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【障害当事者として】障害者の適切な表記とは?

お久しぶりです!
夏の終わりが見え始め、少しずつ暑さが和らいできましたね。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

最近X(旧Twitter)で「障害者」、もしくは「障がい者」表記についての各ユーザー(主に障害当事者)からの意見を目にする機会がありました。
私も自身の考えを簡単にXで述べたのですが、今回はもう少し詳しく書かせていただきます。

「障害者」か「障がい者」どちらの表記にすべき?

表記について「障害者」か「障がい者」のどちらにすべきかー
私個人としては「どちらでもいい」が現時点での最も近い考えです。

理由としては、いちいち表記という細かいことにこだわるほど日々の生活に余裕がないからです。

先天性ミオパチーという筋疾患を抱えている私は普段から電動車椅子を利用しています(自宅内では杖歩行)。

この身体で生きている私は一般の健常者の方々と比べて、常にあらゆる場面で困難に直面しています。

入浴、トイレ、料理、掃除といった基本的生活に関することから学校生活、就職・転職、家族や友人関係-果ては恋愛etc...挙げたらきりがありません。
外出先で段差等の構造上の問題で興味のあるお店に入れないという歯がゆい思いをしたことが何度あったでしょうか。

私にとって身体の症状だけでなく、それに伴うすべての困難も「障害」なのです。

上記の困難=障害と共にある私としては、手帳や年金等の各福祉サービスの表記を気にしたことが無いですし、「障がい」という表記を目にしても「配慮されて嬉しい!」と思ったこともありません。
そんなことに構ってられる余裕なんか無いんですよね(^^;

したがって表記については特にこだわりは無く、「各自のお好きにどうぞ」といったところです。

体裁よりも「本質」を

先日、電車を利用したときの話です。

電動車椅子で外出する私は電車に乗る際はホームとドアの隙間を埋めるため、駅員さんにスロープ板を設置していただきます。

その日もいつものように乗車しようとした瞬間、急に初老の(外見は健常者)男性が現れ駅員さんに乗り換えの駅か何かについて尋ねだしたのです。
それもスロープ板に足を掛けるという私の進路を阻む形で。

私はもちろん駅員さんも困惑していた様子でしたが、当該男性は質問を聞き終えると何食わぬ顔で足早に去っていきました。
(チラッと私を一瞥した程度で)

幸いにもドアが閉まる前に乗車することができましたが、どうにも嫌な気分になる出来事でした。

おそらく当該男性は急いでいたのでしょう。
そのため、彼自身の都合を最優先にすべく私の乗車を妨げてしまったのかもしれません。

ただその一方で、少し離れた場所にも他の駅員さんがいるのだから、何もあのタイミングで聞かなくてもいいのにとも思いました。

過去にもこのような経験は何度もあります。
その度に当該男性のような振る舞いをする人たちからは相手の立場になって考える視点や、「助け合い・譲り合い」の意識が欠如している印象を受けます。

世間では「バリアフリー」、近年は「SDGs」という言葉が浸透しており、これらの言葉が持つ理想や目標はとても立派です。

ただ、それと同時に「障がい者」表記のように体裁だけを整えただけでは決して達成できるものではないと思います。

上っ面ではなくもっと本質的な、より根底から人々の意識を向けるべきではないでしょうか。
(もちろん、障害当事者も多くの面で努力する必要もあるでしょう)

願わくば可能な限りの困難が解消され、もっと誰もが暮らしやすい世の中に改善されたらと思います。

最後になりますが、本記事はあくまでも私個人の考えになります。
決して他の意見を否定するものではございません。
異論・反論もあるかと思いますが、何卒ご容赦いただければ幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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