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#2 家族の在り方が変化する

 『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第2弾。
家族の在り方が変化する

ひとつ屋根の下のメンバーシップ

 「理想の家族像」が、なんとなくわたしたちの頭の隅に棲みついています。たとえばそれは、映画や、漫画や、小説などのなかにあって、時には”理想の家族とはほど遠い家族像”が描かれることで、なおいっそう「理想の家族像」がひとりひとりのなかに浮き彫りにされます。
 (あんな家族だったらいいなぁ…)。そういう想いですよね。
 級友の家に遊びに行った時なんて、いつも、自分の家族との違いに驚いたものでした。そして、いつも…うらやましく思っていた気がします。


子どもの世話をしていただけだったわ。

 そう気づいた時が、大きく変わる瞬間でした。たぶんそれまでは毎日が”母親評定表”がつけられていて、良い母親、良い妻を目指す以外の目標が無かったんですよね。それだけに存在価値を見出すことが、できなかった。そういうのって、結構、たくさんの人が感じてると思う。なんとなく学校生活の延長みたいな感じ。やらねばならないこと、そうであるべきことがあると信じていて、その100点を目指して努力しつづける、みたいな。本当のところ、誰が私を見張ってるわけでもないのに。
 でも、違いました。
 こどもたちは、私の家族に生まれてきたから。家族だから。

 そのことが心底、心に響くと、こどものひとりひとりが、本当の意味で「ひとりの人間」として私のそばに居てくれることだったのね。


 人が生まれてから、ひとつひとつ自分の身体に興味を示して、”自分”を自覚していくように。見るもの、聴くもの、ひとつひとつその事象に全集中しながら、身体の機能がどんどん発達していく。身体がどんどん自分の意思に忠実に動くようになって、器用になっていく指先で、なにかを作り上げたりしていく。話す身体機能もそうだし、話すたびに、またそれを追い越すように思考も深まっていく。
 そんな人間が時間を経て、段階をのぼっていく様子。それが発達成長ってよぶのでしょうね。そのごくごく自然な時間の流れの先にあった。むしろ、そんな空間から突如ひきはなされるのが”就学”の人生儀礼というようなものだった気さえする。


 身体機能を獲得していく。それはなにかを試したり、繰り返したりして、”学習する”ことで成されることなんだけども、ヒトってそういうことがきっと本能なんだろうなって感じるんですね。そしたら、”学習する”ことは内発的つまり自分でもとめられない衝動のようなものだから、”学習させる”ことは必要ないかなって。
 我が家では、《話すこと、聴くこと》がもっとも重要なことで…そうだな…仮にどうしてもそれを学校社会に対応した表現にしようとするなら、それがカリキュラム(課程)でした。それを大切にするために必要なことが《対話する》ことで、対話するために必須な行動は、たとえばこどもから話かけられたら、今していることの手をとめて、こどものほうに目をやることとか、です。やっぱり意識して初めてできることもあれば、根本的になにがだいじかと腹落ちしていれば自然と行動に出るということもありますよね。それは人それぞれだなぁと感じます。


 そうして、こどもたちと暮らす毎日の年月をかさねていくと、”親とこども”の関係性から、徐々に”家族”になっていったのを実感しています。”お世話”が必要なことが無くなっていくので、”保護する”役目が薄れていく感じですね。するとますます【ひとりの人間として対峙する】ことが、それまでにごくあたりまえのこととして成されていたかが鍵になるのか。いきなりできるようには、ならないんですよね。常にそれを念頭に置いて、どう行動するのかを判断する、行動するを繰り返して…練習みたいなことですね。そうやってやっと身に着けていけます。頭でわかっただけでは動けないもので、いろんな知識を得ることは大切だけど、”頭でっかちにならない”ようにってことはホントにいつも自戒として持ってました。

 なにより、答えを持っているには自分自身。
 こどもたちがどうしたいのか、も、こども本人に聞けばよいことというのがシンプルな答えですよね。ただ問えばいいってわけではありませんけれど。

 家族の関係性。
 これまでの伝統的な理想の家族のカタチは、世間に植え付けられたものかもしれない。そう、考えてみることから始まるかもしれませんよね。そして、「人ひとり」が一つ屋根の下に集まっていることに、縁を感じるか、縛りを覚えるかということでも、その関係性を創り出して、変えていくのは、世間の「こういうもの」ではなくて、自分自身だということ。今、そう思えることが、人生に課題を履修しましたって感覚を覚えています。
 家族のかたちは、なにひとつ、すでに決められた規則の上に沿うことではなかったかもしれない。ただ、そう思うだけの環境は、法律であるとか、伝統文化であるとかの要因があるからだけかもしれない。
 考え始めてみると、おもしろいと思いますよ。この社会に生きているから、この社会の前提を問い直すことができるおもしろさ、です。


#これからの家族のかたち

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「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…

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