにおいて簡単な行為であるから。
2) 誰か他者の目が気になることで、とりあえず結論を出さないといけないと焦るから。

が自分の場合、原因に当たるかなと思っている。

〇〇したい(want) と 〇〇するべき(must)、この2つの事柄であるが、実際に人間がそれを考える時に、均等ではなく見えない力学がはたらいている、ような気がするのだ。

厳密には対義ではないかもしれないが、対義のような2つの存在がある時にその関係性には見えない力学が存在する、まずそれを理解することからが問題解決の糸口になる、ということを紹介している。ここからヒントを得た。


〇〇したいと考えることは、すなわち自分の人生にとってどうありたいか、という壮大なtop概念があって、それから下りてくることで日々の業務レベルや中長期の概念に落として、ありたい姿が定義でき、その上で完成する言葉である。 エネルギー量が違う。

対して、〇〇するべきは、眼前にあることに対して良くない、避けたいといったネガティブかつ少量なエネルギーの使い方をするので一見ショートに完成する言葉となっている。

自分と向き合うことに対して、逃げている

今、自分と向き合うこと、ということに対して2つ方法があると思っていて、

1) 過去→現在と引っ張ってくる時、ないしは時間軸を戻る時
2)未来→現在と引っ張ってくる時、ないしは時間軸を進める時

の2つがあると思っている。

今回の場合、なぜ意思ある"べき”論が出せないかというと ⓶から逃げていることにあると考えた。

なぜなら、そのほとんどは言語化されていない状況を想像し、ピュアに自分がありたいものを定義する=他者からのバイアスを避けて理想を形作ることはエネルギーがいるからだ。ただこれを避けていると次の成長はない。

これからできたら嬉しいこと

未来に対して想像するエネルギーと時間を増やしていきたい。本質的に言えばなりたい状態、やりたいことがどんなものかの言語化をどんどん進めていきたい。またそれ自体はめちゃいいことだよね、と思うところからマインドセットを変えていきたい。

もう一度

1)未来に対して言語化を進めていく

2)それ自体をハッピーでいけてることだという自覚をする。

そうすることでまた一つ成長をしていけたらハッピー。ヘルシーな習慣を身に着けてナイスガイになりたいや。/ fin

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