#23 はげまし、いろいろ。丁度良い塩梅は自分で加減する
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第23弾
はげまし、いろいろ。丁度良い塩梅は自分で加減する
毎日、まったく同じ自分でいるなんてことは、まぁ、できないよね。
ご機嫌な時、不機嫌な時、調子が良いとき、調子が出ない時、心が穏やかな時、理由や原因があってもあくてもどうしてだか不安な気持ちに襲われる時、安心できる時、なんだか心配でたまらなくなる時、いろいろです。
そんないろいろな気持ちのなかにいるたくさんの人が、同じ場所で、同じように、みんな一緒に、受け容れたり、受け止めたりするのはとても難しいことなんじゃないかなって考えると、それはとてもごくごく自然で当たり前な気がします。でも、不思議なことに「いつも同じでいること」をあたりまえに期待されているのかもしれません。そんなこと無理なのに。無理なことを、無意識に、当然のごとく、求められていると苦しくなるのかなって思いますね。
それぞれマイペースでいけることがいちばん安心かな。
そのとき、そのときを見つめて、必要なことを、必要なときに、応じていけるように、時間を大切にしたいね。
どれだけ好きでも どれだけ愉しみでも どれだけ楽しくても
先を急げば
見逃すこともあるし
足元を疎かにして見落とすこともあれば
想いとは裏腹に気持ちや心がついていけない時もある
「大丈夫、大丈夫」
応援を待っているなら応援を
励ましを必要としているなら励ましを
肯定が必要なら頷きを
目の前に居る”ひとりのひと”を見てくれる場所がいいな
ミスをしたあとの心構えって。
私は、「次はどうしたらいいかな」が基本です。
・なぜ、ミスをしたか
ここは重要ではないんです。
・どのようにしてミスが引き起こされたか
次に、
・ミスを引き起こさない工夫は、なにができるか
原則、【ミス(事故)は起こるもの】です。確率的にいってもそうだと思っています。偶然にもあらゆる条件が揃ってしまった結果です。
逆に言えば、【成功】もそういうことですが、「成功する」場合は意図的に条件をそろえることができるし、そうするものでもあるので、条件をそろえる才に恵まれた人が出す結果(成功)はおそろしいほど計画的ですね。
で、ですね。
そんなわたしが好むのは、「私はこうしてるよ。こうすると、こうなるのでいいんだ。」というコツの伝授です。これには、その意見を受けて、その後、私がどうするかを私自身で決めるという選択の余地があるから。
こんな私が戸惑うのは、”ミスに悔やんでいるあなた”扱いされることです。”あなたは悪くないよ”と励ますつもりで「〇〇のせいよね。あなたには合ってないのよ」という声掛けです。
…これって、わたしにはどうにもできないことなんですよね。
わたしが変えることができないものについて、助言されても、なにもできないんですよ。そういうのが困っちゃう。
でも、こういう励ましがうれしいときも、もちろんあるんですよ。こういう励ましがあって、背中を押されて、悩んでいたことを実行に移す決定打になることがあります。おもいきって、離婚しちゃうとか、離職しちゃうとかそういう方向で。その場合は、その励ましはあくまできっかけなだけなので、行動の責任はわたしにあるからね。
「こんなときは、こんなアドバイスを」と言いたいわけじゃありません。
自分ができるアドバイスってありますよね。
いろいろ考えると《自分が相手のことをどう思っているか、どのような人だと認識しているか》とか、《自分の考えかた、とらえかた》が表出しているわけです。
そんな【いろいろな人】の、【いろんなアドバイス】があるのがいいんですね。
聞き流すことは悪いことじゃありません。
受け止めるもの、聴き流すことの判断力は問われるけれど、最終的には「自分で決めること」は、いちばん大切な軸だなぁ。
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ホームスクールをあたりまえに生きてる
「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…
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