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5年目タクシードライバーお仕事の振り返り【東京】

東京のタクシードライバーになって5年目のげん太です。本日はタクシードライバーになってからの5年間について、お仕事の振り返りをしていこうと思います。タクシードライバー職に興味のある方の参考になれば嬉しいです

(※拡散歓迎です)

全体を大きく捉えて要点をまとめると

「タクシー業界へ飛び込む決意」をした1年目
「コロナ禍でも踏ん張った」3、4年目
「2社目へ転職して情報発信を通じて人と繋がる経験」をしている今

重要なポイントはこの3つだと思います。これら3つのポイントに対して各年度で取った行動や考え方を整理しています

今日もタクシー乗務員として都内をブーンと走っている"いちタクシードライバー"の5年間…、良かったら最後までどうぞお付き合いください


1年目「右も左も分からない状態から前職の収入を大きく超える」

・タクシー業界に飛び込む決意

20代中盤で私はタクシー業界に入りました。理由はお金も時間もなかった前職に見切りをつけたからです。しかしタクシードライバーはイメージが良い仕事とは言えません。周りからは疑問や反対の声の方が大きかったです。私は実際に現役で働いている人、タクシー業界に精通しているエージェントからアドバイスをもらって会社を選び、営業スキルの習得をしていきました。入社後しばらく経つと、収入面、自分の時間が大きく増えたため(お金と時間にゆとりができると性格も優しくなる)周りの人の多くは転職して良かったね!と言ってくれるようになりました。まあ今でも両親(60代)は「タクシー会社でも内勤になりなさい」「管理職で昇進しなさい」など耳タコなことを言ってくるので、黒霧島といった焼酎の話や大河ドラマ、朝ドラの話を振って話題を強制的に変えています。何が言いたいかというと決めるのは最終的には自分だったということです

・右も左もわからない状態

私はペーパードライバーでした。タクシードライバーになる前の仕事は、オフィスワーカーで車の運転はほぼしていませんでした。また18歳で東京に出てきてから電車移動が100%だったので、東京の地上の風景というものが駅の周りだけしかない状態です。もちろん明治通りも環七も、山手通りも知りません。そのような状態からの応募、採用、内定そして研修後にデビューしています。道が分からず、お客さまからはよく怒られました。当時ナビは使うな…という価値観の時代でした。首都高が分からないことや、空港への誤送迎、遠回りによる自腹等は痛かったし迷惑をかけたな…と思います。事故は初乗務から2ヶ月後くらいに一度、車を擦りました。当時の営業車クラウンはボンネットのところが一般車よりも長いです。その感覚が分からずになんとなくを信じてガリガリと車体を擦りました。それからは100%安全だと思わない限り目視で確認するようになりました。今は実車中であれ当然のように危ないと思えば降車して目視をしています

・半年程度で月収は前職を大幅に超える

右も左も分からない中で「辛いこと」の方が多い3ヶ月間でした。しかしこの頃から月収が大幅に上がってきたので「お金、お金」っと単純な私は嬉しく思い、どうしたらもっとうまく稼げるかなと仕事が楽しくなってきました。前職は残業ありで手取り20万円程度。タクシードライバーとして「食べていけるな?」と思うことができたのは手取りで35万円を超えてきたあたりから…です。その後、給料は上昇を続け額面では50万円以上をずっとキープできています。乗車いただけたお客さま、会社に感謝しています。最初は辛いことも多く、タクシー業界の古い慣習等に嫌気は感じましたが「稼げるじゃん?」で乗り切った感じがします

・1年程度で仕事に慣れてプライベートも充実しだす

初乗務から1年程度経つと、道も分かってきてお客さまの対応も上手くなりました。慣れるというやつです。仕事の疲れが以前よりも軽く感じられるようになったのがこの時期です。明休や公休にたっぷり時間があるのでプライベートが充実しました。タクシードライバーは月12勤務で「時間があるよ」って入社時に言われましたが、この頃になってやっと実感することができました。売上もそこそこ良いまま継続できていて出番のうち7割以上は営業所の売上トップ10に入っています

2年目「より効率的な仕事を。よりプライベートの充実を」

・より売上を伸ばして、ハンドル時間を減らす

より効率的に売上を伸ばして、ハンドル時間を減らす努力をしています。その理由は先輩に「ガツガツやるだけじゃダメだよ」「楽して稼ぐことを真剣にやりなさい」と教わったからです。当時の内勤さんにもそう言われていました。毎回残業時間パンパンまでハンドル握って高収入。月間250時間は働いています。いつか燃え尽きてしまうのかも…とうっすら思っていました。そこで稼働エリアを見直したり、高額単価の分析をしたりしました。この時期に一度有料で凄腕ドライバーのコンサルティングを受けています。この時期の私は色々参考にしながら「PDCA」を繰り返すというよりは「P」がない感じです。「DCA」とにかく、昨日学んだことを今日やる。「効率性」を上げる手段はとりあえずやってみることを意識していました。その後、効果があったもの、私の性格や働き方に合う手段のものを残して、仕事の効率性を上げました。とはいえ、2年目の知識だなんてたかがしれています。今もそうですが仕事の知識というものはずっと不完全なものです。日々改善していきたいですね。収入が増えて、他人に対して私、稼げているよ!とイキイキしてしまうのもこの時期です。タクシーの稼ぎ方とか自分しか知らないスポットをタクシードライバー以外に対して自慢しがちです。この世の中にはもっと稼いでいる人がいますよね。大したことはないのでほどほどにしましょう(自戒)

・お客さまに対してより最適な経路の提案ができる

道に関してもお客さまに対してより最適な経路の提案ができるようになりました。簡単に言うと、ナビよりもマシな経路を自分で組み立てることができるということです。また渋滞しやすい道路の渋滞しやすい時間を都内全域で把握できるようになります。渋滞に対する抜け道の提案、首都高を利用した長距離客の高速の降り口のイメージなども徐々に鮮明となっています。未だに分からない道はお客さまに聞くようにしていますが、ある程度自信を持って自ら経路提案できるようになったのはこの時期でした

・何曜日に出庫しても売り上げがしっかり上がる

不得意な曜日がなくなったことは大きいです。例えば月曜日。月曜日は夜が渋い傾向にあるので昼勝負だなとか、朝しっかり作らなきゃとかって思うのですが、この時期になると何曜日であれ「売上は作れる」状態になっています。特に日曜日はタクシーが少ないので流し営業のスキルが効きやすく、平日よりも売上が高いことがありました。1年目の経験から2月は閑散期だな〜とか色々メンタル面で備えることもできています

3年目「営業所のランカーはキープ。コロナが直撃。もはやこれまでか」

・売上の伸びは鈍化。8割がた営業所の2~10位にはいる感じ

3年目からは私の売上の伸びは鈍化しています。理由は労働時間の減少と、デビュー後すぐのような給料が上がるというモチベーションがなかったためです。とは言え、毎出番真剣に仕事はしていました。2年目の源泉徴収票で額面収入は690万円と書いてありました(正確には2~3年目)しっかり長期休暇なども取っていたのでこんなものかと思いましたが正直、ここから大幅な給与増加が見込めないこと、給与が増えても税金が増えることで色々考えなきゃな…と思っていました。プライベートでは相変わらず充実しており、大量の映画を見たり、朝まで飲んだりと好き勝手な生活をしています。この時期は、同年代の同期はモチベーションが崩れてしまい、欠勤遅刻ばかりとなり、同時期入社の年配の方もチラホラ辞めていきました

・休憩の取り方が上手くなる

業務中の休憩の取り方は上手くなりました。毎出番決まった時間に決まった長さで休憩を取ることで体力をよりうまく活用することができます。具体的には「30分、30分、2時間」といった休み方や「1時間、30分、1時間半」といった休み方を曜日毎に使い分けていました。体力は替えの効かない消耗品です。大切にしたいですね。また仮眠した後は必ず一度車外に出ること、立ち上がることで寝ぼけによる事故防止に繋がる気がしています。エアコンを直接浴び続けると不健康になりますし、空気が乾燥する季節には乾燥対策をすることで風邪をひかずに済みます。そういった営業スキル以外のことも洗練されてきたかなと感じました

・無事故無違反、身体をより大切に感じる

3年目は特に無事故無違反、健康の価値を感じるようになりました。この業界、違反する人は何度も違反をするし(最悪免停で退場)、10年間無事故無違反の人います。10年間以上、無事故無違反の人はタクシーの乗務員証に青いラベルがついています(今年の夏より廃止予定。プライバシーの観点から)青いラベルの凄さには当時から気づいていました。無事故はさておき、無違反は難しいです。私も軽微な違反が1年で1~2回ありました。それをゼロにしようと決意したのもこのあたりです。またジムなどを契約して明けの日に体を動かすようになりました。結局、なんの仕事でもそうでしょうが「体力」ある人は稼いでくるな…とも思います

・コロナの予兆により先行きが不安になる

3年目〜4年目は新型コロナウイルスが直撃しています。中国で謎の感染症があるらしい…から日に日に客数は減り続け、2週間もしないうちに全く営業できないような市況となりました。今でもあの絶望的な営業を覚えています。空車タクシーしかいなかったです。私たちの給料はどうなるんだろうとか、こんなに影響受けるってまじ?と思いました。年配の内勤の方に聞いても「これほど営収が落ち込んだことはない」「リーマンショックの比ではないよ」と言われました。自分ではどうすることもできない状態だったので大人しく家でお金になりそうな知識を学習したり、ウーバーの配達や出前館の配達をしたりしてのんびり過ごしていました

4年目「コロナ禍からの回復。プライベートでの転機。2社目へ」

・コロナ直撃、休業補償を使いながら営業する

コロナでタクシーの需要がほとんどないので、国から出ている休業補償を使って休んでいた時期も多いです。またこの時期は昼勤務にチャレンジしています。緊急事態宣言が出たら休業補償〜。出歩ける時期は昼勤務〜、ぼちぼちで!といった感じです。収入は450万円程度まで下がりました(休業補償込)感じたことは私の生活水準がそこまで高くなかったから耐えられたなと。私は今も手取りで20~25万円くらいあればじゅうぶん生活ができます。車も持っていません。同僚は住宅ローンや子供の教育費、別れた妻子への養育費、慰謝料、派手な家賃に派手な生活による生活費が高い人もいて、そのような人たちは辞めていく人が多かったです。タクシードライバー同士で飲みに出かけることも以前からあったため、知っていましたが皆プライベートでは色々抱えているんだなとも思いました。プライベートが破天荒であればあるほど、こういった給料変動のリスクはもろに受けている印象です

・副業を検討してみる

他の仕事は以前から興味を持っていたものの、実際に行うきっかけがありませんでした。タクシーが休業していて給料も減るので仕方なく始めた感があります。そうやって他の仕事もしてみると「タクシー1本」では気づけなかった可能性や世の中の仕組みを目の当たりにします。また老後や有事の際に「会社がなんとかしてくれる」という思い込みもなくなりました(元々ないけど)コロナ禍というタクシー業界への大きなマイナスは、わたしに「より自立するきっかけ」を与えました。この時期の経験が今も役に立っていて「自分で稼ぐ」「会社に頼りすぎない」といったスタンスをより強めました。自分が自立して稼げるようになると他の人をより沢山助けられるし、本当の意味でのアドバイスもできます。また自分が自立して仕事をすることでより複数間でwin-winの関係を主導することができると思っています

とは言え、もう一度コロナ禍体験したいかと言えばめちゃくちゃNO!です。普通に日々気持ちとか沈んでいたし、辛かったです

・昼日勤を経験する

コロナ中及び、回復後の「昼日勤」での勤務は規則正しい生活を送る上でとても良かったです。客層も昼は穏やかなのでのんびりプレイを楽しめました。都心部だけでなく、蒲田や大森、日暮里や西日暮里、高円寺や荻窪、目黒や自由が丘も全然お客さまがいて食べていけるじゃん!という発見もありました

・プライベートの充実、住む場所の変更

この時期に私は結婚をして、住宅の購入をしています。それに伴って、今までの会社から別のタクシー会社へと転職活動を行いました。会った時によく聞かれますが、大手行燈→大手行燈への鞍替えなのでそれぞれの良いところ悪いところ、実際の稼ぎやすさや統治方法などだいぶ違いを感じることができます。今の会社に来て思うのは、1社目は良い会社だったじゃん!育ててくれた古巣への感謝の念です。面倒を見てくれてありがとう〜という思いがあります

5年目「月収70万円台の経験。情報発信を通じてこれからの人たちへ」

・業界内での転職

結婚&住居の変更により、より通いやすいエリアの会社へ移ることになりました。業界内での転職です。3年半東京でタクシー業界に勤めていれば横のつながりも自然にできますし、どの会社がどんな感じだというのもある程度わかってきます。そんな状態で経験者としての転職でした。特に問題なく内定を頂けたので(細かくは色々ありますが)、保険証がない期間が長いと色々怖いし国保に切り替える手間もお金もあれだしで最短日程での入社をしています。この時、同期が一人いました。たまたま同年代で住んでる場所が近いという偶然で仲良くなりました。私は運がいいですね。人間は色々居るなということをタクシー業界にいると日々実感しますが、何より相談できる同期がいるって本当にありがたいな…!

・隔日勤務から夜日勤にシフトする

2社目では主に隔日勤務(昼出庫14:30 ~翌10:30)をしていました。途中からもう少し稼いでみるのも良いかな?経験になるし夜日勤したいかも…と会社に相談したら、次の月から快く変更してくれました。夜出ることで家族は大丈夫?と家族のことを毎度気にかけてくれるのは嬉しいな〜って思っています。家庭には内緒で昼に女遊びしてるんでしょうという冗談が「夜勤明けの女看護師は〜」みたいな毎度同じくだりでもう飽きています。営業所では乗務員さん同士で「挨拶」、内勤さんとは「挨拶+何か一言OR雑談」をするようにしてから関係性が良好になったのでおすすめです。基本仕事終わったらすぐに帰りますが…

・情報発信をはじめる

2社目で仕事にも慣れてきたので情報発信を始めました。2022年10月頃から本格的にYouTubeをはじめています。今は「タクシーちゃんねる・げん太」を名乗っていますが最初は「タクしば(芝犬)」でした。当初は1桁だった再生回数が2桁になり、3桁になり、最近では4桁の動画も出てきています。もともと需要は小さいだろうと想定していて、チャンネル登録者でいうと2,000人程度と思っていました。だからこそYouTube動画を見てくれた1人1人に対して「私は何ができるかな?」ということを初期の段階から結構考えています。運営はそこそこ大変で今でもひどいコメントを浴びることがあります(ひどいコメント書いている人は多分自覚していない)しかし転職相談等で会う約束をしている人、通話、ウェブ会議の約束からの当日ばっくれや遅刻は1件もありません。皆様に支えられているYouTubeチャンネルだな〜と最近特に実感しています。いつもありがとうございます…!

・月収70万円台を経験する

夜日勤にシフトを変更してから月収70万円台も経験することができました。しかし夜勤は普通の人と生活リズムが合わなくなること、洗車代やETCの自腹経費が結構かかること、交通費もばかにならないこと等デメリットも大きいなと思います。タクシー業界は長年、隔日勤務がメインです。やはりメインになる働き方にはそれなりの良さがあるなと思ったものです。夜日勤をすると超高単価の狙い方や、つけ待ちが上手くなります。そういった営業の引き出しは日々増えています

最後に「タクシードライバーという仕事の未来」

今後は、タクシードライバーを育てる側だったり、色々迷ってしまう未経験のタクシー転職を適切に手伝うことで「東京のタクシードライバーは良い仕事だよ〜」を伝えていきたいです。いつまでも私が現場で「万収ドヤ、月収〇〇万円キタ」とブイブイ言わせているようではこの先、私たちの仕事が発展することも待遇が良くなることもないと思います。これからはじめる人が私以上に良い職場で、良い収入と良い生活をタクシーの仕事を通じて得られるように真剣に試行錯誤していかなければなりません。今後、いや今もそうですがしっかり規制産業である日本のタクシーサービスは、海外の配車アプリやモビリティサービスとも競うことになります。時代の変化はとっても早いですよね。日本のタクシー100年の歴史の中で蓄積された良いところを今こそ活かし、変えていく時です。誇大広告や見せかけの高待遇で騙すような採用をしている場合ではないです。そういう大きな問題については業界の偉い人にやってもらうとして…そこにあまり興味を持てないので私は、私のYouTube動画や諸活動きっかけにタクシー業界に入った人と直接話をすることで、コツコツ情報交換を続けていきます。げん太経由での転職成功者、ひとり立ちしてデビューした人も出始めているので、より切磋琢磨しながら私自身も日々楽しみながら改善を続けていきます。

何度も言いますが、東京のタクシー転職で大切なのは会社選び、初期での営業スキルの体系的な習得、モチベーションの維持です。

また、仕事だけが人生ではないよな?とも感じます。ですが結局、仕事も大切。仕事から私たちは何を得るのか….要はお金や時間、多少の仕事仲間でしょうか。仕事から得られるものが何なのかを引き続き目を逸らさずじっくりと見ていきたいです。

そして仕事だけでなくプライベートもより充実して良い生活が送れるよう、今後ともお互い良い距離感で仲良くしていただけたら幸いです

本日の記事は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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タクシーちゃんねる・げん太でした。

【関連記事】より効率的に稼ぐためには「東京タクシードライバー」

また次の記事でお会いしましょう。

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