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#33 沖縄に…ホームスクール的に生活している家庭って、どれくらいいるんだろうね?
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ No.33
沖縄に…ホームスクール的に生活している家庭って、どれくらいいるんだろうね?
2015年、こどもたちがそれぞれ15歳,13歳,12歳,8歳当時のつぶやきです。わたしは40歳目前の頃。アンスクーリング暮らし9年目の頃で、県を超えた引っ越しの次の県内の転居後。
やや都会が近くなり、社会教育施設の利用に期待したもののさほど外出する気持ちは
♯32 親の教育方針でホームスクールを選んだらいけないの?(親の教育権)
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第32弾
親の教育方針でホームスクールを選んだらいけないの?
つぶやきです。条文など引用したカチっとした文章は次の機会に書きます。ひとまず今日は、つぶやきエッセイです。
「親の教育方針でホームスクールを選択し、こどもを学校に行かせないと就学義務違反となる」…というような文章を、最近、複数個所で目にしました。
数年前のことですが、私は確か
#31 どうしてホームスクールなのかしら
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第31弾
どうしてホームスクールなのかしら
「できるまで練習するよ。苦手をつぶしていくよ。
できたら合格。次のステップへ。」
どうも、そういう姿勢は性に合わないみたいです。
苦手は苦手のままでも大丈夫。今、できなくても大丈夫。
大切なことは、「苦手だな」と知っていること、わかっていること。
「できなかったことがある」と知っていること、わ
#30 アンスクーリング。”学び”を感じるとき
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第30弾
アンスクーリング。”学び”を感じるとき
時間割がありません。
カリキュラム(体系)がありません。
そんなホームスクールのスタイルを”アンスクーリング”とよんでいます。
「学びを選ぶ」「学び方を選ぶ」。そんなフレーズをよく目にするようになりました。その通りなのだけど、私も確かにこれまでそういった表現をしてきたと思うのですけれど
#29 恵まれた環境は偶然の賜物
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第29弾
恵まれた環境は偶然の賜物
アンスクーリングがはじまったのは、本当に偶然。
こどもたちが園や学校に通うことが合わなくて、家庭で過ごす方法もあっていいんじゃないかなって思って過ごしているうちに「ホームスクール」って概念にたどり着いたこと。
学生時代(90年代)にサドベリースクールの特集番組を見ていたことがあって、その過ごし方が理想だ
#24 「心配」ってほんっと、、、いらない。返します。
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第24弾
「心配」ってほんっと、、、いらない。返します。
【心配だから】とアドバイスをたくさんしてくれても、それは「あなたには無理だから」「あなたはできないから」「あなたは未熟だから」「あなたは知らないから」とネガティブなメッセージになるだけで、元気がもらえません。
そんな心配は「あなた自身で、私の心配をふきとばすように努力しなさい」と期待
#22 「学びたいところ」に望む環境
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第22弾
「学びたいところ」に望む環境
親は「先生」にはなりません。
むしろ「なってはいけない」と戒めるほどだと思ってきました。
だって親と子の関係が濁るからです。教師と生徒の関係になる必要性を感じません。親と子の間に生じる営みで充分だからです。親と子は学び合う家族ですね。親がすべてを知っている必要はありませんし、そんなに気負わなくても大
#21 ホームスクーリングの時間
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第21弾
ホームスクーリングの時間
ホームスクーリングってなんだろう?という素朴な疑問から始まります。
はじめに。我が家はアンスクーリングとしていますが、それは、「こういう暮らしってアンスクーリングにあてはまるといっていいな」と思っているから。よく知られている言葉で表現するなら「非学校」的暮らしというわけです。それは、やはりホームスクーリング